第41話



 四条たちと別れてから、俺たちはもう何度目か分からない二人きりの帰路を、並んで歩く。


 いつもの歩調。いつもの風景。


 隣に円花がいることの、ちょうどいい具合の安心感。


 そういう日々に身体が慣れてきた頃合いで、こういう別れはやってくるのだ。


「……なんだか、しんみりしちゃうね」

「そうだな」

「今回は、最後まで明るく……って、決めてたのにな」


 そんなやりとりを交わす間にも、俺たちは一歩、また一歩と前に進んでいく。


 時間も、距離も、俺たちなんかのために待ってはくれない。

 なにか喋るたびに、歩を進めるたびに、それらは刻々と縮まっていった。


「ね、悠くん?」

「なんだ?」

「……ちょっとだけなら。アイドル、辞めてもいいよね」

「……?」

「普通の女の子に、戻ってもいいよね」

「……好きにすればいいさ」


 円花の指先が、俺の脇腹のあたりで膨らんだカッターシャツのしわをつまんだ。

 その華奢な身体つきからは想像もできないほど、強い力を感じる。


「俺はべつに、逃げたりしないぞ」

「ううん、これは……わたしを悠くんから逃さないようにするための、鎖」

「……自分で鎖をかけても、すぐに外れるんじゃないのか」


 円花の表情からは、既にさっきまでの明るい笑みは失せていた。


「うん。だから……力いっぱい、つまんでるの」

「そうか」


 カッターシャツを引っ張る力が、さらに強まった。

 俺たちはただ黙って、二人で歩いていく。


 ――そしていつの間やら、俺たちは堀川家の玄関前までたどり着いていた。


 普段なら、簡単に「また明日」を交わし合えるはずの場所。


 だけど、今夜ばかりはわけが違うのだ。


 物寂しさがしんと鳴る。


 二人の沈黙は、これがほんとうの別れであることを――はっきりと示唆している。

 気づけば、意を決した円花が……正面に回り込んでいた。


「…………悠くん……悠くんっ!」


 やがて、すがりつくように……円花は、正面から俺の胸元に頭をうずめた。


「……ごめんね……わたし、悠くんの想いに……答えてあげたかったのに……ッ!」


 最後の最後まで、心の奥底にため込んでいたのは――俺に対する、悔恨の念。


「謝る必要なんてないだろ。お前は正しい選択をしたよ」

「でもっ……だけど……!」


 涙のしずくが、ぽたりぽたりとアスファルトに落ちていく。

 声を殺して、すぐそばでしゃくり上げ続ける円花。


 そんな彼女のことが、たまらなく愛おしかった。

 だから、俺はそっと……その小さな肩を抱きとめる。


「っ⁉ ……うぅ……ッ……!」

「……ありがとな」


 それは、用意していた言葉なんかではなくて。


 思わず口にしてしまった――俺の本心。


「円花のこと。好きになれて、よかった」

「……っ、ず、ずるいよっ、悠くん……っ!」


 くしゃくしゃになった顔を上げて、それでも円花は――俺だけにしか見せない表情で、満面の笑顔を見せてくれる。


「……っ、……じゃあ、わたしも……ちゃんと、言うね……?」

「ああ。今度はちゃんと、聞かせてくれよ」


 右手で、それから左手で。


 涙の跡を丹念にぬぐい取って、円花は濡れたまつげを俺のほうに向けた。


「さよなら、悠くんっ……‼」


 きらりと光る涙が、まだ始まったばかりの夏夜に吸い込まれていく。


「ああ。……さよなら、円花」

「……えへへっ。やっと――……やっと、言えたぁ……!」


 ぱすん、ともう一度、円花は俺に飛び込んできた。

 へなへなと脱力した円花を、しっかりとキャッチする。


 そしてまた、互いのぬくもりを感じ取るように……俺たちは強く強く、抱きしめ合った。


 今でも懐かしい円花の匂いが、ふわりと俺の鼻腔をくすぐる。

 なにものにも代えがたい時間が、二人の間でとくとくと過ぎていった。


「いつか、わたしがほんとうに、アイドルじゃなくなったときは……」

「また、お前をうちの庭にでも呼んでみるか」

「……その頃はさすがに、もうちょっとグレードアップしてほしいかも」

「まあ、善処はするつもりだ」

「うんっ。……楽しみに待ってるね」


「ああ。……それじゃ、向こうでも元気でやれよ。応援してるから」

「うんっ! ……悠くんも、残りの高校生活……精いっぱいに楽しんでね」

「おう。それじゃ……また、どこかでな」

「うん。きっと近いうちに……会いにくるね!」


 ひとつ。またひとつ。


 密接していた身体同士を、少しずつ離していく。


 ――普段どおりの距離感。


 気づいたら、手を伸ばせば触れ合えるくらいのところで……円花は立っている。

 ぶかぶかの制服を着て。


 さらさらの前髪を揺らして。


 この世界の誰よりも可愛い顔を、精いっぱいに緩ませながら。


「――またね、悠くんっ!」


 アイドル、音海円花は……ぱらぱらと淑やかに、その小さな右手を振ってみせた。

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