第11話

 2階に上がったアレッツは小さく息を呑む。

 1階とは景色がガラッと変わっていたからだ。

 細長い廊下が真っすぐに伸びており、等間隔にドアがある。

 まるでホテルの廊下のようだった。


「そういえばグレッドの奴、下宿している従業員がいるようなことを言ってたっけな」


『うちの会社、2階に住んでる奴が結構いてさ。すぐ下が職場なんだぜ? ギリギリまで寝ていられるのが羨ましいんだよな』

『じゃあグレッドもそっちに住むか?』


『俺はいいよ。給料から家賃が引かれるのがなんか嫌なんだよな~。なにより俺、アレッツと離れるのが嫌だし』

『良い年してそんなこと言うなっての……』


 兄とそんなやり取りをしたことを思い出す。

 あの時は照れくさくて誤魔化してしまったが、グレッドの言葉がアレッツには嬉しかった。


 生まれた時からずっと一緒。

 助けてくれる大人はおらず、二人で力を合わせて必死に生きてきた。

 それなのに――。


「――っ」


 腹の底が一気に熱くなる。

 例えようがないほどの怒りと悲しみが全身を駆け抜けるが、カタカタと風で窓が揺れる音でアレッツは我に返った。


 そういえば、見る限り清掃業者がいない。

 いつもどこを掃除しているのかは知らないが、従業員が休んでいるであろうこの時間に、部屋の掃除に入ったとは考えにくい。

 そもそも、掃除道具は1階に置いたままだった。


 とはいえ、悲鳴が聞こえたのは確かに上から。

 だが一部屋ずつ確認して回るには些か問題があった。


 無用な混乱を避けるため、フォッグの存在は市民には積極的に公表していない。

 それは特務9課の存在も同様だ。

 無闇に部屋に突入した場合、何も知らない一般人に一から説明しないといけなくなる。


「今はそんなこと考えている場合じゃねえか……」


 ひとまず、このフロアに清掃業者がいるか確かめることを優先させなければ。

 決意したアレッツは部屋の前に立ち、ドアノブに手を伸ばす。


 その時だった。


 廊下の奥から僅かに聞こえてくる、誰かの足音。

 アレッツは咄嗟に顔を跳ね上げた。


 誰もいない。

 けれど、確かに聞こえてくる。この速度は走っている音だ。


「アレッツ君! 聞こえますか!?」


 小さいながらも、それは確かにライハインの声だった。


「聞こえているなら奥に来てください!」

「今行く!」


 迷わず駆け出すアレッツ。

 一見行き止まりに見えていた細い廊下の先は、L字形になって反対側と繋がっていた。

 そこには立っているライハインと、床に倒れている中年男性がいた。

 服装から察するに、この男性は清掃業者で間違いない。


「ライハイン。その人は――」

「大丈夫です。意識はありませんが生きています。ただ――」


 ライハインが向ける視線の先には、さらに上に行く階段があった。


「この上か」

「おそらく。アレッツ君、用心してください」

「言われなくとも」


「心苦しいですが彼の救助は後に回します。先に上に行って――」

「それは困るなぁ」

「っ!?」


 突如割って入ってきた第三者の声。

 アレッツとライハインは咄嗟に神器を取り出す。


 ゆっくりと階段から下りてきたのは、顎鬚を生やした品のある中年男性だった。

 一目で従業員ではないとわかる雰囲気。

 彼が生前、この運送会社を取り仕切っていた人物であることは間違いないだろう。

 だが、今は――。


「ここから上は私の私室を含めたプライベート空間なんだ。初見の清掃業者が足を踏み入れるのはご遠慮願いたいね」


 まるで自分が本物の社長であるかのような振る舞いに、アレッツとライハインは同時に眉間に皺を寄せた。


 殺した相手に成りすます。


 それがどれだけ死者を冒涜している行為であるのか、フォッグには理解できないだろう。

 だからこそ、二人の内に燻る怒りに薪がくべられた。


 最初に動いたのはアレッツだった。

 床を蹴った直後、稲妻のような速さで偽社長の懐に入り込む。

 続けて腹を抉るような、下からの突きを繰り出した。


「おっ、と」


 しかしギリギリで躱されてしまう。

 アレッツは深追いはせず、再度床を蹴り偽社長から離れた。


「今のスピードを避けるなんて、自分が人間でないと白状してるようなもんだ」

「ふむ」


 アレッツのひと言で、偽社長の顔から表情が消えた。


 対フォッグ殲滅用の、神器と呼ばれる武器。

 神器には、持ち主の身体能力を劇的に上げる効力も付与されている。

 スラムでの喧嘩の経験はあれど、ろくな戦闘経験がないアレッツが戦える理由がこれだった。

 それはアレッツのナックルだけでなく、ライハインの剣も同様だ。


「最近私たちの仲間が短期間でやられていたのは、お前らの仕業か」


 怒りも悲しみも感じない、淡々とした声で偽社長が呟く。

 逆にそれが不気味だった。


「そうだ、と言ったら?」

「厄介だな。殺そう」


 偽社長の腕が、まるで霞がかかったかのように一瞬ゆらり、と揺れて。

 次の瞬間、腕が鋭利な刃物のように黒く変形。

 高速で波のようにうねりながら、その腕が伸びた。


 咄嗟に動く二人。

 だが黒い鋭利な先端は、二人の間を縫うように動き、背中を貫いた。


 床に倒れていた、清掃業者の背中に。

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