エピローグ
第42話
暑さ寒さも彼岸まで、という。
九月に入ってこのかた、ときおり八月の猛暑を思わせる日和が訪れたが、それも今となっては昔の話。すっかり秋らしい季節が、この北部九州にも訪れている。
「日暮センパイっ! お茶、いかがですか?」
「ひ、ひなたちゃん……今は、今だけは、俺に話しかけないでくれぇ……!」
「? ……りょ、了解です!」
メロディーに合わせて、シャンシャンとタップ音が響く。譜面はかなりの高難度のようで、日暮は血眼になりながらスマホを連打していた。
そんな日暮の姿を、四条はジトリとした目つきで見やっている。
「ああなったら、もう手遅ればい……あ、ひなたちゃん、あたしお茶もらってよか?」
「じゃ、こっちも頼む」
「合点承知の助ですっ」
にこやかな笑みをこぼして、早坂は茶漉しに茶葉を継ぎ足し始める
。
――新学期が始まると同時に、俺たちドル研もまた、新しいスタートを切ることとなった。
早坂はすっかりドル研に居ついて、いつの間にか正式メンバーと化していた。「センパイたちへのご奉仕は欠かしません!」とのことだったので、今もこうして給仕を任されている。
「はいセンパイ、どうぞ!」
「おう。センキュ」
「四条センパイの分も、置いてきますねっ」
「うんっ。ありがとね、ひなたちゃん!」
役に立てるのが心から嬉しいようで、早坂は満足そうに頬を緩めた。最後に自分の湯呑みを持って、以前には円花が座っていた席――つまり、日暮の隣に腰かける。今はそこが、早坂の定位置となっていた。
ほんのりと湯気の立つお茶を一口すする。……うん、美味い。
「ひなたちゃんも、お茶汲み上手になったばい!」
四条も同じことを考えていたらしく、ニコニコしながら早坂の淹れたお茶を楽しんでいた。
「ほんとですか⁉ 実はひなた、ずっと家で練習していまして……成果が出たようでなによりですっ」
目をきらきらと輝かせて、早坂は嬉しそうに応じた。
「お前は先に、歌の練習でもしたらどうだ」
「そっちもちゃんとしてますよー。この間なんて、カラオケで77点取りましたもん! 確実に成長してますから安心してください、センパイっ!」
「その点数じゃ片時も安心ならんな……」
「……ま、まあ、アイドルは歌よりダンス、ダンスより可愛さ! って言うけんね……」
必死にフォローを入れる四条。
正直、あまりフォローになっていない気もするが……当の早坂はなにも気にしていない様子。
――この冬、ドル研は656広場にて、二度目のライブを開催する運びとなった。
八月に行ったあのミニライブが評判となり、高校にも「ぜひまたやってほしい」と応援の電話が数多く届いたのだ。今度は抜けた円花の穴を埋めるべく、早坂が抜擢されたという成り行きである。
しかし、のちほど判明したのだが……早坂は歌が苦手なタイプだった。
最近は四条がよくカラオケに連れて行っているものの、まだまだ改善には程遠いらしい。前途多難ではあるが、そこは早坂のポジティブさに期待したいところだ。
「そういえばよぉ……」
会話が落ち着いてきたタイミングで、唐突に日暮が切り出してくる。
殺気立っていたはずの顔が、今では顔面蒼白になっていた。
フルコンボ未遂のショックで、あまりよくないことを思い出してしまったらしい。
「例のシクシクのライブツアーな。CD先行で何枚か応募してみたんだが……どうもツキがなくて、全部外れちまってたぜ……」
「ええっ⁉ ……日暮センパイ、また外したんですか⁉」
「福岡公演やろ? 倍率、たぶん二倍ちょっとばい?」
「それがな、どうしても当たんねぇんだよ……。もう一般販売しか残ってねぇのによ……」
――俺たちと足並みをそろえるように、シクシクも今冬、全国ツアーを予定している。
来年の二月に福岡公演が行われるため、ドル研メンバーは全員が現地参戦を狙っているのだ。
ちなみに、早坂はFC最速先行で早々にチケットを勝ち取っている。俺もCD先行で、四条と連番(隣り合わせ)の席を確保済み。
「一般は空売りも多かし、すぐに売り切れるかもしれんばい」
「チクショウ……チケット戦争はこれだから嫌になるぜ……」
これまでも数多くの敗戦を喫してきた日暮の一言には、底知れぬ重みが感じ取れるのだった。
話題が一段落ついたところで、四条が両手で湯呑みを包みながら、つぶやくように言う。
「ばってん、ほんとによかったばい。……円花ちゃん、ちゃんとシクシクに戻れたけんね」
「……ですね。円花さんが東京に帰ってからこっち、ひなたもずっとドキマギしてましたから」
――円花の復帰に関する会見が行われたのは、ちょうど一週間ほど前のことだ。
あの須藤とかいうプロデューサーは、あのときの言葉どおりに――円花とともに表舞台に立ち、事の経緯の説明と、関係各所に対する謝罪を行ったのだ。
円花に対する批判がまったくなかった、と言えば嘘になるが……誠意のある説明責任を果たしたことで、延焼は最小限に留まった。
会見で須藤は、自分自身も充分なコミュニケーションが取れていなかったことを認めた。
今後はアイドルの意見をしっかり取り入れながら、シクシクが最も輝けるあり方を見出したい――そんなふうに語っていた須藤の目は、以前より幾分、澄み渡っていたように思う。
今後はまた、一味違ったシクシクの姿を見ることができるはずだ。
……俺はちらりと腕時計を見やる。
いい時間になってきた。
「さあ、もう五時だ。練習の時間だぞ。アイドル組はさっさとラウンジに行った行った!」
俺は席を立って、パッパッと人払いのジェスチャーをする。
……いつとはなしに、俺はこんな部長的役割も担うようになっていた。
それほど向いているとも思えないのだが……なんせ他に適任がいない。消去法的に、どうしたってこの役は俺に回ってくるのだった。
「えぇー。センパイ、もうちょっとブレイクしましょうよーっ」
「だーめっ。とくにひなたちゃんは、ボーカルレッスンがたんまり待っとるけんね♪」
「ひぇぇ、し、四条センパイっ……ちゃんと行きますから、引っ張らないでくらさいっ!」
イヤイヤ期に突入した早坂をつまんで、四条はひょいひょいと部室の外まで連れていく。
「それじゃ、七時前に戻ってくるけん。お留守番よろしくばいっ!」
「任せとけ。部室警備は俺らの十八番だからな!」
アイドル組二人を見送りつつ、俺は呆れ返った目で日暮のほうを見向く。
「おい、俺たちも練習するんだぞ」
「わーってるさ。……雨だれ石を穿つってな。コツコツやれば、俺らもいずれはDJデビュー間違いなしってわけよ」
「お前はどこを目指してるんだ?」
「志は高くってこった。基本だろ?」
ジュラルミンケースを手に取って、いつものように長机に並べる。シールド類やスピーカーの扱いも、とっくに手慣れたものだ。
「こないだのライブじゃ、観客はアイドル二人につきっきりだったからな。今度は音響でも、客席にぎゃふんと言わせてやろうじゃねぇか」
見れば日暮は、どこから仕入れてきたのか……PAの教材本を手にしている。
なんだかんだ、こいつも上昇志向の高い男なのだ。
「俺らは俺らで、頑張らねえとだもんな」
「……ああ、そうだな」
そう交わし合って、俺たちは口元に微笑を含ませる。
ここから始まるのだ。そしてまた一歩ずつ、前に進んでいく。
それぞれの道を、それぞれの足取りで。
この先の未来で、もしも道のりが交わることがあるならば――、
そのときは、互いに成長した姿を見せられればいい、と思う。
そんな、ささやかな願いを……手の内に秘めながら。
「――さあ、始めるぞ」
高らかに、俺は宣言した。
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