第20話 下着の一件

「あ……もうこんな時間……明日に備えてそろそろ寝なくちゃ……」


「え、ちょ、お姉ちゃんッ? まだお昼だけど?」


「あ……そうだったね……もうこんな時間じゃなくて……まだこんな時間だった……だね……」


「……で、でもお姉ちゃん、かなり疲れてるっぽいから、休んだ方がいいとも思うけど……」


「そうだよね……私が居ると……空気を悪くしちゃうよね……」


「あ、あたしそんなこと一言も口にしてないけどッ⁉」


「ごめんね……空気も読めないダメなお姉ちゃんで……ほんとに――ごめんッ」


「お姉ちゃんッ!」


 バンッ! と勢いよく閉まるドア。陽葵さんの伸ばした手が力なく下がる。


 結論から言うと、陽葵さんの予想は外れてしまった。


 ゴールデンウイークも最終日。パエリア騒動から2、3日以上経過したが、月姫さんは未だ悲観的でいる。


 椅子の上で膝に顔を埋めていたのはあの日だけだった。日常生活も一見すると普段通り送れているように映る……が、要所要所でおかしな言動が見て取れる……先ほどのがいい例だ。


「………………」


 呆然と立ち尽くしていた陽葵さんが、半ば放心状態のまま席につく。復活の兆しが見られないどころか、むしろ悪化していってる現状だ……無理もない。


 大丈夫ですよ、なんて安易で無責任な発言は避けるべきだろう。お世辞にも大丈夫とは言えないから、却って失礼になってしまう。


 俺は黙ったままいることを選んだ。がしかし、沈黙はそこまで長く続かず。


「お姉ちゃん、完全にヤバい」


 視線を机上に固定し、ぽつりと零した陽葵さん。その表情は深刻とも楽観とも違う、中間でありなんとも言えない様子に見受けられる……まあ確かに、見方によってはネタにも思えるが。


「ねえ、お姉ちゃん完全にヤバいよね?」


 今度は独り言じゃなく、疑問という形で俺に投げてきた。


 こっちをじっと見つめてくる陽葵さんに正直に返すべきか、しばしの逡巡を挟んだ後、俺はそれとなく答えることに。


「……ほ、本調子ではなさそうですね」


「だよね……絶不調もいいとこだよね……お姉ちゃん、今年で19歳だよ? いい大人が料理の下手さ加減にあそこまで落ち込む? 普通は落ち込まないよね?」


「どうなんですかね……料理下手に限定してしまうと、どうしても特殊なケースのように思えてしまいますが、如何せんその理由で落ち込んでいる人を他に見たことがないので……こればっかりはなんとも」


「落ち込むこと自体は百歩譲っていいとしても、落ち込み方のは問題あるでしょ……あんたも忘れたわけじゃないでしょ? こないだの〝下着〟の件」


「それは……まあ、はい」


 下着の件を持ち出してきた陽葵さんと視線を交わしているのがどうにも憚られ、俺は目を逸らしてしまう。


 忘れるのは難しいだろう。まだ日も浅く、且つ衝撃的だったのだから。


 ~~~~~~~。


 2日前のこと。俺がいつものように外に干した洗濯物を取り込もうとしたのだが、何故かベランダには俺の私物がなかった。


 戌亥舞輝として生活するようになってから初めてのことだった。暗黙の了解で姉妹二人とは洗濯物を別々、干す時間帯もずらしているから当然なのだが。


「あ、戌亥さんの洗濯物なら私が取り込んでおきましたよ。お洋服も下着も畳んでしまっておきました」


 なんてことない、月姫さんはが気を回してくれただけのことだった。


「ありがとうございます」


「いえいえ」


 その時は特に深く考えていなかった。感謝しかなかった。


 ――が、その日の夜に事件は起きた。


「――ちょっとちょっとちょっとちょっとおッ! なんであんたのがあたしのとこに置いてあんのよ!」


 血相変えて自室に怒鳴り込んできたのは陽葵さんだった。俺のパンツを片手に肩で息をしながら射殺すような視線を向けてきた彼女の顔は今でも鮮明に覚えている。


 因みに、片手にと形容したがより細かくすると摘まんでいたが正確だ……一応、彼女の名誉の為に。


「ど、どうして陽葵さんが俺のパンツをッ⁉」


「こっちが聞きたいわよそんなことッ! てか、あたしの服はッ! 下着はッ! どこッ!」


「いや、俺に言われても…………あ」


 思い当たる節があった俺はすぐさま自室の収納ケースの引き出しを片っ端から開け――陽葵さんは意外と攻めているのだと知った。


 下着泥棒! 変態! 日本の恥! 等々、散々罵倒された。


 それでも俺は必死に説明し続けた。その甲斐あって陽葵さんは聞く耳を持ってくれて、最終的には理解を示してくれた。


「洗濯に関しては当番制でやってるのよ。学校がある平日はお姉ちゃんが、休日はあたしがってサイクルで。それで、今日はあたしが当番の日だったんだけど……あんたと同じで、お姉ちゃんがやってくれたわ」


「となると月姫さんが間違えて…………でも、間違いようがなくないですか?」


「……今のお姉ちゃんなら……ワンチャン」


「……あり得そうですね」


 それが、俺と陽葵さんの答えだった。


 本人に事実確認は今尚していない。多分、しても意味ないから。


 これが、陽葵さんの言った下着の一件――絶不調な月姫さんが起こしたエピソードの一部である。




――――――――――――。

どうも、深谷花びら大回転です。


不思議なんです……この作品限定の話なんですが……中々筆が進まなかったんです。


でも、今回、下着の話を書いてる時は…………自分でも引くぐらいスラスラと文字を生みだせて……。


……パンツ……はぁ……はぁ……パンチュウ……はぁ……はぁ……。












足りなかったものは、パンツなのかもしれません。

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