第4話 別世界の彼女

 ググトのいる平行世界からこの世界に来た「俺(小川涼介)」の話


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 俺はついに出会ってしまった。あの彼女に・・・。それは大学に行く電車の中だった。いつものように前から2番目の車両に乗った。そこに彼女は座っていた。


(り、理沙!)


 思わず俺は声を出しそうになった。彼女は中村理沙、向こうの世界で俺の恋人だった。この世界に理沙は存在していた。それも生きていた。


 俺は彼女を見て、急に悲しい思い出が心の中に広がってきた。理沙は俺の目の前でググトに殺されたのだ。


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 それは1年前のことだった。俺と理沙は大学の帰りに合流して駅前を歩いていた。付き合い始めて間もなくのことで一番幸せな時期だった。今日はどこへ行こうかと楽しそうに話していた。


 そこに急にググトが現れた。俺たちはとっさのことで避難することができなかった。逃げ惑う人たちにもまれているうちに理沙が捕まってしまった。


「助けて! 涼介! 涼介!」


 理沙は何度も俺に助けを求めて叫んだ。俺は助けに行こうとしたが、恐怖で足がすくんで動けなかった。その間に理沙はググトに体を斬り裂かれ血をすすられていた。彼女は悲しそうな顔を俺に向けた。


「理沙!」


 俺は勇気を振り絞って彼女を助けに行こうとした。だが周りの人に止められて抱え込まれるようにしてシェルターに押し込まれた。


「理沙! 理沙! りーさー!・・・・」


 俺は何度も彼女の名を呼んだ。しかし彼女はググトの餌食になってそのまま死んでいった・・・。


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 平行世界だから理沙がいるのは別に不思議なことではなかった。だが目の前にいる理沙は俺の知っている理沙ではないはずだった。それは理解しているつもりだった。


 だが俺は何となく電車を降りた理沙の後をつけていた。俺はどうしても気になっていたようだ。この世界の理沙は俺の知っている理沙と同じなのか・・・。でもそれはただの口実だということが分かっていた。本当のところはまた理沙と一緒にあの頃に戻りたいという願望だけかもしれなかった。


 理沙は『聖淑大学』に通っていた。それは前にいた世界と同じだった。俺は自分の大学にも行かず、そのまま彼女が講義を終えて出てくるのを待った。


 昼過ぎになって理沙は大学から出てきて、駅から電車に乗った。それはかつて彼女が電車に乗っていた時間と同じだった。この世界でも理沙は前の世界と同じように存在していた。ただ俺がそばにいないというだけで。


 俺はまた理沙の後をつけていた。俺にはどうしても止められなかった。だが角を曲がった時、そこに怖い顔をして俺をにらみつける理沙が立っていた。


「あなた! どういうつもり! 私をつけたりして!」


 理沙が俺を問い詰めた。


「いや、別に・・・こっちに行こうとしただけで・・・」


 俺はしどろもどろに答えた。


「嘘言わないで! 朝も私をつけてきたでしょう」


 理沙はかなりの剣幕で言った。


「いや、理沙、そうではなくて・・・」


 俺は思わず理沙と言ってしまった。


「なれなれしく呼ばないで。私はあなたなんか知らないわ」


 理沙はさらに大きな声を上げた。


「すまない。ええと、中村さん。そういうつもりはなくて・・・あ、そうそう。カートマンションの横のビルに用があるだけなんだ」


 俺は混乱して自分でもわけがわからずに話していた。


「どうして私の名前を知っているの! それに住んでいるマンションまで! あなたストーカーね。一緒に警察に行きましょう!」


 理沙は俺の手を引っ張った。


「いや、違うんだ。そんな気はないんだ」


 俺は必死に言った。この世界でも理沙はやはりたくましかった。俺はいつも喧嘩するとたじたじになっていたことを思い出した。


「本当にこんなことは二度としない。許して。頼むよ」


 俺は両手を合わせた。理沙は謝られると弱いはずだった。


「まあ、いいわ。そんなに言うなら許してあげる。あなた、悪い人に見えないから」


 理沙はそう言って帰っていった。俺は額の汗を拭いた。


(久しぶりに理沙に怒られて冷や汗をかいた・・・しかしそれも今日が最後だ。俺と理沙はこの世界では交わらない関係なのだ。もう会わない方がいい。未練が残るだけだ)


 俺は理沙の面影を振り払うかのように走って駅に向かった。




 あれから数日たっても、俺はやはり理沙のことが頭から離れなかった。あの理沙は俺の恋人だった理沙とは違う。理沙はもういないんだ・・・そう思い込もうとしたが・・・


「そういえばあの場所はこの世界にもあるんだろうか?」


 そこは俺と理沙が初めて会った場所だった。そこは橋のたもとの河原だった。俺は休みの日にそこに行ってみた。


 そこは人のいない静かな場所だった。孤独だった俺はバイクに乗るか、ここに来て川をぼうっと眺めて気を落ち着かしていた。慌ただしい日常と、いつググトに襲われて命を落とすかというストレス、誰からも相手にされない孤独感が俺を圧迫していた。あの頃の俺は世界がモノクロのように見えていた。


 そんな時だった。理沙が声をかけてきたのは・・・


 ――――――――――――――――――――――――――


「どうしたの? さっきから寂しそうに座って川を眺めていて」


 理沙はそう話しかけた。


「いや、なんでもない・・・」


 俺はぶっきら棒に答えた。人と話すのが苦手な俺はいつもこうだった。それでも理沙は、


「そう? じゃあ、私もここに座っていいかしら。話し相手がいなくて困っていたのよ」


 理沙は俺の返事もきかずに横に座った。彼女は話し好きだった。身の回りのこと、大学のこと、友達のことを見ず知らずの俺に話していった。俺は相槌を打って聞くしかなかった。


「ああ、すっきりした。言いたいことを言える相手っていないのよね。じゃあね」


 あっけにとられる俺を残して、理沙はそのまま立ち上がって行ってしまった。


 その後も俺が河原にいると理沙が話しかけてきた。彼女は話の話題に事欠かなかったようだが、聞き手の俺のことが気になったらしかった。


「あなた、いつも聞いているのね。少しはあなたのことも聞きたいわ」

「ええと・・・俺の話はつまらないよ。」

「いいのよ。あっそうそう、名前を言っていなかったわね。私は中村理沙っていうの。あなたは?」

「俺は小川涼介」

「じゃあ、涼介って呼ぶわね。あなたは私を理沙と呼んでね」

「ああ・・・」


 俺は彼女の勢いに面食らいながらも返事をした。それから俺たちは急速に仲が深まり、恋人になった。2人でバイクに乗ってあちこち行ったり、お互いのマンションを行き来した。俺は人生で一番幸せを感じた時期だった。モノクロだった世界が鮮やかな色を帯びて俺の前に広がっていた。


 だがそれは続かなかった。理沙は日中、街でググトに襲われて死んだ。それも俺の目の前で。


 俺にもう少し勇気があったなら・・・。それから俺は自分を責めて生きてきた。ずっと・・・


 そして俺はマサドになった。それはググトに対する強い憎しみだけではなかった。弱い俺自身を許せなかったからだった。理沙を救うことができなかった俺を・・・


 ――――――――――――――――――――――――――――


 あれからここに来ることはなくなった。ここに来れば死んだ理沙のことが辛く思い出されるからだった。だが今日はここに来てみたかった。どうしてかわからないが・・・俺は理沙との思い出に浸りながらぼうっと川面を見ていた。


「どうしたの? さっきから寂しそうに座って川を眺めていて」


 後ろから急に声をかけられた。俺は驚いて振り返った。そこには理沙が立っていた。いやこの世界の理沙がいた。


「いや、なんでもない・・・あっちに行ってくれ」


 俺はぶっきら棒に答えた。ここにいる理沙は俺の知っている理沙じゃない。もう関わらない方がいいと俺は思っていた。だからこの理沙にはここにいてもらいたくなくてそう言った。


「変な人ね。私をつけていたくせに。ストーカーさん!」


 理沙はいたずらっぽく笑うと俺の横に座った。


「!」


 俺は驚いて理沙の顔を見た。理沙は、


「なにをそんなに悩んでいるの?」


 と尋ねてきた。


「いや、悩んでいるわけじゃない」

「嘘! そうでなければこんなところで一人で座っていないわ」


 理沙は俺の顔をのぞきこんだ。


「いや、昔のことを思い出していただけだ。もうとうに過ぎ去った・・・」


 俺は重い口を開き始めていた。


「そんなに過去を振りかえっていては駄目よ。いい思い出を懐かしむのはいいけど。あなたのはただ悲しみに浸っているみたい」


 理沙が言った。確かにそうだった。俺はいつまでも「理沙の死」を引きずっていた。それをこの世界の理沙が吹っ切るように言ってくれているようだった。


「そうだ。その通りかもしれない」


 俺はうなずいた。


「わかったようね。それなら心が明るくなることでも考えて」

「そうだけど。そんなこと、思いつかないなあ」


 俺は頭をかいた。


「それなら私が話をするわ。それならいいでしょう」


 理沙は微笑んで言った。


「はあ・・・」


 俺は理沙にまた押し切られているような気がした。


「あ、そうそう。自己紹介をしていなかったわね。私は中村理沙。でもあなたは知っているわね。あなたは?」

「俺は小川涼介」

「じゃあ、涼介って呼ぶわね。あなたは私を理沙と呼んでね」


 その言葉に俺は聞き覚えがあった。俺と理沙はこっちの世界でも向こうの世界と同じようになるのだろうか・・・この理沙は死んだ理沙ではないのに・・・


 そんなこともお構いなく理沙は身の回りのことを話し始めた。俺はそれを、


「うんうん」


 と聞いていた。それはすべて俺が知っていることだった。


 しばらく話をした後、理沙は時計を見て立ち上がった。


「私はもう行くわ。友達と約束しているの。LINE教えて?」


 俺のスマホは壊したきり、そのままにしていた。あれが身についているとマサドになれないから。


「今、壊れているんだ」

「そう?じゃあ、身分証見せて。ストーカーに嘘をつかれていたら嫌だもの」


 理沙は冗談めかして言った。俺は学生証を見せた。


「へええ。香鈴大学なんだ。じゃあまた電車で会えるわね。今度はLINE教えてよ」


 そう言って理沙は行ってしまった。俺はその後ろ姿を見送った。


(また会うことのなるのか・・・)


 俺の心は複雑だった。




 それから数日たった。俺は電車で理沙に会った。しかしそれだけだった。毎日通学で10分ほど・・・それだけで俺には十分な気がした。理沙は友達も多く、特に俺がいてもいなくても何も変わりがなかった。




 俺は街を歩いていた。あの3人の「友人」に合コンに誘われたからだった。どうしても人数がいるからと無理に引っ張ってこられた。毎度々々断るわけにいかなかった。


 多くの人がごった返す中で、俺は少し先を歩く男に何かを感じた。


(多分、ググトだ・・・)


 擬態しているときははっきりとはわからないが、とにかく近くに行って確かめねばならない。俺は3人と別れてその男のそばに行こうとした。だが人の群れでなかなか近くに行けなかった。


「おおい!」


 その先で手を振る女性がいた。


(理沙!)


 偶然、こんなところで出会ってしまったのだった。彼女にはあの擬態したググトが近づいていた。


(まずい! 奴は理沙を狙っている!)


 俺は直感した。


「理沙! 逃げろ!」


 俺は叫んでいた。理沙は訳が分からず戸惑っていた。そこにあの男が触手を伸ばしてググトに変わった。周囲の人たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、あとは恐怖で動けなくなった理沙だけが残された。


 俺の脳裏にあの悪夢が浮かんだ。ググトに襲い掛かられ、血だらけになって死んだ理沙の姿が・・・


 俺は無我夢中でそのままググトに突進していた。触手が迫る理沙を突き飛ばし、俺はググトの体を押さえた。


「どけ! 貴様に用はない。殺すぞ!」


 ググトはそう言って触手を俺にぶつけてきた。だが俺はそれにひるまなかった。


「逃げろ! 早く逃げるんだ!」


 俺はまた叫んだ。だが理沙は茫然としてそこから動こうとしなかった。このままで理沙はググトの餌食になる・・・


「逃げるんだ。また君を失いたくないんだ! 早く逃げてくれ!」


 俺は祈るような気持ちで叫んだ。その言葉に理沙ははっと我に返ってうなずくと、そこから後ろに走って逃げて行った。それを背後に感じて俺はほっとしてした。


「せっかくの獲物を! 貴様!」


 ググトが怒りの声を上げた。


「お前の好きにはさせん! エネジャイズ!」


 俺はマサドになった。


「貴様、マサドだったのか!」

「そうだ。この世界にもマサドはいるんだ!」


 俺は強烈なパンチを放った。ググトは大きなダメージを受けて下がった。そこに連続してパンチとキックを叩き込んだ。その大きなダメージに耐えきれず、ググトは膝が崩れるように倒れると、そのまま溶けて消えていった。




 街中はまだ騒然としていた。俺はそれから逃れるようにその場所から離れた。


(やはり同じことが起こるのか・・・)


 俺は思っていた。俺と理沙は出会った。そしてググトに襲われた。だが今度は理沙を救うことができた。多分、前回の悔いが俺をあんな無謀な行動に駆り立てたんだと思う。しかし運命というものがあるなら、理沙はまたググトに襲われ、ついには殺されるかもしれない。俺といる限り・・・


(もう会わない方がいい。目の前でもう理沙の死を見たくない!)


 俺はそう思っていた。だが俺が歩いていると、理沙が立っていた。その目は俺になにか言いたいように見えた。


「またって何?」


 理沙がいきなり訊いてきた。俺はその意味が分からなかった。答えない俺を見てさらに、


「またって何よ。言ったでしょう。『また君を失いたくない』って」


 理沙は言った。確かにさっきは無我夢中でそんな言葉を口走った。だがその答えを言うわけにはいかなかった。


「一体、あなたは何なのよ! 私とあなたに何があるっていうのよ!」


 理沙は俺を問い詰めた。俺はそれに答えることができなかった。

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