第23話
……それからしばらく無言を貫いたまま、俺たちは近場の喫茶店へと移動した。
店内へ入る。日曜日の朝方ということもあり、それなりに客足はあるようだった。店内の四割ほどが既に埋まっていた。
値はそこそこ張るが、その分かなりボリュームのあることで有名なチェーン店だ。
窓際の空いている座席に座る。目的は時間潰しなので、とりあえずアイスコーヒーとホットミルクをレギュラーサイズで注文しておく。
ときおり聞こえてくる他の客の話し声。そうでなければ、すぐ脇の市道を通る車の走行音。
そういう雑多なものをBGMに、俺たちの間にはやたら重い空気が立ち込めていた。
「……まぁ、こうなっちゃうよね」
体面にちょこんと座った円花は、手元にある呼び鈴に手をかけながら苦笑する。
「天罰、かな。わがままが興じちゃって、とんでもないことやってるもんね。わたし」
「…………」
健気に笑いかけてくる姿を見ていられなくて、俺はテーブルの木目をひたすら追った。
……少し状況を甘く見すぎていた。
最初の頃こそ、懸念はしていた。
シクシクほどの知名度なら、どこにファンが潜んでいてもおかしくないと。
だが……時間が経っていくにつれ、少しずつ警戒心が薄れてしまっていた。
バレないだろう。バレるはずがない。
ほとんどの生徒が登校しない夏休み期間。全盛期もとうに過ぎ、存在自体がほとんど認知されていないアイドル研究部。
通行人が不意に立ち止まる程度のイベントスペースで、ひっそりと開かれるミニライブ。
この条件なら、まず問題ないだろう。そういう思考が、いつの間にか芽生えていた。
「活動休止したアイドルが、生まれ故郷の高校で部活動体験。それもアイドル! ……なんて、笑っちゃうよね。意味不明すぎるもん」
久々に会った友達に笑い話をするときのようなトーンで、円花は言った。
「こんなことファンが知ったら、びっくりするよね。きっと裏切られた気分になっちゃうね」
そんな空元気も、少しずつトーンダウンしていく。
「……あはは、なにやっちゃってるんだろう。こんなことして、わたし、なんだかおかしくなっちゃったみたい――」
両手で頬を包んで、その肉をむにゅ、と押し出すように動かしていく。やがて顔の前面が覆われると、それきり円花はなにも発しなくなった。
やがて注文の品が運ばれてきて、俺たちは覇気のない会釈でコーヒーカップを受け取る。
ちろちろとスプーンでコーヒーをかき混ぜる。円花もずっと同じ動きをしていた。
「ね、悠くん」
「……おう」
「わたしはここにいるのは、宙ぶらりんだからだよ」
唐突に抽象的な話になった。俺は両目をすがめて、改めて円花を見つめ直す。
「アイドルにはなれたけど、シクシクでわたしがやってることはね、――わたしにとっては、『アイドルの真似事』なの。すべては売り上げのため。メンバーとの競争、センターの取り合い。どんどん狭められていくお仕事の選択肢……」
そこで初めてかき混ぜる手を止めて、円花はホットミルクに口を付けた。
「それはしょうがないことだって分かってるの。でもね。ずっとこのままだと、ダメになるなって気がしてたんだ。『最初の気持ち』を忘れちゃうんだろうな、って」
最初の気持ち。
――『誰かの心を盗んでみせる』。そんなアイドルに、わたしもなってみたいんです!
公民館で熱く語っていた姿が、まざまざとよみがえってくる。
「どうすればいいかずっと考えて。そしたら、なぜか悠くんのことばっかり浮かんできちゃって。なんでだろ……ずっと謝りたいと思ってたから? それとも、悠くんなら正解を教えてくれるのかもしれないって、そう思ったからかな……?」
過去の自分を見つめるように、円花は果てしなく遠く、目の前の俺を見ていた。
「ごめんね……ほんと、嫌な女だよね」
「いや、そんなことは……」
「だって、こんなにわがまま放題やってるのに……また悠くんに縋ろうとしてるんだよ」
柔らかそうなくちびるを、悔しさを押し付けるように噛んでいる。
円花の、昔からの癖だった。悔しくて腹立たしくて、どうしようもないときの。
「悠くん、わたしは……どうすればいいのかな? アイドル辞めて、夢が丘に転入して、アイドル研究部に入ったら――そしたら、幸せになれるのかな⁉」
「お前――ッ」
震える円花の声が、俺のコーヒーにまで細かな波を立たせる。
「わたし、今とっても楽しいの! これまでの人生でいちばん、今が楽しいのっ! 芸能界でアイドルなんてやってても、ぜんぜん楽しくないッ! 昔はあんなに憧れたのに、恋焦がれたのに――全部嘘っぱちだったもんっ!」
その声はとっくに、周囲の客の顰蹙を買っていたようだった。
だけど今の円花には、そんなものは見えてすらいない。
大粒の涙をたたえるそのまなざしは、ただ俺だけを捉えている。
「ねぇ、どうなの悠くんっ⁉ わたし、そうしていい? もうアイドル辞めていい? アイドル研究部でさ、普通の女子高生しながら、楽しくアイドルしてもいい⁉ こころさんや京太郎さんと、そして悠くんと一緒に、残りの高校生活をッ――」
「お客様、もう少し静かにお願いいただけますか?」
「――ッ」
すかさずウェイターが円花に駆け寄っていた。
我に返ったように、円花は茫然と口を開けたまま硬直する。
「他のお客様のご迷惑になりますので。どうか……」
「……ご、ごめんなさいっ……」
最後は、ポトリと落ちて消え入る線香花火のような――かすかな声だった。
俺は席を立ち、突っ伏した円花の背中をそっとさする。
ぴく、と小さな反応が返ってくる。
声を押し殺して泣く円花の、荒い呼吸音をどうにかなだめたいと思う。
……でも、どうしても言葉が出てこない。
ほんとうは俺だって言いたかったのだ。
アイドルなんてすぐに辞めればいい。
こっちに帰ってこい。夢が丘なら、そう苦労することもなく編入できるだろうから。
ドル研に入って、まあもう一年と活動はできないだろうけどな。
夜が更けるまで部室でダラダラして、それから一緒に帰るんだ。
眠れない夜には、いつもの公園でだべればいい。
寝起きの悪い朝には、お前に玄関のチャイムでも押してもらうとするか。
……今すぐにでも言ってやりたいことは、いくらでも湧いてくる。
だけど、ひとたびそう言ってしまえば――こいつは躊躇いもなく、アイドルを辞めるだろう。
あれだけ熱心だった、アイドルへの道。
こいつは確かに、並大抵ではない努力と決心の末に、ステージまでたどり着いた。
そして今でも、『最初の気持ち』は確かに残っている。
こいつの心のなかで、まだ燦然とした光を宿している。
まだ諦めたくはない。……そんな想いもまた、俺にひしひしと伝わってくるのだ。
だからこそ、俺は成し遂げてほしい。
このドル研で精いっぱい、自分の思い描くアイドルというものを。
わざわざミニライブをやるのも、そこに意味があるからだ。
あるべき自分に迷い悩む音海円花という少女が、いまだ見えない正解をたぐり寄せるため。
「……ゆっくり考えないか」
俺はつとめて穏やかな声で、円花に語りかける。
「まだ時間はある。……俺でよかったら、一緒に悩む。考えてやる」
「……」
「ここですぐに結論を出すのは得策じゃない。分かるだろ」
「……っ、うん……」
小さな声とともに、かすかなうなずきが返ってくる。
ようやく落ち着きを取り戻しつつあるだろうか。
それでも俺は、しばらく円花のそばを離れなかった。最低でも、その意思表示だけは続けておきたかったのだ。
「……ん」
ふと、スマホが鳴り響く。
ワンコールで応答すると、揚々とした日暮の声が聞こえてきた。
『お手柄だぜ。四条が例の子をしょっ引いてきた』
「……名前は合ってたのか?」
『おうよ。早坂ひなた、っていう子だ。円花ちゃんの盗撮に関しては、容疑を認めてるぜ』
――盗撮に関しては?
『動画の転載元はユーチューブみたいなんだがな。そっちには一切アップしてないんだとさ』
「シラを切ってるだけじゃないのか」
『いちおう、アプリ利用の履歴なんかも見せてもらったぜ。まあ、隠蔽しようと思えばできなくはないんだろうが……それだけは断固として否定するもんでな』
「……分かった。とりあえずそっちへ向かう」
『ああ。道中気を付けろよ』
……まったく。次から次へと。
「円花、動けるか?」
「……うん……」
赤くなった目元を腕でこすり、円花はのそりと顔を起こした。
「しんどかったら、家まで送っていくぞ」
「ううん。悠くんと一緒に行く」
「……分かった。少し待っててくれ」
「お金、払うよ」
「いいから!」
今日はおごる日だ。
誰が決めたわけでもないが、そういう日なのだ。たぶん。
なんとなく意地を張りたくなって、俺は伝票をつかみ取る。
「もう……悠くんってば」
こんな場面でカッコつけたがる男を、こいつはどう思うのだろうか。少し気になる。
「……ありがとね」
「……べつに。普通だろ」
「なにそれ。普通って」
くしゅくしゅと円花が笑っている。
千円弱の伝票にちらりと目を落とす。
……普段ならかなりの痛手だが、今日に限っては痛くもかゆくもないのだった。
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