第38話



 時間はまたたく間に過ぎていく。


 十五時になると、俺たちは機材をステージ上に持ち込み始めた。


 656広場のステージは、イベントスペースの隅に設えられた、言ってしまえば申し訳程度のものだ。アリーナレベルからわずか二段ほど高いだけで、広さも充分ではない。そのため、ステージから見て右手脇にあるスペースの一角に特設のPAブースを作り、そこで音響の操作を行うことになる。


 PAブースと言っても、長机を一式借りただけの簡素なものだ。要は機材を置いて、操作できる場所があればいいだけの話だった。


「本日午後五時から! こちらで夢が丘高校アイドル研究部による、一夜限りのミニライブがありますよーっ! 鑑賞は無料です! みなさん、ぜひお越しくださいっ!」


 ビラはすっかりなくなったというのに、早坂はずっと会場周辺で呼びかけを行っている。遠巻きに見ている感じ、そこそこの確率で通りかかる人が足を止め、早坂に詳しい話を聞いていたりもしていた。


「こりゃ、わりと人が集まるかもなー」


 結線作業にいそしんでいた日暮が、道行く人と楽しげに話す早坂を見つめて言う。


「結局、ビラも全部捌けたしな。ぜひ行きますって言ってくれた子連れの人なんかもいたぜ」

「……さて、どうなるだろうな」


 本心としては、なるべく多くの人に見てもらいたい。

 売り上げなどを気にする必要がない分、気は楽だ。しかし、さすがに両手で足りないくらいの人数は来てくれないと、どうにも物寂しい風景になってしまいそうだ。


「ゆーくん、ちょっとよか?」


 スピーカーの配置をしているところで、出し抜けに四条から呼び止められる。


「なんだ?」

「ちょっと……その、円花ちゃんのことばってん」


 ひょいひょいと手で招く動作をする四条のもとに、俺は駆け寄っていく。


「やっぱい、今日の円花ちゃん……ちょっと変かもしれんばい」


 耳打ちするように、四条は円花の様子をつぶさに説明した。


 四条によれば、円花は最終チェックの練習のときも、これまでになかったようなミスを連発したらしい。いつもなら円花が四条にミスを指摘するのだが、今日に限ってはまるで立場が入れ替わったようだった……と。


「いちおう、あたしもいろいろと声をかけてみたとやけど……力不足やったかな」


 寂しさの混じる笑みを含ませながら、四条は俺の目をしっかりと見据えた。


「やけん、ここはやっぱい――ゆーくんの出番かな、って」

「……円花はどこにいる?」

「ステージから入れる扉。あそこで休んどるよ」

「分かった、すぐ行く」

「うんっ。元気にしてあげてね、ゆーくん」


 こくりとうなずいて、俺は急いで円花のいる扉へと向かった。


 そこは倉庫部屋らしかった。


 各種イベントに用いるためのものなのだろう。様々な備品が格納されていた。


「……悠くん?」


 手狭な空間に、ちゃちな丸椅子がいくつか置いてある。円花はそのうちのひとつに、ジャージ姿のまま窮屈そうに座っていた。


「どうかしたの?」


 円花の問いかけは、心なしか弱々しく、臆病な音色をはらんでいた。

 その様子を見るに、俺のことを気に病んでいたのかもしれない。


「……お前にひとつ、言っておきたいことがある」


 不思議と、今日いちばんに声が通るような気がした。


 朝とは俺の様子がだいぶ違うことを察知したのだろう、円花は少し不思議そうに、俺を上目遣いに見上げている。


「これからのライブ。俺は俺自身のために、やり遂げるつもりだ」

「……えっ?」

「だから、円花。お前はお前自身のために、ライブを楽しめ」

「ゆ、悠くんっ⁉ それって、どういう……」


「シンプルなことだ。自分自身のためにやりきれば、おのずとみんなのためにも頑張ることになるだろ。俺にしてみれば、お前のためにも、日暮や四条、そして早坂たちのためにも……そして、来てくれるお客さんたちのためにもなる」

「……っ!」

「誰かのために、なんて……後回しでもいいだろ。順序なんて関係ない。要は心が伝わるか否か……違うか?」


 俺がそう訊くと、円花はふるふると首を横に振った。


「ううん、違わない」

「楽しんでこい。もし不安なら、いつでも右のほうを見ることだな。俺も日暮もいるぞ」

「うふふっ、知ってる」

「じゃあ、頼むぞ」


 右手にこぶしを作って、俺はそいつを円花に差し出した。


 一瞬面食らった様子の円花だったが、すぐに俺の意図を理解したようで。


「これ、映画とかでよくある奴だ」

「男のロマンだよ」

「なにそれ。変なの」


 そう言いながらも、円花も小さくこぶしを作る。


 そして――こつん、とそいつを軽やかにぶつけ合わせた。


「いいな、今日こそがすべての始まりだ」

「……うんっ。そういうの、わたしも大好きだよ」

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