第10話 打ち明ける時

「……………………」


 あれ、陽葵さんはここに残るのか?


 てっきり月姫さんの後を追って買い物に付き合うのだとばかり思っていたが、どうやら違うらしく陽葵さんはベンチに腰かけた。


「……一緒に行かないんですか?」


「はぁ? 行くわけないじゃん。荷物を置いてくわけにもいかないし」


 見ればわかるでしょ? と彼女は顔を顰める。


「それなら、俺が荷物番引き受けますよ?」


「いや、別にいいから。お姉ちゃんだって子供じゃあるまいし」


「で、ですよね」


 胡乱げな目をした陽葵さんに突っぱねられ、俺は後頭部を掻きながらたははと笑う。


 しかし困った。月姫さんもすぐには戻ってこないだろうし、陽葵さんも俺とは一緒に居たくないだろうから……。


「……あ、じゃあ俺、その辺プラプラしてきますね? 少ししたら戻ってきます」


「じゃあってなによじゃあって。あたしと二人でいるのがよっぽど嫌みたいな言い方して」


「ああいや、そんなつもりはまったく……むしろ陽葵さんがその……俺といるのが嫌かなと思って」


「余計な気を回さなくていいから。これでお姉ちゃんが戻ってきてあんたがいないってなったら待ち時間が延びるじゃない。大人しく座ってなさいよ」


「は、はい」


 陽葵さんが隣の空いたスペースを顎でしゃくるのを見て、俺はそそくさと着席。仕事のできる女上司からのありがたい説教が始まる5秒前、そんなイメージが勝手に頭の中で湧く。さながら俺はポンコツ新社員か。


 陽葵さんはすべて見透かしていた。見透かしていた上で「余計な気を回さなくていいから」と口にした。彼女の身になって考えたつもりだったが、結果的に彼女に気を遣わせてしまった。


 情けない大人だ……陽葵さんの方がよっぽど大人と言える。


「…………陽葵さんは、大人ですね」


「今度はなに? 沈黙は気まずいだろうからって無理して会話? それともあたしのご機嫌伺い?」


 いつの間にかスマホを取り出し弄っていた陽葵さんが横目で睨んでくる。


 俺はおもむろに首を横に振って見せる。


「いえ、思ったことを口にしただけです」


「……別に、お姉ちゃんみたいにしっかりしてないし。心身ともに子供よ? あたしは」


「そんなことはないですよ。月姫さんに陽葵さん、二人共大人です。俺が陽葵さんぐらいの歳の頃はどうしようもなかったですから」


「――え?」


 虚を衝かれたかのような声を漏らしたかと思えば、陽葵さんの表情はたちまち険しくなった。


「記憶を……取り戻したの?」


「い、いえ……なにも思い出せないままですが」


 記憶について訊ねられ俺は困惑するも、なんとか答えられた。


 嘘偽りはない……が、彼女の瞳は隠しきれない動揺に微かに揺れ動いたまま、抱いた警戒心は解けていない様子。


「じゃ、じゃあどうして――〝自分がどうしようもなかったことを知ってるの?〟」


 陽葵さんの言っている意味がわからなかった。


 けれどその意味は――理解は後から遅れてやってきて、俺は息を呑む。


 戌亥舞輝としての過去はなにも思い出せていない。より正確に言うなら知らない。だから嘘は言っていない。だがしかし、そもそも俺は彼女に〝記憶障害〟だと嘘をついていた。


 俺には高校生の時の記憶が確かにある。ただそれは名前を忘れた前の世界での俺の記憶であり、そのことを知らない彼女からして見れば、戌亥舞輝が記憶を取り戻したと解釈してしまうのも無理ない話で。


 つまりこれは俺が口を滑らせてしまったことが原因であると…………しくった。


 中途半端に前世の記憶を保持してしまっているせいで辻褄が合わなくなった……いや、最初から俺が嘘をついていなければこうにはならなかったのか。でも、だからと言って簡単に信じてもらえるような真実ではないし、むしろ簡単に怪しまれるような、フィクションのような話だし……。


「やっぱり、思い出したのね……全部」


「ち、違うんです! ほんとに俺はなにも……」


 否定の言葉を途中で止めたのは無駄だと思ったからだ。車の運転操作とは違う。言い逃れなんてできやしない。


 しかし、ここで俺が記憶を取り戻したとあったならば、月姫さんの選択肢から『逃げる』が消えてしまう。陽葵さんだってせっかくのチャンスを逸してしまったと悔やむだろう。


 姉妹二人の希望が絶たれてしまう……ならいっそ、打ち明けよう。ややこしくなってもいいから真実を伝えよう。希望はあるんだと示そう。


 問題は信じてもらえるかどうか…………こればかりは陽葵さん次第だ。


 俺は一度、呼吸を整えてから陽葵さんの顔を見据える。刹那、彼女は不安げな表情を覗かせたが、恐怖に負けないようにとすぐに強気な顔を作る。


 陽葵さんの右手は頼りなく震えていて、それを察せられないようにと押さえる左手も震えている。気を張っているのは明らかで、怖がらせてしまっているのもまた明らかだった。


「戌亥舞輝に関しての記憶がほとんどないのは事実です。ただ、二人に伝えていないこと……いや、噓をついていて……馬鹿げた話だと思われるかもしれませんが聞いていただけませんか?」


「……………………」


 口を噤んだままの陽葵さん。


「実は――――――」


 俺は無言の肯定と受け取り、彼女に真実を打ち明けたのだった。

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