第22話



 八月十五日。練習十二日目。


 いよいよ大詰めになってきた。

 盆の休校期間も終わり、今日からはまた学校内での練習が再開される。


 二日に渡って開催した合同練習は、俺としてはそれなりの成果があったと考えている。


 上手くいかなかったり、不安定だったりする箇所を徹底的に洗い出した結果、今後に向けての課題が次々と浮き彫りになった。


 俺はDJセットの扱いを苦手としていて、アイドル組との掛け合いがスムーズにいかないことが多い。日暮は曲同士のクロスフェードが課題。四条はどうしても動作が遅れがちになり、円花はそんな四条に引っ張られてしまう。


 ……とはいえ、全体としての完成度は着実に上がってきている。このペースで本番を迎えることができれば、それなりの出来にはなるはずだ。


「おはよー、悠くん」


 くぁくぁとあくびを嚙み殺して、円花がゆるりと音海家のドアの向こうから現れる。


「よう。かなりお疲れみたいだな」

「夜中までフリの確認とか、いろいろしてたから」


 すっかり馴染んだ夢が丘の夏服をなびかせて、円花はくるりとターンを決めた。


「難しいのか?」

「うん。やっぱり詩音さんが考えただけはあるな~、って」


 振り付けの元ネタは、九年前にアップロードされた先代ドル研のライブ映像。円花はひとりで分析を行い、自分で踊り、四条のためのお手本動画を作ったとか。


「それを我がものにするお前も相当だと思うが」

「そ、そんなことないってば……」


 と否定はするが、首を横に振るその表情は満面の笑みだった。


「それを言うなら、悠くんだってすごいよ。視野が広いっていうか!」

「褒めてるのか、それ」

「うんっ。細かいところも、全体的な部分も、ほんとうによく見てるんだなぁって」


 普段から意識したことはなかったが、こうして客観的に評価されるというのは悪くない。


「練習計画だって、上手くすり合わせてくれたのは悠くんだし」

「他にやる奴がいないだけだ」

「あと、こころさんの熱中症の処置も悠くんがやってくれたし!」


 視野が広いというよりは、ただの雑用係(守備範囲広め)というだけな気もするが……。


 二人でとりとめのない話を続けながら、俺たちは校門前の横断歩道で信号待ちをする。


 ――先に異変に気付いたのは、円花だった。


「……ねぇ、悠くん。あれって……」

「なんだ?」


 こそっと円花が耳打ちして、俺がちらりとそちらを見向いたとき。

 そこにいた三人も、漏れなく俺たちを凝視していた。


「……誰だ……?」


 その集団はみな男性だった。


 ただの偶然ではなく、なにか……示し合わせて、この場に訪れた。そんなふうに見える。


 そのうちのひとりが、駆け足でこちらのほうへ近づいてくる。

 間違いなく大人だが、全体的な風貌はどこか幼い印象だ。

 まずいと思ったが、すぐに足は動かなかった。


「あのぉ!」


 やたらとキーの高い声で、その男は俺たちに話しかけてきた。

 間髪入れることなく、


「彼女、【シークレットシーク】の音海円花ちゃんですよねぇ?」


 男の口元が、確信とともにニヤリと曲がる。


「あ、もしかして彼氏とかっスかぁ? 僕らあの、いちおうシクシクのファンなのでぇ……」

「――――……ッ⁉」


 …………なぜだ?


 なぜだ。なぜだ。なぜだなぜだなぜだ…………⁉


「ちょッ、悠くんッ⁉」


 ――気づけば走り出していた。音海のほっそりとした手首を引いて、全速力で。


「あっ、ちょ……おい、お前ら逃げるなよっ⁉」


 背後から浴びせられる大声。それから、俺たちを追いかけ、捕まえようとする足音。


 本能的な恐怖を強く感じる。とにかく今は巻かなければ。


「円花、ついてこれるか⁉」

「速い……速いよ、悠くん……っ!」


 少し足をもたつかせている円花のために、俺はわずかに速度を落とす。


 それで少し冷静になった。向こうはこの辺の地理を知らないはず。


 咄嗟の判断で住宅街へ侵入し、入り組んだ道を右へ左へ進んでいく。場当たり的な進行だが、それで構わない。袋小路になっている箇所はなく、どこへ向かっても必ず市道へと繋がっているからだ。


 公園へ繋がる小路を駆け抜け、たまたま青信号だった交差点を直進する。……この時点でもう、振り返っても追手はどこにも見えなかった。


 万全を期して、さらに裏通りへと抜ける。ここまで来れば、さすがに大丈夫だろう。


「……はぁ、はぁっ……」


 ようやく立ち止まって、俺は膝に手をついた。

 こんなに走ったのはいつぶりだろうか。文字どおり心臓が破れるかのようだ。


「もう、悠くんてば……びっくりするよ……」


 円花も少し息を切らしていたが、俺ほどヘトヘトになっているわけではなさそうだ。


「……なあ、円花。あの連中は知り合いなのか?」

「え? ううん、知らない人……」


 ――僕らあの、いちおうシクシクのファンなのでぇ……。


 先ほど聞いたばかりの声が、脳内でぐわんぐわんと反響している。


「やっぱり、バレてるみたいだな」

「……」


 言葉なく、そっと視線を落とす円花。


 音海円花が、佐賀にいる――その情報がどこから漏れたのか。

 考えたくもない可能性だが、もっとも疑わなくてはならないのは……。


「……四条か日暮に、電話してみる」

「……う、うん……」


 ひやりとした額の汗をぬぐい、俺はスマホをポケットから取り出した。


「……?」


 表示された画面を見て、俺はわずかに眉根を寄せた。

 四条から一件。そして日暮から四件の着信がある。

 俺はひとまず、日暮に折り返しの電話をかけることにした。


「……もしもし」

『やっと出やがった! ……おい、そっちも気づいてるかもしれねぇが。かなりマズい事態みたいだぜ』


 電話越しの日暮からは、ただならぬ緊迫感が伝わってくる。


「あぁ……さっき、見知らぬ男たちから追いかけられてな」

『はぁ⁉ それマジの話かよ⁉』

「だから今、少し遠い場所まで逃げてきたんだ。当分そっちには向かえそうにない」


 内容までは聞き取れないが、四条の声もかすかに聞こえてくる。向こうは向こうで、かなりの騒ぎになっているようだ。


『……なぁ堀川、よく聞けよ』

「どうしたんだ」

『実はな。円花ちゃんを校内で隠し撮りした映像が、ネットに出回ってんだ』

「…………っ」

「……どうしたの、悠くん……?」


 かたわらで心配そうに訊ねてくる円花にも、俺はしばらくまともに反応できなかった。


『誰かが円花ちゃんに気づいて、こっそり盗撮してんだよ。もしかしたら今日も――』

「…………ひなた」


 ぽつり、と。

 おぼろげに浮かんできたその名前を、俺は口にした。


『……あ? なんだよ、そりゃ』

「くせ毛の長髪で、一年生。スリッパの色は、赤」

『お、おい。どうしたんだ急に。てか誰だよそれ』


 困惑を隠せていない日暮に、俺はつまびらかな説明を加える。


「そいつと何度か校内で遭遇したんだ。かなり頑丈そうなスマホケースに携帯を入れてる」

『……そいつが犯人なのか? 証拠は?』

「証拠があるわけじゃない。ただ……そいつじゃないと言える証拠もない」

『疑わしきは罰せよ、って奴か』

「見当違いなら謝ればいい。俺でいいなら、土下座でもなんでもしてやる」

『ははん、言うじゃねぇか。……で、俺らはどうすりゃいいんだよ』


「探してくれ。今も校内に潜んでいるかもしれない」

『相分かったぜ。どのみち、この状況で練習ってわけにもいかねぇからな』

「……少し時間を潰してから、様子を見て戻る」

『おう。もし捕まえたら、また連絡するぜ』

「ああ。頼む」


 ゆっくりとスマホを下ろして、俺は重い息をついた。


「……どうだったの?」

「他に犯人がいるかもしれないって話だ。今、四条と日暮にそいつを探してもらってる」

「そ、そっか……」


 どことなく安堵したような、それでいて不安に満ちた色で、円花は俺を見上げている。


「……とりあえず、しばらく時間を潰すぞ」

「う、うん……」

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