勇者を辞めるための後出しの条件が正気じゃない。



 * * * * * * * * *




 高く吊り下げられたシャンデリア、大理石に赤色の絨毯。

 いかにも重厚な一枚板の机、いかにも高そうな黒革のソファー。

 何が描かれているのかはよく分からないが、とりあえず高そうな絵画。


 アイゼン達は冒険者協会本部の応接室にいた。


 勇者辞めます。やっぱり辞めます。


 そうアイゼンが宣言してから5分が経過している。


「もうちょっと、もうちょっと……ね? 頑張ってみません?」

「ほんと評判がいいだよ君。今まで一番いいの、頼りになるのよ」


 会長の男と側近の男が対面で座り、アイゼンを全力で遺留に掛かっている。

 アイゼンは頼られると断れない性格。

 協会側はそんなアイゼンの性格など百も承知だ。


 実際に、アイゼンはこの時点で既に「もうちょっとなら」と言いそうになっている。


「あのーちょっといいすか」


 そんなアイゼンの助け舟になったのはニースだった。


「そもそも、勇者って何が仕事なんすか」

「それは、困った人を助け、悪を成敗する事ですよ! 皆の憧れ、皆の勇気!」

「あーそういうのいいんで」


 ニースは暑苦しく語り始める側近をあしらう。

 説明が苦手なニースに代わり、ジェインが質問の意味の説明を始めた。


「勇者への依頼があまりにも小さすぎる。勇者が何でも屋に成り下がっている。そうは思いませんか」

「頼られる、慕われる、勇者とはそういうものです!」

「あー、そういうのマジやめてもらっていいっすか」


 ニースは相手がお偉いさんである事も気にせず、腕組みをしてため息をつく。

 冒険者とはおおよそ粗暴なものだが、ここまで態度がデカい者もそうはいない。


「他の冒険者に出来ない事だけさせるか、いっそもう勇者制度辞めちまえ」

「何だね君は。さっきから随分と態度が大きいが」

「退治屋」

「ニースはアイゼンが次期勇者候補として選んだ冒険者ですよ」

「は?」


 会長と側近はあからさまに見下したような態度を見せる。今までの勇者候補とは似ても似つかないからだ。

 ただ、「こんな者を連れて来るほど辞めたがっている」という事は伝わったようだ。


「勇者さん、頑張りましょう。俺が支えますから」

「いや何でお前寝返ってんだよ、アイゼンの力になるんじゃねえのかよ」


 なぜかアーサーは協会側に付いている。

 尊敬するアイゼンの引退など考えられないようだ。


「お、俺は……」


 アイゼンが辞めたいと思っているのは本当だ。

 だが期待されているのも分かっている。

 自分が辞めたなら、次の者がまた同じ苦しみを味わう。


 アイゼンはそれを変えようと決意し、ここに来た。はずだった。


「ゆ、勇者の在り方は……確かにニースの言う通りがいい、と」

「アイゼンくん。君、今までの歴代の勇者を否定するという事かね?」

「いやあ、君がその気ならまあそれも考え方の1つだけどさ。そういうの後々響いちゃうよ?」


 会長と側近はアイゼンの性格を手玉に取り、なんとかして勇者を続けようとさせる。

 アイゼンが胃を抑え、言葉を詰まらせる姿を見て、ニースはたまらず口を挟んだ。


「アーサー、おめえアイゼンが苦しんでんの分かるだろ」

「……僕は、アイゼンさんに勇者でいて欲しくて」

「おめえの憧れの勇者さま、こんなんなってんだぞ。いいのかそれで」

「……それは」


 アイゼンの顔色が悪い。

 ネッコがアイゼンの膝に飛び乗り、心配そうにアイゼンの腹を温めようとする。


「あーあ、こんな時、勇者はどんな味方が欲しいと思う?」

「僕くらい強くて頼もしい仲間です!」

「驚いた。アーサー、君はニースよりも頭が悪いんだね、可哀想に」

「オレくらい気の利いたヒールできるようになってから頼もしいって言え」


 全員の口の中にしょっぱさが広がり、ニース以外が顔をしかめた。

 ネッコだけは驚いて舌なめずりをし、目を輝かせている。飼い主に似たようだ。


 ニースのペースに捕まると、どうにも話が前に進まない。

 言葉を発せずにいるアイゼンに代わり、ジェインが会長へと質問を投げかけた。


「なぜ冒険者協会は勇者を必要とするのだろうか。冒険者がこなせば回るはずだ」

「……それは機密事項であり、王子であるあなたにもお伝えするわけには」

「そうですか。では、うっかり歴代の勇者はドラゴン退治なんて行ってない! などと言わないように気を付けて帰ります」


 ジェインが悪い笑みを浮かべ、席を立とうとする。

 この3人が勇者の真相を知っていると気付いた会長は、慌ててジェインを制止した。


「待って、待って下さい!」


 会長が両手を合わせながら頼み込む。


 退治屋が言う事など、大した影響力はない。

 だが王子が話してしまえば、多くの者が真実だと受け取ってしまう。

 実際に真実なのだが、それが広まれば、今までの勇者制度も冒険者協会も崩壊だ。


「分かりました。勇者制度を維持する理由、お話します」

「か、会長!」


 側近が駄目だと言って会長の腕を揺さぶる。

 しかし、そんな仕草をしてしまえば、何かを隠していると告げたも同然だ。


「あー、ボクって声が大きいし、内緒話が他人に聞こえてしまうかもー」

「言います、言いますから! お願いです、外には漏らさないで下さい!」

「外にお漏らしって、なんか笑える」

「ニース」

「あ、はい」


 ジェインがアイゼンに視線を向けるも、アイゼンも初耳のようだ。

 勇者の真の存在義は、勇者にも知らされていなかった。


「……その、牽制なんです」

「誰に対してですか?」

「ま、魔王です」


 会長が深刻そうな顔で打ち明ける。

 だが、アイゼン達は全員ぽかんと口を開けたままだ。


「魔王やドラゴンは伝説上の存在だと」

「はい、確かにそう言いました」

「いやあね、いるんですよ、本当は。魔王はいるんです」

「ついでに言うと、魔王っていうのがドラゴンなんですよ」


 会長の話はこうだった。


 遥か昔、ドラゴンと人との間で縄張り争いが続けられていた。

 多くの命が失われたが、ある勇者と呼ばれた男がついにドラゴンを倒した。


 ドラゴンは迂闊に人に手を出せないと分かり、棲み処を山奥に移した。

 けれど、ドラゴンは諦めていない。いつか人の土地を奪うつもりでいる。


「彼らの天敵は勇者です。ドラゴンは勇者という言葉を嫌という程記憶に焼き付けています」

「勇者がまだこの世にいる。勇者は今でも活躍している。そうなればドラゴンも手出しできません」


 会長達の話を聞き、アイゼンはようやく自分の存在意義と役目を理解した。


「つまり勇者がいて、何かしら各地でやっていたら、それだけでドラゴンを牽制できる。ということですね」

「そういうことです。実は、勇者だから何をして欲しいという事は何もないんです」

「でも、何かして貰わないと……ほら、名声も上がらないし」

「俺は、そんな事のために……」


 そんな事のために、長年胃薬を飲み続けてきたのか。

 そう思うと、アイゼンは何とも言えないやるせなさを覚えてしまう。


 勇者がいなければ世界が滅びる。

 だが、かといって何をしたらいいという仕事は特にない。

 だったら、毎日スピーカーで勇者勇者と連呼していろという話だ。


「なんだか、謎が解けた気分だ。その意味でなら確かにアイゼン、君は勇者として相応しい事になる」

「勇者制度を止める訳にはいかないし、役割を制限すると名声も轟かない……」

「ですから、勇者は必要なんですよ。だから頑張って、勇者候補の募集もまだですし」


 今ここで勇者を辞める事は出来ない。

 細かい依頼を露骨に嫌がるニースでは、勇者の真の目的には不向きだ。

 だが、アイゼンはこれ以上体がもたない。


 皆が考え込む中、解決策を思いついたのは脳筋組だった。


「じゃあ本当にドラゴン退治に行ったら……いいんじゃないですか」

「そうだな、倒そうぜ! ドラゴンがいなくなりゃ、勇者いなくてもいいよな!」

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