第9話
浅葱色の作業着に身を包んだアレッツとライハインは、とある路地裏でしゃがみ込んでいた。
作業着と同じ色の帽子を深く被り、バケツとデッキブラシを携えた今の二人は、どこから見ても清掃員だ。
一目見て彼らが警察官だと思う人間はいないだろう。
今回フォッグが成りすましているのは、運送会社の社長。
あれからゼノとウィステルが数日張り込んでいたが、その偽社長の周囲には常に護衛が複数いたらしい。
建物から出る時はもちろん、馬車に乗る時も護衛の目が鋭く光っていたとのこと。
ミルザレオスは周囲の街と比べると発展している方だが、その分清廉ではない生き方をしている人間も多い。
社長になるまでに、そのような薄暗い背景を持つ連中と関わる機会も多々あったのだろう。
先日のミュグレの時のように『突然来訪してひと殴り』と簡単にはいかなそうな状況だった。
「わざわざこんな変装なんてしなくても、正面から行けばいいだろうに」
「おや。アレッツ君もゼノ君と同じ意見だったんですね」
「……まどろっこしいのが嫌いなだけだ」
ゼノは「運送会社に行って『社長に会わせろ』からのぶっ殺しでいいじゃねえか」と提案していたが、即座にリービットとウィステルに却下されていた。
猪突猛進型のゼノと同じ括りにされたのが少し不満だったのか、アレッツはふいと顔を横に背ける。
ライハインは彼の反応に小さく笑みをこぼすと、狭い路地裏から空を見上げた。
既に太陽は空から消えており、黒い空を霧が覆っている。
「突入までもう少し時間がありますね。改めて状況を確認しておきましょう。会社はもう業務を終え、従業員も帰宅しているはずです」
「あぁ。この時間ならもう帰ってるはずだ。兄貴もそうだったからわかる」
「……情報の正確な補足ありがとうございます」
「気を遣わなくていい。で、今は清掃業者が中に入っている、と」
「はい。清掃にかかる時間はおよそ1時間程度。私たちは彼らが出てきたら隙をうかがい、会社の中に入ります。『清掃道具の忘れ物をした』という
「そして偽社長を探して討伐するわけだな」
ゼノとウィステルの報告によれば、社長には別に自宅もあるが、ほとんど会社で寝泊まりしていたとのこと。
生前の彼の行動をなぞっているフォッグも、従業員のいなくなった会社の中に残っているのは間違いない。
ちなみに、そのゼノとウィステルは後方支援組だ。
『ゼノはこういう潜入には向いてないと思うから……』というリービットの采配なのだが、間違っていないと全員が思った(本人を覗く)。
「それはそうと、あんた剣はどうした」
ライハインが持っているのはデッキブラシだ。近くに置いている気配もない。
素手や普通の武器では、フォッグに触れることすらかなわない。
フォッグを討ちに行くのに『神器』もなく手ぶらでというのは、あまりにも無謀すぎる。
だがライハインは余裕の表情を崩さずに続ける。
「大丈夫です。持ってます」
アレッツは思わず目を見開く。
いくら周囲が暗いとはいえ、さすがにデッキブラシと剣を見間違えることはない。
そう。どこからどう見てもライハインが持っているのはデッキブラシなのだが――。
「まさか……」
「はい。このデッキブラシに見えるのが私の剣です。幻術で誤魔化しています」
「マジか……。じゃあ俺が持っているこのバケツも?」
「いえ。それは本物のバケツです」
「…………」
何か納得いかない、という目をライハインに向けるアレッツ。
「そんな目で見ないでくださいよ。これは部長にやってもらったんです。ただの清掃員が剣を持っていたら不自然すぎますからね」
「あんたの神器にそういう効果があるわけじゃないのか」
「はい。神器はあくまで対フォッグ用の武器でしかありません」
「なぁ……。今さらだが神器って何なんだ?」
「私も詳細は教えてもらっていないのですが……『聖女の血』を染み込ませた特別な武器、らしいです」
「聖女の血……?」
アレッツは初めて聞く単語に顔を
ミルザレオスには宗教もあるが、信仰の対象は『聖女』ではない。
「誰だ聖女って」
「私も知らないですね」
「ちょっと胡散臭いな。そう聞くと神器というより、呪われた何か――という印象になってしまうんだが」
「ははっ。言われてみれば確かにそうかもしれません。まぁ部長に聞いてみてください。おそらく、はぐらかされてしまうでしょうけれど」
同じ疑問はライハインも持ったが、未だ答えが得られていない――という事情を察することは容易だった。
アレッツやライハインを特務9課に誘い入れたリービットに関しても、毎日接しているのに不明な部分が多い。
「謎が多い部長ですけれど、私は彼を信用していますよ」
アレッツの心を読んだかのように、ライハインは穏やかに告げる。
「なぜ」
「フォッグに対する強い殺意だけは本物ですから」
「…………」
そこはアレッツも認める部分だった。
初めて会った時に見た、グレッドに化けたフォッグに向ける冷たい眼差し――。
あれは演技などではない。
なにより、特務9課を発足させたのも彼だという。
「まぁ色々疑問はあるんだが……あのネコ耳カチューシャの理由くらいは教えてくれてもいいもんだがな」
「ふふっ。それは同感です」
アレッツの真剣な呟きに、ライハインも笑みをこぼすのだった。
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