第3話 砂鳥宗吾の依頼

 男四人で同窓会なんて柄ではないが、高校卒業以来、十二年ぶりの旧友との邂逅は自然と気分を開放的にする。土曜の夜、港湾部とコンビナートの夜景を見下ろすホテルの最上階ロイヤルスイート。だが我々は一般の宿泊客ではない。このホテルも砂鳥さとり宗吾そうごの所有物件なのだ。


 ここで久しぶりに会わないかと砂鳥から連絡をもらった我ら三人が、おっとり刀で駆けつけたのは言うまでもない。部屋にはビールから高級シャンパンまで酒が揃っていた。無論、金を取られる心配があるでもなく、みな羽目を外し浴びるように酒を飲み干して行く。


 そして宴もたけなわとなった頃、思い出したように山猪やまいが砂鳥にこうたずねた。


「そろそろ話したらどうだ、砂鳥。オレたち篠高ミステリー研究会の伝統に燦然と輝く、元『三賢者』を呼び出したんだ、何か困った事でも起きたんじゃないのか」


 坊主頭の霊源寺れいげんじが赤い顔でうなずく。


「まあ高校時代ほどにはミステリーも読まなくなったが、それでもまだまだ頭は回る。何だ、金の問題か。多少なら都合は付くぞ。なあ大葉野おおばの


 こちらに話題を振られて、私は上機嫌で胸を叩いた。


「おうよ、どーんと任せろ! ここには弁護士と証券マンと坊主がいるんだ、何にせよかなり役に立つはずだ」

「はずって何だよ」


 山猪の相変わらずの馬鹿笑いを受けて、かつての「完璧魔人」こと砂鳥は、嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、お言葉に甘えて。確かに困った事があってね、ちょっと頼みがあるんだ。もっとも、お金の話じゃない。君たちは覚えているだろうか、美術部にいた河地善春よしはるを」


「河地……善春?」


 山猪は首をかしげ、霊源寺も「そんなヤツいたっけ?」と困惑している。だが私の頭は、その名前をうっすら記憶していた。


「よく砂鳥と一緒にいたヤツだよな。メガネかけた。言っちゃ悪いが暗そうなヤツだった」

「おお! そういやいたな、いたいた。暗そうなヤツいたわ」


 霊源寺もうなずき、山猪は遠い目をした。


「ああ、何か思い出した。暗いって言えばミス研もたいがい暗かったけど、美術部にもいたっけな。よく昼休みに画集開いてたヤツか?」


 砂鳥は首肯する代わりに一度目を閉じた。


「ああ、その通り。それが河地善春だ」

「その河地が、どうかしたのか」


 霊源寺の言葉に、砂鳥は一瞬躊躇ためらう様子を見せたように思うのだが、気のせいだったかも知れない。


「彼の現在の居場所が知りたいんだ。できるだけ早急にね」


 しかし砂鳥の返答に、山猪は不審を抱いたようだ。


「人捜しなら、興信所にでも頼めばいいだろう。何でわざわざ」


 何でわざわざ忙しい俺たちに、と言いたかったのだろうが、本当に忙しければ、いまここにいるだろうか。しかし砂鳥はそんな事を気にもせず、真面目な顔で説明した。


「非常に微妙な話なんだ。まず家族の問題ではないから、警察に捜索願を出す訳には行かない。そして興信所や探偵もダメだ。よほど人間的に信頼できれば別だが、下手をすると強請りタカりのネタを与える事になる。かと言って身内にも頼めない。いや、身内だからこそ頼めないんだ。僕の足を引っ張りたい身内は多いのでね。結論として、家族でも身内でもない、信頼の置ける赤の他人でなくてはならない。君たち以外にはいないのさ」


 旧友にそこまで言われて意気に感じない者はなかろう。我ら三人は顔を見合わせて、うなずき合った。いいとも、やってやろうではないかと。ただ。


「結局、河地を探し出したら何がどうなるんだ」


 その点は、やはり確認しておきたかったのだろう、たずねた霊源寺に砂鳥はこう答える。


「もしも河地が見つからなければ」


 そして一つため息をついた。


「僕が人殺しになってしまう、かな」




「善春は凄いな。父さん絵の事はわからないけど、これは凄いと思うぞ」

「美冬は頭がいいな。もう父さんが教える事なんかないんじゃないか」


 それは二十年くらい前の記憶。


「親の言葉が聞けないのか! おまえたちは私の言う通りにしていればいいんだ!」


 それは確か十四年前の記憶。


「誰だ、おまえたちは誰だ。わ、私を殺しに来たのか。助けて、助けて」


 それはもう十年前の記憶。


 ああそうか、十年経ったんだ。


 土曜日の夜。豪野久枝の秘書である河地美冬は、車のインフォメーション端末に表示される日付をぼんやり見つめていた。どれくらいそうしていたのだろう、後続車のクラクションで我に返る。信号は、いつの間にか青だ。普段より三割ほど深めにアルファロメオのアクセルを踏み込んだ。


 アパートに向かういつもの道が長く感じる。十年経ったのなら、時効が成立するはずだ。十年経ったのなら、連絡があるかも知れない。十年経ったのなら、すべてが終わる。そして新しく始められるのだ。


 月極駐車場にアルファロメオを駐め、少し離れたアパートに急ぐ。アパートの前の道路に銀色のセダンが路駐していたが、美冬の注意は引かなかった。その運転席から、見覚えのある姿が降りてくるまでは。ヨレヨレのグレーのスーツに黒ネクタイ、ボサボサ頭に無精ヒゲの三十そこそこの無個性な――それが個性となっている――男。


 アパートの階段を上りかけて、美冬は金縛りに遭ったかのように立ち止まった。何故ここに。


「河地美冬さん、で良かったのかな」


 豪野社長を強請ろうとした探偵、五味がそこにいた。


「あなた、どうして」

「随分と古風なアパートだな。アルファロメオにゃ似合わない」


「警察を呼びますよ」

「そいつは困ったな」


 探偵は胸ポケットを探ると、タバコを一本取りだして咥えた。


「俺は警察が三番目に嫌いでね」


 そして、あちこちのポケットをパンパンと叩くと、ズボンからライターを取り出し、タバコに火を点ける。


「この辺、禁煙じゃなかったよな」

「何の用ですか。大声出した方がいいですか」


「そうカリカリすんなって。商売しに来ただけなんだからよ」

「商売?」


 五味は車の後部トランクにもたれかかりながら、悠然とタバコをふかす。


「面倒なのは嫌いなんでね、単刀直入に行こう。豪野社長の弱みを教えてくれないか」

「はあ? 私が? 何を言ってるの」


「もちろんタダとは言わんさ。報酬は払う。円でもドルでも仮想通貨でも、好きなのを選んでくれ」

「おあいにく様。私は社長を裏切ったりしません」


 すると、五味は再び胸ポケットに指を突っ込みながら、ゆっくりと近付いてきた。身構える美冬の前で名刺を一枚取り出し、静かに差し出す。


「何か思いついたら連絡してくれ」


 美冬はそれを奪うかのように受け取ると、手の中でグシャリと潰した。そして憤然と階段を上って行く。部屋の前に着いたとき、背後でエンジンをかける音がした。だが、もうどうでもいい事だ。

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