第16話 お待たせしました――この世の終わりです!
まずい……料理がじゃなく命の保証がないという意味でのまずい……いや、料理も不味いんだが。
月姫さんの作る品々は基本的に美味しくない。けれども食べられなくもない。これは修行なんだと自分に言い聞かせれば無理矢理流し込むことはできる。胃が受け付けずに逆流などもない。
でもそれらは全部、彼女が得意と謳って振る舞っているもの。
口振りから察するにパエリアを作るのは今日が初めてのよう。得意としている料理があのクオリティと考慮すると……人が口にしちゃいけない未知なる劇物が生まれてもおかしくない。最悪、死に至る可能性も。
さすがに死は大袈裟かもしれないが、なんらかの害はありそう……できれば毒見役のような真似は避けたいが――。
「戌亥さんのお口に合えばいいのですが……」
「大丈夫! お姉ちゃんの作る料理はなんでも絶品だから! きっとコイツも箸が……いや、パエリアだからスプーン? まあどっちでもいいや! とにかく、食べる手が止まらなくなっちゃうこと間違いなし!」
「そ、そうかな? ……なんだか凄くこそばゆいけど、自信ついたよ! あ、陽葵ちゃんの分も作っておくからね!」
「……え? あ、いや、いいからッ! あたしはいいからッ! お昼も夜も外で済ませるからお構いなく!」
「そっかぁ……それじゃあ、しょうがないね」
「そう、しょうがない! だからあたしの分もコイツに――たらふく食べさせてあげて! ね?」
「うん!」
いらないですとは言えない雰囲気。陽葵さんも一度は墓穴を掘りかけたが、なんとか埋め直すことができ安堵している。
その埋め直しによって俺の
もう、覚悟を決めるしかないか……ただ、せめて――1人前でお願いしたい! それだけはちゃんと伝えておかなければ。
意を決す。俺は「あ、あのぅ」と控えめに手を上げ、上機嫌な様子の月姫さんに向かって言を発する。
「そんなに張り切らなくてもいいですからね? 1人前で……それより少なくても十分ですから」
「そ、そうですか」
「ええ。これもあるので、お昼はあまり食べられないかもと思いまして……残すのも申し訳ないので、事前に」
俺が目の前に置かれたお弁当、手前の一辺を手で持ち上げ言うと、月姫さんは笑みを浮かべて「わかりました」と吞んでくれた。心なしか声の弾み具合が弱まった気がするが、これで最低レベルの確保はできた。
そう思ったのも束の間、
「別に、お弁当食べなきゃいいだけの話じゃん」
陽葵さんが茶々を入れてきた。
「た、確かにそうかもしれませんが……賞味期限の関係もありますから」
「いつまでなの? それ」
「……今日の朝7時までですけど……早く消費するに越したことはないので」
「大袈裟よ、外見に反して繊細すぎ。今日の朝に期限が切れたぐらいのお弁当なら夜でも美味しく食べられる。2、3日経っても普通に食べられる――あたしならね!」
「……やっぱり、俺はちょっと……陽葵さんが言ったように繊細なので」
嘘だ。俺も陽葵さんと同じで賞味期限を気にしないタイプの人間。あまりにも過ぎている、見た目に異変が生じている物はさすがに無理だが、基本はいける。それこそ2、3日程度だったら余裕で。
でもそれは明かせない。明かしたら最後、『じゃあ夜でいいじゃん』に帰結してしまう。
この話はもう終わり! そうなってほしかったが……陽葵さんは諦める気がないらしく、矛盾をついてくる。
「繊細って自分で言うぐらいなら賞味期限が切れてる時点でアウトじゃない?」
「そ、それは…………さ、3秒ルールならぬ3時間ルールを自分の中で設けてましてッ――」
「3時間以上経ってるけど?」
「……4時間の間違いでした」
俺の放った苦し紛れの逃げ口上に対し、陽葵さんは勝ち誇ったような表情で捕まえにかかってくる。
「あ、もしかしてぇ……そこまであんたが頑なになってるのって単にお姉ちゃんの料理が食べたくないってだけの理由だったりして」
「え……」
消え入りそうな声を零した月姫さん。その表情は段々と暗くなっていく。
「で、ですよ、ね…………私のなんて、口にしたくもない、ですよね」
「お姉ちゃん……」
陽葵さんは俯く月姫さんの肩にそっと手を乗せ、俺に非難の目を向けてくる。
小学生の時、名前を思い出せない女子にドッジボールで顔面に当ててしまった記憶が想起される……あの日の罪悪感と一緒だ。
陽葵さんはどうしても俺に月姫さんの手料理を食べさせたいみたいだ。そして結果として思い描く通りになった…………これはもう、反則級。
「…………や、やっぱりお弁当はやめます。月姫さんの料理をたらふく食べたいので」
折れるしかないだろ。
――――――――――――そして。
陽葵さんは出掛け、迎えた正午。
「――お待たせしました! どうぞ、月姫特製パエリアです!」
エプロン姿の月姫さんが出来立てホヤホヤのパエリア……という名の〝この世の終わり〟を運んできた。
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