第40話



 もろもろの片付けも無事に終えた頃には、すっかり日も傾いていた。


 既に会場には、俺たち以外の人影はなくなっている。


 須藤もいつの間にか行方を眩ましていた。ライブを観終わるなり、すぐ帰路に着いたのかもしれない。それだけ多忙ということなのだろう。


「ゔぇぇん……とってもよがっだでずぅ……円花さんも……四条ゼンバイもぅ……っ!」


 円花たちが制服に着替え終えてからも、早坂はまだ顔をくしゃくしゃにして泣いていた。


「ひなたちゃん、いくらなんでも泣きすぎばい!」

「だ、だっでぇ……ほんとによがったんでずよぅ……!」


 目を真っ赤にしている早坂を、四条はよしよしと撫でてやる。

 そのすぐ隣には、天川詩音の姿もあった。


「ふたりとも、ほんとうによく頑張ったね。……わたしも気づいたら泣いちゃってたよ。ちょっと大げさな言い方だけど、想いはこうやって受け継がれていくんだなって。ライブを観ながら、そんなことをしみじみ考えてたなあ」


 こちらも早坂に負けず劣らず、いまだ解けない余韻に浸っている様子だ。

 円花は出し抜けに、身体ごと天川詩音のほうを見向く。


「あの、詩音さんっ」


 生気に満ち満ちた表情で、円花は憧れの人に笑いかけた。


「あの頃からずっと……こんなわたしに勇気を与え続けてくれて、ありがとうございました。あなたがいてくれたから、想いを伝えてくれたから。わたしは今日、アイドルになれました!」

「……うん! わたしも、円花ちゃんみたいな女の子の背中を押すことができた。……今でもいろいろ思うことはあれ、アイドルをやっていてよかったなぁって、心から思うよ」


 天川詩音は目を細めて、次世代を担うアイドルを優しいまなざしで見つめた。


「詩音さん。わたしはこれからも、アイドルを続けます」

「……そっか。それが、円花ちゃんの『答え』なんだね」

「はい。……芸能界でのアイドルは、一筋縄ではいかないことばかりです。だけど――」


 ひとつ間を置いてから、円花はとびきりの笑顔を弾けさせた。


「わたしが、わたしらしくいられれば、きっと。――誰かの背中を押せる日が来るのも、遠くないのかなって。そう思えたんです!」


 ぎゅっと握った手を胸に当てながら、円花は朗らかにそう口にしたのだった。


 ――それから俺たちは天川詩音とも別れ、荷物や機材とともに、部室までの道のりを歩いた。


 会話のなかで繰り返されるのは、この三週間の思い出話。


 別れを予感させるものでありながら、俺たちはひたすら……笑い合った。

 充実した日々を思い返すだけで、よく分からない笑いがこみ上げてくる。


 いろいろな感情に振り回された過去の俺が、なんだか嘘のように思えてくるほどだった。


 部室に戻り、ある程度の片付けが終わると――今日はもう解散、ということになった。


 いつもの面々に早坂を加え、いつものように校門前まで歩いていく。

 それじゃあ、また明日――と、誰かが言いかけたそのとき。


「こころさん。その……この衣装と詩音さんの歌詞ノート、預かってもらえませんか?」


 唐突に、円花がそんなことを言った。

 ほほえみを交えたまま、紙袋を四条へと渡す。


 四条はきょとんとしていた。


「わたし、明日の朝イチで……東京に戻ります」


 その疑問を即座に打ち砕いたのは――円花自身だった。


「え……?」


 まんまると目を見開く四条。

 日暮も早坂も、驚きを隠せていないらしい。

 俺はさっと目を伏せて、あの男のことを思い浮かべていた。


 ――須藤なら、こういうこともやりかねない。


「いや、そんな……さすがに早すぎやしねぇか⁉」

「そうですよ円花さんっ! そこまで急がなくても、ひなたたちもまだ――」

「昨日の夜、航空券が家に届いていました。シクシクのプロデューサーが、わたしのために郵送してくれたんです」

「で、でも……別に、無理に乗らんでも……!」


 四条が必死に訴えかけると、そこに早坂も同調した。


「そうですよっ。そんなの、プロデューサーが勝手にやったことですし!」


 それでも円花は、ゆっくりとかぶりを振った。


「もともと、わがままを押し通したのはわたしのほうです。須藤さん……プロデューサーは、わたしの気持ちを最大限、尊重してくれました。――今日のミニライブが終わった時点で、わたしはすぐにでも、シクシクのアイドルに戻らなければいけません」

「…………」


 その意思が固まっていることは、誰の目にも明らかだった。


 それが、円花の。


 俺たちがこれまで応援してきた、音海円花という人間の『答え』だと言うのならば……。


 この場にいる誰もが、その『答え』を尊重してやるほかにない。


 それを承知のうえで……円花は一人ひとりと目を合わせ、柔らかな口調で言葉を紡いだ。


「……京太郎さん。わたしは京太郎さんの明るさに、ずっと助けられてました。いつだって優しくて、こんなわたしにもフランクに話しかけてくれて。練習も、人からは見えないところでずっと頑張ってましたよね」

「……ったくよ。円花ちゃんには、まるっとお見通しってわけか!」


 からからと哄笑する日暮に、円花はすっと手を差し出す。


「そんな京太郎さん、とってもかっこよかったですよ。……あなたに出会えてよかった。心からそう思っています」

「ああ。俺もだぜ……へへっ」


 がっしりと、日暮はその手を掴む。

 疑いようもない、それは確かな友情の証だった。


 ――続いて円花は、早坂にその目を向ける。


「そして、ひなたさん。……ちょっと困ったことはありましたけど、あなたにもらった言葉、とっても頼もしかったです。こんなわたしのことを、ずっと応援してたって言ってもらったとき――、わたし、ほんとうに、心の底から嬉しかったんですよ」


 早坂は一も二もなく、円花の腕のなかに飛び込んでいった。


「ひなたもですっ! ……ずっとずっと尊敬してた、円花さんに出会えて……! 失礼なこともたくさんしちゃいましたけど、円花さんはっ、こんなひなたのことも、認めてくれて……!」


 言葉も絶え絶えになる早坂を、円花はきゅうと抱きしめた。


「ひなたさんからも、わたしはたくさんの勇気をもらいました。きっとわたしもまた、どこかのステージから――ひなたさんの背中をそっと、押してあげますね」


 肩の後ろに回した手を、ぽんぽんと優しく叩いてやる。

 早坂はしゃくりあげながらも、かすかにうんうんとうなずいていた。


 ――そして、円花が最後に目を合わせたのは。


「円花ちゃん……ひぐぅ……っ」


 四条もまた、早坂と同様だ。ともすれば泣き崩れそうになるのを、円花が慌てて支えてやる。


 体格差的に、傍目にはかなり辛そうだが……そこは現役アイドル、優れた体幹でカバーしているようだ。


「こころさん……たった三週間でしたけど、こころさんほどに親しくなれた友人は他にいません。ほんとのほんとに、心からの親友だって……はっきりと言えます!」

「あたしもっ! 円花ちゃんは、ずっとずっと親友やけん……それは離れ離れになっても、絶っ対に――変わらんと!」

「向こうでなにかあったら、真っ先にこころさんに電話しますからね」

「あたしでよかなら、いつでも話、聞くけん……!」


「帰ってきたときは、また一緒に歌いましょうね」

「うんっ。カラオケでも、なんならまた、学校でも――!」

 そう言われたとたん、円花ははっと顔を上げた。

「そういえば、この制服……どうしましょうか?」

「円花ちゃんが持っとってよかばいっ。きっと、また……ドル研に遊びに来れるように!」

「……分かりました。大切に持って帰りますね」


 やっぱり円花にはオーバーぎみのサイズ感も、今となっては見慣れたものだ。


 ――この制服姿を見れる日が、またいつか来ればいい。


 抱擁する二人の姿を眺めながら、俺はささやかな思いに身をゆだねた。


「……――最後に、改めて挨拶しますね。

 この三週間……わたしと一緒に泣いて、笑って、歩んでくれた、アイドル研究部のみなさん。

 ほんとうに、ありがとうございました。

 この恩は、いつかアイドルとして、必ずみなさんにお返しします。


 これからは離れ離れになっちゃいますけど……、

 でも、わたしの心の裏側にはずっと……みなさんがいますから。


 どこにいたって、それは変わりません。

 よければみなさんも、そんなわたしのこと――見守っていてくださいね」


 言葉の代わりに、方々からうなずきが返ってくる。

 このうえなく幸せそうな面持ちのままに、円花はドル研一同に別れの挨拶を告げた。


「またいつか、会える日まで……みなさん、どうかお元気で!」

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