第2話 月と陽
簡潔にまとめるとここは戌亥舞輝……俺の住んでいる高級マンションの一室で、経済的理由で行き場をなくした彼女達姉妹を居候させているらしい。
どういった経緯があってそうなったのかまでは聞いてない……が、なんとなく想像はつく。純粋な親切心などではなく、恐らく下心によるものだろう。
居候というのも体の良い言葉。この男は……俺は、彼女達のことを扱いやすいペットかなにかと捉えていたに違いない。
とは言え、だ。いくら生活に困っているからって、ぱっと見で碌な奴じゃないとわかる風体をした俺に頼るだろうか? 普通は警戒すると思うが……。
俺は顎に手を当てたままベッドに座っている二人に視線を向ける。
普通がそうなら彼女らは普通じゃない……となるとやはり、ここはあのネット広告の漫画の世界ってことか。大人向けだからこそ、そういうシーンが必要不可欠となるわけで、そこに至るまでの過程は多少疎かでもまあ許されると。強引さは否めないが、それなら彼女達の警戒心の薄すぎる決断も一応は納得ができる。
そういう設定なのだから仕方がない、と。
変に常識にとらわれているとこの先も些細なことで引っかかりそうだし、いっそここは漫画の世界だと捉えた方が良いかもしれないな。
漫画なんだから都合の良い展開は当たり前。開き直ったようなスタンスでいこう。
……それにしてもこの二人、漫画の世界の住人さんなだけあってどっちも美人だな。
二人の名字は
部屋の隅に座っていたのは妹の
大事に伸ばしているんであろう艶のある黒髪に切れ長の目。お姉さんをアイドルとするなら、妹さんは女優といったところか。冷たく鋭い雰囲気を纏っている。高校2年生らしいが、良い意味で学生にはみえない。歳不相応の落ち着きっぷりだ。
「……あの、本当に、なにも覚えていないんですか?」
姉、月姫さんの信じ切れていないような声に俺は頷き、近くにある椅子に腰を下ろした。
「にわかには信じられない話でしょうけど、本当なんです。ただ、俺が酷いことをしてきたというのは、あなた達の様子から察っせられます…………謝って済む問題ではないと思いますが――すいませんでした」
「あ、いえ……私達は住まわせてもらってる身ですから……感謝こそすれ謝られるようなことはなにも……」
月姫さんの浮かべている笑みはとても脆そうで、無理して作っているのは見え見えだった。今みたく彼女を台無しにするような表情を何度もさせていたと考えると胸が痛む。
「二人はここにいるべきではないと思います。俺が言うのもなんですが、戌亥舞輝と一つ屋根の下という状況はあなた達姉妹にとって絶対に良くない」
「……私達姉妹に行き場はありません。だから、衣食住を提供して下さる戌亥様には感謝しかないんです。たとえ記憶をなくされたとしても、私達は戌亥様のペット、どんな命令でも従います……ですから、これからもここに居させてください」
「なら、纏まったお金を渡します。そのお金でどこか別の場所で暮らしてください。勝手だと思われるでしょうが、これも二人の人生を考えてのことですから。受け入れてください」
寝室だけでもこの広さ。相当な貯えがあるのは間違いないだろう。彼女達に安定した一年を送らせてあげるだけの金はあるはずだ。
断る理由はどこにもない。だというのに月姫さんは申し訳なさそうに首を横に振る。
「そういうわけにはいきません」
「――ちょっと、お姉ちゃんッ⁉」
月姫さんの答えに対し、俺よりも先に反応を見せたのは妹の陽葵さんだった。彼女は正気を疑うような顔を姉に向け、続ける。
「どうして断るの! 向こうは出て行くことを認めてくれてるのよ? お金もくれるって言ってるのよ? 絶好のチャンスじゃない! この男の記憶がいつ戻るかもわからないんだから、忘れている今こそ逃げるべき! 考え直してよお姉ちゃん!」
「違う……違うの、陽葵ちゃん」
「なにが違うって言うのッ? お姉ちゃんだって嫌でしょ! こんなとこで、人として扱われない毎日を送るのが嫌でいつも一人で泣いてるんじゃない!」
「…………〝いつ記憶が戻るかわからないから〟怖いのよ」
月姫さんは自分の体を抱きしめ、震える声でそう零した。
「意味がわからない……お姉ちゃんおかしくなっちゃったの? あたしは、いつ記憶が戻るかわからないから今のうちに逃げようって言ってるの!」
「……もしここで私達が出て行ったとして、その後で戌亥様が記憶を取り戻したら……私達を放置したままにしておくと思う?」
「そ、それは…………で――でも! そう簡単に
「私は、最終的に見つかると思ってる。そうなったらもう…………」
終わり、と言いたかったのだろう。月姫さんの顔色は不健康に青白くなっている。
陽葵さんもなにかを言い返そうとして、結局言葉を飲み込んでしまう。苦虫を嚙み潰したような表情をして俺を睨みつけてくる。
要は戌亥舞輝……俺は、そこまでするような人間だったということだ。月姫さんが頑なに拒むほどに。
記憶を取り戻す可能性が拭ない以上、どんな提案をしても彼女達……月姫さんはNOと突っぱねるだろう。こればかりは俺も保証ができない。
どうしたものか。しばしの黙考を挟み、これしかないかと俺は口を開く。
「ならこうしましょう。お二人にはここに居てもらって構いません。そして、さっきの俺の提案はいつでも有効とします。記憶を取り戻すかどうか否か、ご自身の目で判断していただいて、大丈夫そうならいつでも出て行ってもらって結構です。その時は約束通りお金も渡します。それとここにいる間、俺はあなた達に危害を加えたりはしません……どうでしょうか?」
「いつまでも有効って……それ、嘘じゃないでしょうね」
疑わし気な視線を送ってくる陽葵さんに俺は頷いて見せる。
「お姉ちゃん ……」
どうする? と月姫さんに目で訊ねる陽葵さん。
不安そうな顔をしている陽葵さんの心を和らげるように月姫さんは優しく微笑み、それから俺に顔を向けてくる。
「それで、お願いします」
「わかりました…………すみません。まだ俺も混乱しているので、できれば一人になりたいのですが」
――――――――――――。
「はぁ……」
姉妹二人が寝室を後にし、零れ出た短い溜息。理不尽な上司を相手するよりも細かく神経を使ったかもしれない……今ではその上司の名前も思い出せんが、憎たらしかったのは鮮明に覚えている。
それにしても……良い所に住んでいるな。
高級マンション、それも上階。カーテンを開いた先にある外の景色は成功者のそれだった。
車道を行き交う小さな光。ビル群さえも見下ろせるこの場所は、さぞやワイングラスが映えることだろう。
この歳でどうやってここまで登り詰めたのか。気になるところではあるが、まあこれも漫画を活かすための設定なんだろうな。
俺は大きな窓ガラスに写る人相の悪い俺を睨みつける。
けど、その設定はここまでだ。これ以上彼女達を傷つけるわけにはいかない。
俺がお前になったからには――俺が俺であるからには――絶対に。
作者には悪いが、たとえ漫画の世界であったとしても……それが彼女達を傷つける理由にはならない。自由で平和という当たり前な日常を過ごしてもらいたい。
そのためだけに全力を尽くす――俺はそう誓うのだった。
――――――――――――。
どうも、深谷花びら大回転です。
好きなお寿司は回転ずしです(うわ、さっぶコイツ……死ねよ)
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