第11話 「そしてあたしは――」

「…………それ、本気で言ってる?」


 すべてを聞き終えた陽葵さんの第一声はそれだった。訝しげな顔をしている彼女は俺の語ったことを疑っているというより、正気を疑っているよう。


 まあ無理はないか……逆の立場だったら俺もそうなっていただろうし。


 故に陽葵さんの反応は至って当然。しかしながら事実でもあるので、俺は正気を疑われ続けることになる。


「本気です。そして、全部本当の話です」


 全部と言っておきながら、一つだけ伏せていることがある……陽葵さんがいるこの世界が、元居た世界で言うところの大人向け漫画であることは明かしていない。この情報については必要ないだろう。


「……………………」


 陽葵さんは無言のまま、顔を前に向けて顎に手を当てる。


 一応は真剣に考えてくれているのだろうか、彼女は難しい顔して一点を見つめている。


 少しして、陽葵さんは横目で俺を捉え、口を開いた。


「……今語ったことが全部ホントだったというていで、一度整理させて。まず、あんたは戌亥舞輝が自分だって認識があって、且つ死ぬ前の――前世の自分も名前が思い出せないだけで確かに自分だと認識している」


「そうです」


「んで、戌亥舞輝に関しては名前や生年月日程度しか知らなくて、記憶のほとんどは前世のもの……過去の自分についてさも当然のように語れたのも記憶自体は残っているからで、けどそれは戌亥舞輝の記憶じゃない」


「ええ。その通りです」


「…………一応、筋は通ってるのね」


 陽葵さんは溜息交じりに零した。どこかしらにほころびがあれば信じなくて済むのに……そう言っているみたいだ。


「あんたからしてみれば事故をキッカケに別の世界の見ず知らずの人間に生まれ変わったわけだけど、あたしを含めた周りの人間には内側の変化がわからない。そりゃ、不気味なくらい人が変わったなとは今でも思ってるけど……まだ記憶障害の方が現実的だし納得できるし、なんなら演技の可能性だってある……後者の可能性は低そうだけどね」


「……無理ないです。信じる方が難しい話ですから」


 自嘲の笑みを浮かべて言った俺を、陽葵さんは表情一つ変えずにじっと見つめてくる。


「一つだけ、気になる点があるんだけど……もしかして、あんたの中でまだ〝戌亥舞輝〟の人格が残ってるんじゃないの?」


「……戌亥舞輝の人格、ですか」


「そうそう。でなきゃおかしいでしょ? どっちも自分だって認識してるとか」


 陽葵さんの言うおかしいはきっと、俺が初めに味わい今の尚後味を残している形容しがたい感覚のことを指しているのだろう。


 その正体は依然掴めぬままだったが……なるほど、盲点だった。


「つまり、前世の俺の人格と戌亥舞輝の人格、二つが内に存在してるってことですね?」


「もしかしたらだけどね……で、どうなの?」


「ん? どうなのというと?」


「だから! 戌亥舞輝の人格があるのかどうかって聞いてるの!」


「……あの、陽葵さん……どうやって確認すればいいんですかね?」


「――あたしが知るわけないでしょそんなことッ!」


 即座の切り返し、陽葵さんはツッコミのセンスがあるようで。ただ、声量はもう少し抑えた方が良かったのかもしれない。


 なにごとかと集まる周囲の視線。俺と陽葵さんはすみませんとへこへこ頭を下げ、それから互いに顔を近づけて小声で続ける。


「なんかこうあるでしょ! 漫画とかでこう……『内なる自分と対話する』みたいな!」


「内なる自分との対話……なるほど、ちょっとやってみます」


 すぐさま俺は目を閉じ、心の中で問いかけようとするが――「ちょいちょい」と陽葵さんに起こされてしまう。


「どうしました?」


「いや、なんかこれからキスするみたいで気持ち悪いから、あっち向いてやってよ」


「し、失礼しました! …………それじゃ、気を取り直して」


『おい、いるのか? いるのなら隠れてないで出てこい! 戌亥舞輝!』


 ………………………………………………。


 やっぱり、と言うと陽葵さんに悪いが、反応はなかった。そもそもやり方があってるのかすら怪しい。


「――どうだった?」


 瞼を開くや陽葵さんが結果を訊ねてきた。


 俺が首を横に振ると彼女は「そっか」と軽く返してきた。大して残念がってないところからして、陽葵さんもそこまで期待していなかったのだろう。


「まあいいわ。とりあえずこの件は保留……しばらく様子見ってことで。 あ、このことはまだお姉ちゃんに言わないでくれる?」


「わかりました……でもいいんですか?」


「なにが?」


「確かな根拠があるわけではないですが、仮に人格が丸ごと替わっていたとしたら、戌亥舞の記憶が蘇ることはないと思うんですが……」


「もしそうならあたし達は追われる心配なく逃げれるって?」


 俺が頷き返すと陽葵さんは盛大に溜息をつく。


「あたしならまだしも、単なる憶測でお姉ちゃんが考えを曲げるわけないじゃない。それに、気丈に振舞ってはいるけど、お姉ちゃんの心はまだ〝癒えてない〟から……根拠のない情報で混乱させたくないの。疲れさせたくないの」


「あ……その、すいません」


 謝る俺を数秒ほど見つめた後、陽葵さんは再び顔を前に向けた。


「語った真実を鵜吞みにするなら、あんたはきっと勘違いしてる。そして、そのなくなった記憶の中の一つがお姉ちゃんを酷く傷つけ、そしてあたしは――」


 言葉は最後まで続かなかった。その先が気にならないと言えば嘘になるけれど、でも俺は聞かなかった。正確には聞けなかった…………陽葵さんの横顔を見て。


 端から言葉を区切るつもりだったのか、もしくは買い物袋を大事そうに抱えて戻ってくる月姫さんが目に入ったからか、陽葵さんじゃない俺にはわからない。


『そしてあたしは――』その続きはなんだったのだろうか。

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