第10話

 周囲の霧が濃くなってきた。

 既に1時間以上経っているが、会社の中に入っている清掃員たちはまだ出てこない。

 暇を持て余すように、アレッツは足先に転がっていた小さな石を軽く蹴飛ばした。


「なぁ」

「なんでしょう」

「前少し言ってたけど……。その、あんたも大事な人をフォッグに奪われた……のか」


 以前ライハインは言っていた。

 特務9課に集められたのは神器に特性がある者と、そして大切な人を奪われた人間である――と。


「そうですね。でも私の場合は……もっと……」


 ライハインの言葉はそこで一旦途切れる。

 口の端は上がっていたが、目には隠しきれない悲しみが滲んでいた。


 初めて見るライハインの表情にアレッツは戸惑う。

 同じ境遇であるはずなのに、ライハインのハッキリしない返答が困惑を加速させた。


(もっと……? フォッグに大切な人を奪われること以上に悲惨なこと?)


 アレッツは考えを巡らせるが答えに辿りつけない。

 ライハインは悲しみを湛えて微笑したまま、静かに口を開いた。


「私は、自らの手で殺してしまったんです。誰よりも大切な……人を……」

「え――?」


「わあああっ!!??」


「――っ!?」


 突如聞こえてきた悲鳴に二人は視線を跳ね上げる。

 声がしたのは二人の頭上の建物の中からだ。


 いつまでも出てこない清掃業者。

 社長に化けているフォッグ。

 悲鳴。


 想像を巡らせるまでもなく、何かあったことは明白だった。


「どうやら小細工は必要なくなったみたいですね。行きましょうアレッツ君」

「あ、あぁ……」


 二人はそれぞれの武器を携えて路地裏から飛び出す。

 だがアレッツの頭の中では、先ほどのライハインの言葉がまだ強く残っていた。


(自分の手で大切な人を殺した? どういうことだ?)


 前を行く先輩の背中を見つめながら、アレッツは困惑するのだった。




 二人は大きな正面玄関を突っ切り、中へと足を踏み入れる。

 天井が高く、だだっ広い空間が広がっていた。


 宮廷のダンスフロアを彷彿とさせる内装は、一見して運送会社には見えない。

 だが梱包された多くの荷物が山積みになっていることから、ここが運送会社で間違いないことを物語っている。

 数は膨大だが、何かルールがあるのか乱雑には置かれていない。


 壁際に清掃道具の一部が置いてあるが、周囲に人の気配はなかった。

 掃除のためか灯りは消えておらず、部屋に幾つも設置されたガス灯が無人の空間を不気味に照らし続けている。


「声がしたのは上からでしたね」


 二人は広い空間に視線を巡らせる。

 見える範囲に階段が二つあった。

 右端と左端、それぞれの壁際にスケルトン式の階段が設置されている。


「二手に分かれますか」

「上で繋がってそうだけどな」

「構造が1階と同じとは限りませんから」

「それもそうか」


「私は右に行きます。アレッツ君は左を。上で合流できたらそのまま捜索続行。できなかった場合はそれぞれ単独で行動。今最も優先すべき事は、清掃業者の安全確保です」

「わかった。フォッグと遭遇したらそのまま倒してもいいんだよな?」


 初回でライハインを置いて行動したことを、一応アレッツなりに反省しているらしい。

 ひと言声をかけてくれた彼の変化が、ライハインは嬉しかった。


「ええ、お願いします。あと――」

「何だ?」


「できれば無茶はしないでくださいね。あなたに何かあったら、私が嫌ですから」

「部長に怒られるからか?」

「ち、違いますよ!? 私はただ純粋に――」

「冗談だ。あんたも気を付けろ」


 アレッツはライハインの反応を待たず、階段を駆け上がっていく。


「この状況でからかわないでくださいよ……」


 ライハインは思わず苦笑してしまった。

 ゼノのように直情的かと思えば、ウィステルのように冷めているし、と思ったらリービットのように人をからかう態度も取る。

 何を考えているのか非常に読みにくい新人だが、少なくとも嫌われてはいないらしい。


 ライハインも続けて、アレッツとは逆の階段を上る。


「私は……もう二度と……」


 口の中だけで小さく呟いた後、ライハインは唇を噛んだのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る