第14話 お前……誰?2

 ……コイツ。


 不躾なまでの強い視線を送ってくる江口に見せつけるよう、俺はわざとらしく溜息をつく。


「誰って……見ればわかるでしょ」


 そして小馬鹿にする口調で返した。


 この男を目の当たりにした時から今に至るまで警戒レベルは常に最大、一度も引き下げていない。だからと言うのは少々都合の良い捉え方だが、生じた動揺は上手く誤魔化せたと思える。


 ただ、動揺を隠せた=生まれた疑念が晴らせたとはならない。江口もまた、俺を煽るようにいやらしくにたつく。


「そうじゃねぇよ。俺が言ってんのは中身の方……『人が変わったように』っつったのは冗談なんかじゃなく……結構本気だったんだぜぇ?」


「じゃあなんです? 俺に霊的な存在が憑依したとか、もしくはなにかの拍子に人格が別の誰かと入れ替わったとか、そういったオカルト的な現象が俺の身に起きた……そう睨んでいると? 馬鹿馬鹿しいですね」


 俺は敢えて、事実を混ぜて江口を嘲笑あざわらった。下手に隠すよりも表に出してしまった方が却って薄れると、そう考えたから。


 それに、客観的に見ればヤツの述べてたことはちゃんちゃらおかしい。どれだけ怪しもうと、根拠があろうと、他人の心が覗けない以上は憶測の域を出れない。なら、何食わぬ顔して悠然と構えていればいい。


 重要なのはこの手の手合いに弱みを見せないこと。反抗的な態度を取っているのもその為。


 今、目の前にしているこの男も、戌亥舞輝と繋がりがある時点で紛れもない害悪、底辺の人間だ。


 が、底辺の中では頭が回る方――少なくとも馬鹿じゃないように思う……思える。


 だからこれしきのことで我を失ったりはしないだろうという、ある種の信頼。


 その勝手な信頼を江口は裏切らなかった。声を荒げたり灰皿で殴ってきたり等の単細胞ムーブはせず、どこ吹く風といった様子。


「確かに、言ってる自分でも笑っちまうぐらいに馬鹿馬鹿しいなぁ……でも、俺はそういう馬鹿馬鹿しい話が大好きでよぉ……ほら、こんな見た目してるんだ――説得力はあるだろぉ?」


 両手を広げると同時に顎を上げ、俺を見下ろす江口の姿はまさに、うさんくさい宣教師。流されやすい人は簡単に喰われてしまうことだろう。


「外見で説得力を訴えられたところで『だからなに?』としか……すいませんが、こっちの迷惑も考えてくださいよ」


「チッ……ノリがわりぃなぁ」


 興が冷めたか、小さく舌打ちした江口は横に広げていた両手をだらりと下げる。


「でもな……今のお前には不自然、違和感を禁じ得ない部分が多くあんだよ」


「どう感じるも江口さんの自由ですが……俺は心身ともに変化はないと主張し続けますよ。あと、喋り方や振る舞い方を一新したのは社会に出る為の謂わば準備運動であって、その辺を誤解されているようなら言葉足らずで申し訳ないと、謝りますが?」


「準備運動ねぇ……必要ないんじゃねぇか? 俺からすりゃあ今のお前はもう立派で平凡な社会人だぜぇ?」


「そう映っているのなら俺にとっては喜ばしいことです。日々の努力が成果に現れているわけですから」


「……よく喋るなぁ」


 江口は色褪せた瞳に俺を映したまま続ける。


「まあいい。曲げるつもりがないってことは良くわかった。これ以上は時間の無駄、水掛け論になっちまう…………つーことで、話はこれで終わり。俺はもうちょいここにいるから、お前はもう帰っていいよ」


「……1000万はいつお支払いすれば?」


「ん? ああ、そうだなぁ……」


 顎先を親指でなぞる江口は意地悪そうに笑う。考えているようでその実、なにも考えていない。訊かれる前から答えは既に決まっている、そんな感じだ。


「……1ヶ月後、だな。常識的に考えて」


「1ヶ月後ですか。俺としてはすぐにでも関係を断ちたいので、できれば早くがいいんですが」


「おいおい、これから真っ当に生きると誓った人間が口にする台詞かよそれぇ……言ったろ? 常識的に考えての1ヶ月後だって。『退職したいです』って意思表示したらそれで終わりか? 違うだろ? 大抵の会社は退職希望日の1ヶ月前にって就業規則に記されてるはずだぜ? んなこと、俺でも知ってるぞ?」


「………………」


 まさか、社会の枠組みから外れた人間に社会を教えられるとはな……こっちの世界でも就業規則があるのかははなはだ疑問だが、社会復帰を目指していると表明した以上、反論はできないか。


「……わかりました。では、1ヶ月後」


「おう。当日には俺から連絡を入れる」


「はい」と頷き、俺は席を立つ。


「――あ、そうだそうだ」


 ドアノブに手をかけたところで江口が思い出したように声を上げた。俺は振り返らずに続きの言葉を待つ。


「随分とオモチャに入れ込んでるみてぇだけど、間違っても救いたいとか思わないことだな……あのオモチャに関しては、偽善を働く資格すらお前にはない」


「…………」


 俺は顔だけ振り返らせ、『どういう意味だ?』と江口に視線で問いかける。


「そう怖い顔すんなって……意味はじきにわかるよ。なにも知らない名無しの権兵衛さん」


 答える気がない様子の江口を見て、時間を無駄にするだけだと悟った俺は、視線を戻し個室を後にした。


 戌亥舞輝の全貌は、まだ見えない。

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