第24話

「練習と宿題しかしてないなんて、さすがにつまらなすぎる」


 スマホから、実家で夏休みを謳歌している美空の声が聞こえてくる。


「そんなこと言われてもすることないし」


 練習と宿題。


 夏休みだと言っても、寮にいるとそれくらいしかすることがない。必然的に同じような毎日を繰り返すことになって、一日はあっという間に過ぎていく。前川先生に言われた“夏休みを楽しむ”という言葉を実現できないまま、お盆が近くなっていた。


「練習も宿題も大事だけどさ、少しは遊ぼう!」


 スマホを遠ざけたくなるくらいの大きな声が聞こえてきて「美空、声が大きい」と文句を言うが、すぐに楽しそうな声が返ってくる。


「音瀬が寂しがってると思って電話したのに酷くない?」

「酷くない」


 ベッドの上でゴロゴロしながら答える。


「えー。寂しくて夜、泣いたりしてない? 美空に会いたいって、しくしくしてるでしょ」

「してない」

「断言されると、私が寂しい」


 美空がわざとらしく悲しむ。


「まあ、寂しくないことはないけどね。今も美空から電話がなかったら、寝るだけだったし」


 部屋に帰ってきても話し相手がいないから、夜は早く寝るようになったし、早く寝るから朝は早く目が覚める。健康的かもしれないけれど、ご飯を食べて、練習をして、合間に宿題をするというサイクルはそれほど面白いものではない。


 最初はたまには一人もいいなと思っていたけれど、今は二人部屋に一人でいることがつまらない。明るい声で馬鹿みたいなことを言ってくれる美空がいないことが寂しく感じられる。


「私のありがたさがわかったならよろしい」


 美空が芝居がかった口調で言って、思い出したように「あ、そうだ」と続けた。


「お盆終わったら、寮に戻ろうか迷ってるんだよね」

「え、なんで?」


 唐突に予想もしなかったことを告げられ、思わず聞き返す。


「コンクール、奥枝先輩と三輪先輩も出るんでしょ?」

「出るよ」

「豪華メンバーじゃん。予選、聴きに行きたいし、どうしようかなって」

「困る」


 私の演奏を聴きに来るわけではないとわかっているけれど、条件反射のように口からネガティブな言葉が飛び出す。


 お盆が終われば、すぐにコンクールの予選だ。


 夏休みの最終日に寮へ戻ってくる予定だった美空と早く会えるのは嬉しいけれど、会場に来られたら緊張する。


「言うと思った。まあ、もし予選に行くなら音瀬の出番のときだけ外に出ておくけど」

「それは悪い感じがする」

「じゃあ、音瀬の演奏も聴く」

「それも困る」

「そんなどっちつかずな答え、私も困る」

「……だよね」


 私はゴロゴロしていたベッドから体を起こして、小さく息を吐く。


 自信を持って聴きに来てと言えればいいけれど、予選が近くなっても私は相変わらず自信がないままだ。練習した分がすべて自信に変換されてくれたらと思うが、練習時間と自信の量はイコールになってくれない。


「まあ、まだ帰るって決めたわけじゃないけどさ。音瀬はお盆、家に帰るんだっけ」

「……帰るのやめようか迷ってる。コンクール気になるし」


 ピアノの練習は家でもできる。

 でも、コンクールの予選が気になって家へ帰っても落ち着けそうにない。


「なにその弱気」

「よわよわのしょぼしょぼだよ」

「夏休みなんだから楽しみなって」

「どうしたら楽しいのかわかんないんだよね」


 過去の夏休みは楽しいものだったはずだけれど、今年の夏休みはどうすれば楽しくなるのかわからない。思い出のページをめくって楽しかった夏休みを振り返っても今年の夏休みを楽しくする方法が見つからなくて、しおれた朝顔みたいに気持ちが萎える。それに楽しくする方法が見つかっても、コンクールのことが頭から離れないままでは楽しめそうにない気がする。


「そういうこと言ってるから駄目なんだって。寮に田中さんと先輩いるんでしょ? 一緒に遊ぶくらいの余裕がないと」

「一緒に遊ぶって言われても、メンバー的になにすればいいかまったくわかんないんだけど」


 唄乃に、奥枝先輩と三輪先輩。

 奥枝先輩の粘り強さによって、食堂で一緒にご飯を食べた日から時間が合えば四人で食事をするようになったものの、唄乃は乗り気ではない。初回に比べればマシではあるけれど、唄乃は事務的な対応を崩さないからときどき微妙な空気になる。


 そんな四人が一緒に遊ぶなんて想像ができない。


 唄乃を省いて三人で遊ぶなら上手くいくだろうけれど、そんなことは奥枝先輩が許さないだろうし、私も許したくないと思っている。


「そうだなー。田中さんにどうしたらミスパーフェクトになれるか聞くとか」


 美空が脳天気な声で言う。


「それ、楽しいと思う?」

「思わない」

「……もっとちゃんとしたアドバイスは?」

「楽しみ方は千差万別だから、自分で考えないと」

「無責任過ぎる」


 的確とは言えないアドバイスを告げる明るい声にわざとらしくため息をつくと、ごめんごめんとさっきよりも明るい声が聞こえてきた。


 どこにいても美空は美空で、調子が良くて明るいところが長所でもあり、短所でもある。そして、私はそういう美空が嫌いではない。


「みんなで遊んだら、なにしたか教えてよ」

「遊ぶことがあったらね」


 そう言うと、連絡楽しみにしてる、と軽い声が聞こえてきて、しばらくしてから電話が切れる。


 枕の横、スマホを置いて電気を消す。

 眠たいわけではないけれど、目を閉じると睡魔がやってくる。


 夢も見ずに眠って朝が来て、着替えて食堂へ向かう。廊下で唄乃に会って二人で食堂へ入ると、奥枝先輩の姿が見える。私たちは、朝食がのったトレイを持って先輩がいるテーブルへ行く。しばらくすると三輪先輩もやってきて、四人で朝食を食べる。


 唄乃は口数が少なくて、奥枝先輩はよく喋る。

 三輪先輩はお喋りではないけれど、唄乃ほど喋らないわけではない。


 バランスはそこそこ良さそうなんだけどな。


 私は卵焼きを一口食べて、三人を見る。

 集まれば、静かすぎるわけでもないし、うるさすぎるわけでもなくほどほどになる。四人は歯車が噛み合えば、もっと仲良くなれるのかもしれないと思う。


 でも、そのきっかけを見つけられずにいる。


 美空の言うように四人で遊びに行けば親しくなるきっかけになるのかもしれないが、この四人でなにをすれば楽しいのかわからない。コンクールに向けて練習をしていることを考えると、みんなで遊びに行きましょうなんて気軽には言えない。


 私は隣に座っている唄乃を見る。

 誘いやすさで言えばクラスメイトの唄乃が一番のはずだけれど、実際は彼女が一番誘いにくい人間だ。練習の鬼である彼女が遊ぶための時間を作ってくれるとは思えない。


 うーんと唸りながら卵焼きをもう一口囓ると、ガタン、という音とともに奥枝先輩が立ち上がった。


「私、行かなきゃ!」


 奥枝先輩が宣言して、箸を置く。


「ひなた、今日は誰?」


 天気を聞くくらい軽い口調で三輪先輩が言う。


「リスト先生!」


 降臨タイムに入った奥枝先輩が弾んだ声で答えて、走って食堂から出て行く。


「奥枝先輩、楽しそうですね」

「誰もひなたを止めないし、ピアノ弾き放題だしね」


 三輪先輩はそう言うと、奥枝先輩のお皿に残されたウインナーをひょいと箸でつまんで食べてしまう。


「いつもの練習室、奥枝先輩専用になってますもんね」


 ほとんどの寮生が家へ帰っている夏休みは、練習室も予約の必要がないくらい空いている。だから、奥枝先輩が降臨タイムに入って練習室を占領しても誰かの邪魔をすることがないから止める必要がない。


「食器、ひなたの分は私が片付けておくから」

「はい」


 私は、黙りっぱなしの唄乃の分も元気よく返事をした。

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