用法・用量を守れないトランス系大魔法。



 木々や葉っぱは触れるとどこか柔らかい。

 周囲の森に見えているものも、土に見えているものも、全て本物ではなかった。


「この森そのものがモンスターなんだ!」


 3人は慌てて来た道を引き返そうとする。しかし街道はなく、森の入り口も見えない。

 そのうち頭上が暗くなり、小雨が降り始めた。


「ブランケットで体を覆え! 消化液だ!」

「体内を森に擬態? こんなモンスター聞いたことがない!」

「太陽だと思ったものも、俺達を惑わす罠だったのか」


 靴底もすでに半分が溶けている。

 まだ出口がどこか分からない。このままでは明日には消化されてしまう。


「マァー、マァーォ」

「ネッコ?」


 ニースの胸元でネッコが鳴き始めた。

 首輪が痒いのか、必死に外そうとする。


「どうした、苦しいのか」

「ムァーー」


 ニースはブランケットを羽織りながら、ネッコの首輪を少し緩めてやった。

 飼い主の責任の証として、首輪は絶対に外すなと言われている。

 ニースももちろん首輪を外すつもりはない。

 だが、誰もニースに「緩めてはいけない」とは言わなかった。


「あっ、ネッコ!」

「ムァァァー」

「待てネッコ!」


 ネッコがニースの胸元から飛び出し、前方へと駆けて行く。

 足元も全て消化液が染み出している。裸足のネッコなどひとたまりもない。


「どうしよう、ネッコが!」

「ニース! さては君、防具を洗って寝なかったんだね! きっとネッコはニオイに耐えられず……」

「ごめんネッコ! ちゃんと次の町で防具洗うから! つかネッコもまあまあくせえぞ」

「お願いだ! 洗った後は防具より先に緊張感を身に着けてくれ!」


 ニースの泣きそう……どころかもう泣いている声を気にも留めず、ネッコはどんどん先へ行く。


 襲い掛かる消化器官を剣で斬り払いつつ、ニースは必死にネッコを追いかける。

 ふいにネッコが立ち止まって振り向いた。


「ネッコ! ああお利口さんだ、こっちに来い!」

「ムァー……」


 ニースに続き、ジェインとアイゼンも全速力だ。

 そんな3人に対し、ネッコが急に大きな口を開いた。


「えっ」


 ネッコのおぞましい口は、3人を丸呑み出来そうな程大きい。

 全速力の3人は速度を落としきれず、ネッコの口の中へとなだれ込んでしまった。


「食べられた!?」

「まさかこいつ俺達を食うために……」

「ネッコはそんな事しない!」

「現状を把握して言ってくれ、今俺達はネッコの口の中だぞ」


 このままではネッコに消化されるのが先か、森のモンスターに消化されるのが先か。


「こいつ……しっかり口を閉じやが……おっと!」


 ふいにニース達の体が揺れた。

 ネッコがニース達を飲み込んだまま歩き始めたのだ。


「ボク達を食べたのだとして、噛んだり舐めたりするような仕草はないね」

「口の中に入れただけじゃ、消化はできないよな」


 ネッコは顔を引き摺りながら、ニース達を飲み込む事もなく歩き続けている。


「ネッコ、もしかして君……ボク達を守ろうとしているのかい?」

「えっ」

「ボク達を食べたんじゃないよ、消化液から守ってくれているんだ!」


 ジェインがネッコの思惑を考察した途端、ニースの目から涙が溢れた。

 飼い始めてまだ1日だというのに、もう飼い主バカに成り果てたようだ。


「ネッコ、お前……」

「だってそうだろう? ニースの防具が逃げ出したくなるほど臭いと分かっていながら、それを口に入れるなんて余程の覚悟が必要だ」

「ああぁネッコ、お前オレのためにいぃぃぃ……!」


 ジェインの悪気のない毒も、今のニースには全く効かない。

 ニースは大粒の涙を流し、有難う有難うと繰り返す。


 ニースの涙が、ネッコの大きな舌にポタリと落ちる。その瞬間。


「ぶぇー」


 ネッコが思わず3人を吐き出した。


「うわっ、なんだ、どうした!」

「ぶぇーっ、ペッ! ぶぇ……」


 涙の味がお気に召さなかったようだ。3人は渋い顔で舌を回すネッコを振り返りつつ、周囲の状況を確認する。


「おい、あっちだ! あっち……森の奥に見えるけど、ただの模様だ」

「えっ」

「って事は、そこを破れば外に出られる!」


 ニースはネッコを抱き上げてよく拭いてやり、急いで胸元に隠した。

 そのまま剣を両手に持ち、消化液など気にもせず臓器の壁に斬りかかる。


「おのれネッコの仇!」

「「いやネッコは死んでないが」」


 ジェインとアイゼンの発言が思わず被る。


 ニースは大きく跳び上がり、剣を高く構えた。限界まで体を逸らせ、反動をつけて剣を振り下ろす。


「ギェェェェ!」


 モンスターが痛みで叫ぶ。まだ穴は開かないが、効いているのは間違いない。


「俺も加勢する! ジェイン、魔法を放て!」

「えっ、でも……」

「消化されるよりはマシだ! 俺達がいない方向へ放ってくれ!」

「わ、分かった!」


 ニースが大きく斬り裂き、アイゼンが細かな傷を無数に付けていく。

 傷みに耐えられなくなったのか、モンスターが大きく口を開いた。


「風だ……出口があるぞ!」

「どっちだよ!」

「光のある方……右手だ! 右の方がほんのり明るかった!」

「さすが勇者! あざとい!」

「……もしかして、めざといと言いたかったのかい?」

「あ? ちょっと意味分かんないすね」


 ニースとアイゼンが攻撃を止め、口側へ向かおうとする。


「ジェイン! 口の方へ!」

「え、えええっ、ああぁぁごめん無理!」


 ジェインが一瞬迷った後、体を淡く光らせた。魔法が発動するという事だ。


「えっ、今発動!?」


 火炎旋風か、それとも大地震か。


「ちょ、ちょっとジェイン! この状況で今一番駄目なやつ!」

「そんな事を言ったって、ボクが決めた訳じゃな……」

「いいから逃げろ!」


 どこからともなく大きな水の流れが押し寄せてきた。


「うわぁぁぁ!」


 広い広い空間がどんどん水で満たされていく。

 しまいには高いと思っていた天上にまで達してしまった。


「やべえ、溺れる!」

「泳げ……ブグブグ……」


 3人がとうとう水に呑み込まれた。このままでは消化どころか溺死だ。


 ただ、モンスターにとっても状況は同じだった。

 腹の中でどんどん水が湧き出せば、いつかは限界が訪れる。

 直後、周囲の水が急流となって口へと向かい始めた。


 モンスターが水を吐いたのだ。


「うわーっ!」

「出口だ!」


 急に周囲が明るくなったかと思うと、3人は礫砂漠の地面に叩きつけられた。

 水の流れは礫砂漠の地面にどんどん吸収されていく。


「ゲホッ、ゲホ……ネッコ、ああよかった、大丈夫だな」

「今のうちに逃げるぞ!」


 3人はずぶ濡れの状態で立ち上がり、すぐにモンスターとおぼしき森から距離を取る。


「こんなモンスター、報告された事、ないぞ」

「報告がないって事は、助かった奴がいないという事かもしれない」

「……何だって?」


 アイゼンの言葉に、ジェインが足を止めた。

 その表情は怒りに満ちている。


「ジェイン、早く離れないと!」

「……つまり、大切な国民を、こいつが食べた、という事だね」

「そうだ! 早くみんなに知らせ……」

「許せない!」


 ジェインが強い風を纏って森を睨む。

 手をかざし、普段の穏やかな彼とは思えない憎悪を練り上げていく。


「お、おい」

「おのれ、国民の仇!」


 ジェインが魔法を暴発させた。急に上空を厚い雲が覆い始める。


「天の裁きを!」


 ジェインが高々と叫んだ瞬間、空が裂けたかのような雷が森を撃った。


「ギエェェェッ!」


 森全体が耳をつんざくような悲鳴を上げる。その間、雷は何十と森へ落ちていく。


「わはは! 悔いてももう遅い! 裁きのいかずちが血に飢えておるわ!」


 ジェインは豹変し、まるでトランス状態だ。

 ニースとアイゼンは開いた口を塞げずに顔を見合わせる。


「魔法の才能がないと信じ込ませた城の人達の苦労、今なら分かる気がする」

「オレが言うんだから間違いねえ、ジェインはやべえ」

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