第29話



 思わぬサプライズにより手持ちのビラをなくすことに成功した俺は、その後一時間と少し、周辺をぶらぶらと歩いて時間を潰した。


 そろそろ頃合いかと思って656広場に戻ると、既にビラ配りを終えて歓談している日暮たちの姿があった。


「あ、ゆーくん!」

「おいおい、ちょっと遅いんじゃねぇか?」

「悪い悪い。なかなか捌けなかったんだ」


 実際には一瞬にして終わったのだが、ズルの自覚はあるので黙っておく。


「あたしも最初はぜんぜん減らんやったけん、苦労したばい。ばってん、ひなたちゃんのアドバイスどおりにお店を回ったらすぐやったばい!」

「わたしもです。一店舗あたり十枚とか置いてくださると、ありがたいですよね」

「やっぱみんな、考えることは一緒ってこった」


 話を聞けば、他のメンツも「ビラ配り」というよりは「ビラ置き」でノルマを捌ききったようだ。


「歩いてる人に配っても、なかなか取ってくれんもんね」

「ティッシュとかなら、一定数は取ってもらえそうですけど……」


 実用性もなく、ほぼゴミ箱行きのビラはもらうだけ無駄、ということなのだろう。

 広報の難しさを改めて実感していたところで、日暮が「お」と小路のほうを指さした。


「あれ、ひなたちゃんと……誰だ?」


 俺たちはいっせいにそのほうを振り向く。


 見れば、確かに早坂は見覚えのない人影を連れていた。


 年齢までは分からないが、かなり若い女性のようだった。

 ロゴ入りの蛍光Tシャツに、七分丈のダメージデニム。なんといっても目を惹くのは、まるで男性と見紛うほどのベリーショートだ。


 二人とも楽しげに言葉を交わしながら、俺たちのほうにやってくる。


「もしかして、ひなたちゃんの従妹じゃなかと?」

「ああ、ビラのデザインを引き受けてくれたっていう……」


 そのいで立ちからも、彼女がクリエイター気質であることは見て取れる。


「じゃあ、あたしたちからもきちんと挨拶せんばね!」


 四条がそう口にした瞬間――カタンッ、となにかが落ちる音がする。


 それは円花のスマホだった。

 しかし当の本人は気づいていないのか、落としたスマホには見向きもしない。それどころか、まるで氷漬けにされたかのように硬直している。


「ま、円花ちゃん……どがんしたと?」


 慌てて四条がスマホを拾い上げるが、なおも円花の様子は変わらない。


 いったい円花が何に対して驚愕しているのか、この時点では俺にも分からなかった。


「センパイがた、お疲れ様でしたー……って、あれ。どうかしました?」


 ただならぬ空気に首をかしげた早坂だったが、すぐに原因に思い当たったらしい。


「そっか! しーちゃんを紹介するの忘れてましたっ。この人が、センパイがたにお話ししていた、ひなたの従妹です!」


 しーちゃんと呼ばれた女性はひとつ前に歩み出て、とびきりの笑顔を俺たちに振りまいた。


「どもども~。ひなちゃんの従妹でーす!」


 にししと歯を見せながら、彼女はひらひらと手を振ってみせる。


「こ、こんにちはっ。このたびはお世話に――」


 四条が挨拶を口にしかけた、そのとき。


「――――詩音さん……ですよね?」


 四条の声を上塗りするように、固まっていた円花がそう訊ねる。

 俺も四条も日暮も、ほぼ同時にぴくりと肩が跳ねた。


「な、なあ。詩音さん、って……もしかして、天川……」


 信じられないといった表情で、日暮は両者の顔を交互に見やった。

 ベリーショートの女性は、やれやれと耳にかかった髪をかき上げて、


「……やはは、やっぱりバレちゃうかー」


 おちゃらけた様子で、ぺろりと舌を出す。その仕草は早坂のそれとそっくりだ。


「だから、ひなたは言ったんですっ。円花さんが見たら、絶対に見破られますよって」

「いいんだって。わたしもそのつもりで会いに来たんだ」


 早坂の頭をぽんぽんと撫でて、彼女は――天川詩音は、さらに前へと歩み出る。


「よく、わたしの正体が分かったね。さすがはドル研の後輩ちゃんたちだっ!」


 正確に言えば、真の後輩である三人は誰も見抜けていなかったわけだが……まあ、それは一旦置いておくとして。


 俺は今一度、天川詩音の姿をじっと観察する。


 透き通るような彼女の瞳は、この世のすべてを引き寄せる魅力をみずみずしく保っていた。今は一般人なのかもしれないが、その卓越したカリスマ性は健在だ。


「ドル研なんて、もうとっくに廃部になっただろうと思っていたんだけどね。ひなちゃんから話を聞いたときはびっくりしたよ。……こうして脈々と受け継がれていくのを見ると、さしものわたしでも感慨深いものがあるなぁ」


 彼女は俺たちを一人ひとり見回して、どこか嬉しげに目を細めている。


「ぁ、あの……っ」


 詰まる喉元から、円花はどうにか声を絞り出した。


「ああ、そっか。あなたが――音海円花ちゃんだね」

「――っ⁉」

「そんな驚いた顔しなくっても。ひなちゃんからよく話を聞いてるんだ」


 そっと円花に近寄り、天川詩音はわずかに膝を曲げる。そうすることで、小柄な円花とも釣り合いの取れる高さに顔を持ってくる。


 円花はといえば、もう正気ではいられないようだった。


 顔を真っ赤に染め上げ、言葉さえ出ない口をひたすらにぱくぱくさせている。

 かわいいものに見とれるように、天川詩音もまた、ふわりと頬を緩ませた。


「――まるで、昔のわたしを見てるみたいだ」

「えっ……?」


 おとぎ話を語りかけるように、天川詩音は続ける。


「誰かに憧れて、なにかを追いかけて。苦しい現実と戦い続けて、ようやくたどり着いたと思っていたステージにも、また別の現実が……あざ笑うようにわたしを待ってた」

「……ッ」


 なにかに気づいたように、はっと顔を上げる円花。


 目の前の天川詩音は、自分と同じような道を歩んだ……否、円花自身が、彼女の歩んだ道を辿ってきた……と表現するべきかもしれない。


 そして、その先に待つ運命を――どうしても自分と重ね合わせてしまうのだろう。

 そんな円花の心境を悟ったのか、天川詩音はゆっくりと首を横に振った。


「だけどね。道のりが同じだからって、結末が同じとは限らないよ。円花ちゃん」

「でもっ。詩音さんは……!」

「わたしはわたし。アイドルを辞めたのは、そのほうが自分のためになるって思ったから」


 天川詩音は、その目を静かに656広場のステージへと向けた。


「誰のためでもない、ただ自分の想いがなびくほうへ。

 選択肢ってさ、案外そんなものだよ。それでけっこう正解だったりする。

 ほんとうに難しいのは――行方知らずになっちゃった自分の想いを、探し出すこと。

 こっちのほうがよっぽど難しいんだよ。わたしはそれを見つけ出すのに一年もかかった」


 ……だからね、と天川詩音は言葉を紡ぐ。


「あなたの話をひなちゃんから聞いたとき、なんて賢い子なんだろーって思っちゃったよ。

 わたしには思いつきもしなかった方法で、自分の心のありかを探してる。

 活動休止のこともあるだろうし、かなり勇気のいる選択だったと思うけど――、

 今あなたがここにいることが、その心の強さを証明しているように思うよ」

「……っ、いえ、わたしは、そんなに強くなんか……!」


 ふるふるとかぶりを振って、円花は必死に否定の意を示そうとした。


「ううん。円花ちゃんは、自分が考えているよりもずっと、強いよ。

 きっとその強さは、周りにいるみんなが認めてくれるはず。

 あなたはその強さをもって、想いのままに進めばいい。


 今は、ライブを成功させること。そこまでしか見えてなくてもいいんだ。

 あなたの求める答えは、きっとついてくる。

 だから安心して、自分のしたいことをすればいい」


 外気に馴染み、そのまま心に溶け込んでいくような声で、天川詩音はそうささやいた。


 それから円花の小さな身体を、引き寄せるようにぎゅうと抱きしめる。


「大丈夫だよ。『最初の気持ち』を忘れなければ、きっと……、

 あなたの行くべき道は、すぐそばに見えるはずだから」


 ――まるで天川詩音には、これからの未来がすべて見えているかのようで、


「……、」


 ぞくり、と俺の背中に悪寒が走る。


 いや、確証はないのだ。

 未来のことなど、決して誰にも分からない。


 でも……きっと、そうなってしまう。


 円花は、『最初の気持ち』をすっかり思い出すのだ。


 その結果……彼女が選ぶ道は、たったひとつに絞られるだろう。


 ……いや、待て。

 それのなにが悪い?


 俺はそのために、今日までの活動に精を出してきたはずだ。

 すべては円花のために。

 あいつが、自分で納得のいく答えを出せるように。


 だから、なにも問題ないはずなのだ。


「…………、」


 それなら、この心にこびりつく違和感はなんだ?

 もうすぐ取り返しがつかなくなってしまいそうな、この焦燥感はなんだ?

 どこまでも自分を出し切れない不器用さに、ふつふつと湧いてくるいら立ちはなんだ?


 ――抱き合う二人を中心にして、温かな静寂が下りるさなか。


 俺はひとり、そんなことを心のなかで思い詰めていた。

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