第4話 陽は火照り、曇夜を晴らす

「どうぞ」


 俺は涙が上がった月姫さんの前にココアの入ったマグカップを置いた。目を合わせづらいのか彼女は俯き気味で「ありがとう、ございます」と感謝を口にした。


 席に戻って俺がコーヒーを飲み始めるのを見てから、月姫さんは手を伸ばす。


 マグカップを包み込むように持ってフーフーと念入りに冷ましている。猫舌だろうか?


 カップを口元へと持って行き、ふちを唇に当て傾けた。


「…………おいしい」


 どうやらホッと一息つけたようで、彼女の表情が少しだけ柔らかくなる。こうして見れば普通の女の子だ。


 いやぁ……良かった良かった。ココア万歳、見てるこっちまで心が温まるな。きっと俺の顔も緩んじゃってるに違いない。


 気分はすっかり孫と戯れる祖父だった。


「――――ッ⁉」


 平和ボケした俺の視線に気付いたのか月姫さんの顔に当惑の色が浮かぶ。


 見られていたと理解したからか、月姫さんの頬はほんのりと赤い。


 口をギュッと結んだ彼女は、忙しく視線を彷徨さまよわせ、最終的にマグカップをテーブルに置いて力尽きるように項垂うなだれてしまった。


「なにしてんの……お姉ちゃん」


 と、別の方向から平坦な声が聞こえ、俺は首を回す…………陽葵さんだ。


 彼女は訝しげな表情をして月姫さんを見つめている。


「ちょ――ちょっと、むせちゃって……こほッ、こほッ」


「……そっか」


 わざとらしく咳き込む月姫さんに陽葵さんは興味無さげに反応し、はす向かいの席に座る。そのかん、俺には一瞥いちべつもくれずに。


 昨日から感じていたことだけど……俺、陽葵さんに相当嫌われてるな。


 月姫さんだって心の内じゃ俺を嫌っているだろうけどそれを表面には出さないでくれている。一方、妹の陽葵さんは嫌悪感を前面に押し出している……自業自得、無理もないと頭ではわかっているが……こうも顕著けんちょだと、やはりしんどいものがある。


 だからって言葉を交わさないのは違うと思う。ウザがられるのは承知の上だ……なんでもいい、とりあえず声をかけよう。


「おはようございます、陽葵さん」


「――――ッ⁉」


 陽葵さんはビクッと肩を上下させ、顔を強張らせた。しかしそれはほんの一瞬のこと、なにもなかったかのように彼女は一貫した態度を取る。


 あんな反応されちゃ……。俺は次に用意していた言葉を飲み込んだ。


「無視はダメよ? 陽葵ちゃん。戌亥さんに失礼でしょ」


「別に…………それよりお姉ちゃん、料理の腕上がった? 冷食以外で見映えがちゃんとしてるのなんてこれが初めてじゃない?」


 意外だな。てっきり料理はお手の物かとばかり思っていたが……。


 俺に視線を寄越し困ったように笑う月姫さん。あまり知られたくなかった情報だということが良くわかる。掘り下げるつもりはないので安心してください。


「私が作った……って言いたいところだけど、残念ながら料理の腕は全然……戌亥さんが作ってくれたのよ?」


「――え」


 陽葵さんは驚愕の色を浮かべて俺を見る。今日初めて彼女と目が合った瞬間だ。


 こういう時、どういう顔すればいいんだろうか? …………とりあえず笑っておくか。なるべくかしこまった感じで。


「もしかして――お姉ちゃんッ、これ食べちゃったの?」


「うん、凄く美味しかったよ。陽葵ちゃんも食べてみて?」


「……こんな男が作った料理を口に入れるなんて……警戒心なさすぎだよ、お姉ちゃん」


 そう呆れ果てた口調で言い捨て、陽葵さんは席を立つ。月姫さんが注意するも聞く耳を持たず、一方的に突き放す。


「あたしはいらない。毒が入ってるかもわからないし……そもそもお腹減ってない――」


 ぐうううううううううぅ。


 健康的な音が鳴り響く。え、なんの音? などと訊くのは無粋な真似だ。カァッと真っ赤に染まった陽葵さんの顔が答えなんだから。


「ンンッ! …………あたしはいらない。そもそもお腹――――」


 ぐうううううううううううううううううううぅ。


 気を取り直してもう一度と顔を上げた陽葵さんだったが、結果は変わらず、むしろさっきよりも鳴るタイミングが早く、そして大きく長かった。


「……………………」


 無かったことにしようとしたらこれだ。恥ずかしいが陽葵さんから嫌というほど伝わってくる。


「あの、キッチンの棚にカップラーメンがたくさん入ってたので、お腹が減ってるならそれを――」


 ギロッ! と陽葵さんの鋭い視線が俺を刺す。余計な気を回すんじゃないってことだろうか。


「陽葵ちゃん……意地張ってないで、ね? 本当に美味しいんだから」


 挙句、月姫さんにさとされた陽葵さんは「あーもうわかったよッ! 食べればいいんでしょ食べればッ!」そう投げやりに言ってドカッと椅子に座り直し、素手のままフレンチトーストを手に取った。


「いただきますッ!」


 あ、そこはちゃんとしてるのね。


 不貞腐れたように言った陽葵さんにちょっぴり驚きつつ、俺は彼女の感想を待つ。


「――――ッ」


 ガブッ! と豪快に食らいついた陽葵さんが目を丸くしてフリーズする。


 どうしたのだろうか? ひょっとして口に合わなかったんじゃ……。


 そう不安になりながらじっと見守っていると、陽葵さんは思い出したかのように咀嚼し、やがてゴクリと流し込んだ。


「どう? 美味しいでしょ?」


 月姫さんに感想を聞かれた陽葵さんは我を忘れていたかのようにハッとする。


「――べ、別に? 平均点な味だよ……いや、ちょっと冷めちゃってるから平均以下だよ、こんなの」


 口元を尖らせて不満を零した陽葵さんだったが、言い終えるや否や一口パクリ。


「――――ま、まあ? 食べられないことはないし? もったいないから残しはしないけど」


 そう言って更にもう一口、もう一口と間隔が短くなっていき、気付けばハムスターーのように。


 そんな妹を見て姉はクスっと笑みを零す。


「素直じゃないんだから」


「――ずなおだじ!」


 素直だし! と言いたかったのだろうが、否定するには説得力がない顔をしている。月姫さんもそれがわかっているから表情を綻ばせたままでいる。


 第一印象は寡黙な子だったけど、こうして見ると全然ちゃんと妹してるな。


 微笑ましい姉妹のやり取り。その温かい光景を眺めているだけで、口角が緩んでしまう。誰かと一緒に食事をするのこと自体久しかったのもあり余計に。


 やっぱり良いな……こういう朝は。


 なんてどこか感傷的になりながら、俺はそっと席を立った。姉妹二人のひと時を邪魔いないように、と。



ーーーーーーー

どうも、深谷花びら大回転です。


★ください(切実)★……寄越せおらあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!

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