第17話 涙の完食
……パエリアって料理はもっとこう、暖色系だよな? もっと見映え良かったよな? こんな禍々しくなかったよな?
目の前にあるフライパンに盛られたドス黒い液体のなにかと、俺の知るパエリアはなにからなにまで違う。これはあれだ……冗談抜きで魔女が鍋で煮込んだあれだ。
吐き気を催すレベルのおぞましい見た目。鼻をつんざき泣くことを強制してくる刺激臭。ただの料理下手には生みだせない一品……彼女は一体。
俺は対面の席に腰を下ろした月姫さんに視線を向け、訊ねる。
「これ……味見とか、しました?」
「いえ……朝からなにも口にしていない戌亥さんに、早く食べてもらいたいという一新で作ったので」
「そ、そうですか……」
「盛り付けはちょっと失敗しちゃいましたけど、味は本場を再現できていると思いますよ?」
「………………」
正直な話、彼女の正気を疑ってしまった。ちょっと失敗しちゃったで可愛く片づけられる散らかり様じゃないし、口にしなくても本場を冒涜しているのがわかる出来……月姫さんはなんとネットで検索したのか……謎である。
「熱々の内に――どうぞ、召し上がってください!」
「は……はい……」
月姫さんの期待を孕んだ視線に逆らえず、俺はスプーンを手に取り
…………死ぞ。
目線の高さまで持ってきたスプーン。その先端に溜められた液体が徐々に少なくなっていってるのは俺の手元が震えてしまっているからに他ならない。
その奥では固唾を吞んで見守る月姫さん。食べる振りして戻せばいいという俺の閃きを悪意のない眼差しが阻んでくる。
……いくしか、ない。
俺は覚悟を決め口の中へ。
――――――――――――ンンッ⁉
即座に両手で口元を塞ぐ。思わず吐き出しそうになってしまったが、寸でのところで防げた。
甘いとかしょっぱいとか辛いとか苦いとか酸っぱいとか、そういう一般的な味じゃない。というより、果たしてこれを『味』にカテゴライズしていいのかも疑問だ。
身の毛がよだつ食感も相まり最悪……『実はこれ、この世に蔓延る負の感情をスパイスとしてふんだんに加えてあるんですよ』と言われても納得できてしまうぐらいに最悪。さっきから全身が異物の侵入見過ごせんと拒否反応を示している。
「お、お口に合わなかった、でしょか?」
俺の反応を見て不安そうな面持ちになる月姫さん。ここで吐き出した日には彼女を傷付けてしまう……それはできない。
俺はお茶の入ったコップを手に取り、異物ごと無理矢理胃に流し込む。
「はぁ……はぁ……はぁ………………泣けるくらい、美味しいです」
「ほんとですかッ⁉ 嬉しいです――作った甲斐がありました!」
視界がぼやけているのは涙のせい……そのせいで月姫さんの顔がひどく不明瞭に映るが、嬉々とした声は確かに俺の耳に届いていた。
たった一口だけでご馳走様に至れば、ぬか喜びで終わらせてしまうことになるだろう。
美味しかったという嘘が嘘にならないようにする為には……完食が不可欠だ。
……………………。
これをたいらげるのは苦行以外のなにものでもないが……今まで姉妹二人に与えてきた苦に比べれば……可愛いもの。
根性見せろ……男の俺がこの程度のことで臆しているなんて情けないだろ!
そう己を鼓舞し、俺は未だ震えが治まらない手を動かした。
――――――――――――。
「ごぉ……ごぉ……ごちそうさま、でした……」
「お粗末様でした!」
喜色満面の笑みを浮かべている月姫さんに俺は引きつった笑みで返す。精一杯作った表情がこれだ……いやぁ、恐ろしい。
口から黒煙が出ていてもおかしくない不快感。体調はすこぶる悪い……顔色も青くなっていることだろう。
月姫さん特製パエリアが直接作用しているのか、あるいは俺の思い込みによるものなのか、定かではないけれども……とりあえず横になりたい。
「見てるこっちまで食欲そそられるくらいの食べっぷりでしたね! 米粒一つ残らず綺麗に食べていただいて嬉しいです!」
「え、ええ……朝からなにも口にしてなかったので……手が止まりませんでしたよ……」
「そうですよね、お腹ペコペコでしたよね……あ、おかわりもあるので是非!」
さすがに無理。
「も、もうお腹一杯なので、遠慮しときます……すいません、眠くなってきたので、ちょっと横になってきます」
「あ、はい。ゆっくりお休みになってください」
許された。
俺はペコリと月姫さんに頭を下げて席を立ち、おぼつかない足取りで自室へと戻った。
【如月月姫】
「……お腹減ってきたなぁ」
戌亥さんが部屋に戻ってから1時間。空腹感に苛まれた私は一人、キッチンへ足を向ける。
「上手にできて良かった」
余分に作っておいたパエリアを見て、戌亥さんの豪快な食べっぷりを思い出す。
あの時の戌亥さんは死んだお父さんとそっくりだった。
お父さんもよく、私の料理を泣きながら食べていたから。
そして食後も決まって『幸せの満腹感で安眠できそうだよ』と……お父さんは笑顔で言ってくれたっけ。
不眠症に悩まされていたお父さんにそう言ってもらえて、少しでも役立つことができて、嬉しかったのを今でも覚えている。
「……お父さん」
懐かしさと寂しさによって心が沈みかけていることに私はハッとし、雑念を払うようにかぶりを振る。前を向いて歩くと決めたのに、後ろを気にしてしまうのは……私の悪い癖だ。
「……せっかくだし、私も食べてみようかな」
気を取り直してと、私はフライパンに乗せられたパエリアを温め直し、頃合いを見て小皿に移す。
「どれどれぇ……はぁむ!」
そして、スプーンで掬いパクっと一口。
「ゔッ――――」
直後、口の中で想像を絶する不味さが広がり、反射的に吐き出してしまった。
「はぁ……はぁ……………………」
あまりの不味さに言葉を失い、呆然と立ち尽くす。
それから、鈍くなった思考がまともに働くようになるまで、決して短くない時間を要したのだった。
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