第5話

 街灯の光に誘惑された小さな蛾が集まっているその真下。

 白い霧に紛れているのは、明らかに異質な黒い塊だった。

 大人の人間ほどの大きさのそれは、明確な輪郭を持たず不気味に揺らめいている。


「あれは――」

「さしずめ野良フォッグ、といったところでしょうか。次の被害者が出る前に叩きましょう」

「ああ」


 これまでに特務9課が退治してきたフォッグは、既に人に成りすました状態であることがほとんどだった。

 このようにフォッグ本来の姿で見つけることができるのは、非常にまれだ。


 アレッツは懐から銀のナックルを取り出し、ライハインも背中の剣を静かに抜く。


 最初に飛び出したのはアレッツだった。

 地を這うような低姿勢、かつ猛スピードでフォッグに接近。

 勢いを拳に乗せ、フォッグ目がけて腕を振り抜く。


 しかしフォッグはアレッツの拳が届く前に、霧のようにぶわりと広がった。

 寸でのところで気付いたらしい。

 アメーバのようにいびつな形を保ったまま、フォッグは街灯の光が届かない路地の方へと向かいかけ――。


「遅いです」


 銀一閃。

 素早く回り込んだライハインの剣が、黒の霧を真っ二つに断ち切った。


 サアァァァ……。


 灰のように崩れ落ちていくフォッグ。

 やがて静かに消え去った。

 フォッグの消失を確認した二人は、黙したまま武器をしまう。


「お疲れさまです。見事な誘導でしたアレッツ君」

「……」

「何か言ってくださいよ……」


「俺としては連携したつもりはなかったんだが」

「あれ?」


「一発で仕留め損なったのは、まぁ、悪かった」

「そこを謝りますか……」


 少しずれた返しに思わず苦笑するライハイン。

 しかしすぐに表情を引き締め、周囲に視線を送る。


「今日はこのまま帰宅、とはいかなそうですねえ。アレッツ君、見回りを続けましょう」

「ああ」


 二人は再び霧が立ち込める街を歩きだすのだった。





 歩き続けること数刻。

 あれからフォッグと遭遇することもなく、空が青白み始めた頃。


「フォッグの目的って何なんだろうな……」


 不意にアレッツがぼそりと呟いた。


「まだ不明ですねぇ。フォッグが喋ってくれると助かるのですが」


 フォッグは人間の姿になっている時だけ言葉を発する――というのが、現在のところ特務9課で確認されている生態だ。

 先ほどのフォッグ本来の姿では、彼らは喋らない。

 というより、喋ることができないのだろう。


「部長と共に人間に化けている奴に尋問したこともあるのですが、成果はサッパリでしたよ。フォッグの後ろに大きな集団があるのか、それとも何らかの事情で個体がこっちの世界に溢れてきているだけなのか。特に目的がなく快楽のためにこんなことをしているだけなのか――。その生態も含めて不明な点だらけですよ」


 ため息混じりに言うライハインの声には、もどかしさと僅かな悔しさが滲み出ていた。


「でもそれを解明するのも特務9課の仕事だろう」

「確かにそうですね。アレッツ君のこれからの働きに期待していますよ」

「……言われなくてもやってやるさ」


 静かな怒気を含み、前を見据えるアレッツ。

 ライハインは複雑な表情で彼を見つめた後、明るくなり始めた空を仰いだ。


「もう夜明けですね。今日の見回りはここで終わりにしましょう。私は署に戻って部長に報告しますから、アレッツ君は先に帰ってください」

「いいのか?」

「ええ、どうせ報告するだけですから。2体もフォッグと遭遇したんです。今日のところはゆっくり休んでください」


 ライハインは穏やかな笑顔で言うや否や、手を振りながらアレッツに背を向けて行ってしまった。

 後輩に気を遣わせないよう、あえて素早く行動したのだろう。


 一人残されたアレッツは、ライハインの言った通り家に向けて歩き出す。


 頼りなさげ――というのが初対面からアレッツがライハインに対して抱いていた印象だったのだが、今日一日でそれはかなり書き換わっていた。

 物腰は柔らかいが、彼もまた特務9課に選ばれた男ということに変わりない。

 ただ、全面的に信頼したわけではない。

 それは部長のリービットや、他の特務9課の人間に対しても同様だった。


「神器に選ばれた……か」


 アレッツは懐にしまった銀のナックルを、服の上からギュッと握る。

 

「まあいい。俺は絶対にお前の仇を取ってやるからな、グレッド」


 呟いたアレッツの瞳には、復讐の炎が静かに燃え滾っていた。

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