第三章

第21話


 まどろみの世界で、わたし――早坂ひなたは、リリースされたばかりの新曲『ゆめうつつのキス』のサビを聴き、その瞬間、まるで神経反射みたいに布団から飛び起きた。


「……おはよ……」


 ふあぁぁ、と長いあくびをこぼす。

 これが、ひなたの一日の始まり。


 暗闇の世界に目覚めしひなたを優しく照らしてくれるのは、ありとあらゆるアイドルのグッズたち。ポスターにタペストリー、写真集にタオル、ラバーバンド、ブックレット、ライブBDとか……その他もろもろ。譲り受けたものも、バイトをして買い集めたのも。どれもこれも、とっても大切な宝物たちだ。


 ブランケットからするすると抜け出して、ひなたはボサボサの髪をくしけずる。後ろ髪の爆発がある程度収まったら、ひなたはひょいと立ち上がる。すぐに、顔がニヤニヤしてしまう。


 そのポスターの前に立った。【シークレットシーク】ファーストシングル発売時の宣材ポスター。ひなたが心から想ってやまない三人のアイドル。なかでも……。


「……円花さんっ……♪」


 ポスターに頬ずりして、こてんと額を押し付ける。


「……だいすきです……ずっとずっと……」


 こんなところ、誰にも見せられないけど……やめられない。

 暗闇の世界に生きる、ひなたなりの愛情表現だから。


 本人に届かなくてもいい。ひなたの心が、円花さんに繋がっていればいい。

 それだけで、ひなたはこの世界を生きていくことができるから。


「……にへへぇ……かわいいです……ほんとのほんとに……っ♪」


 くすみひとつ見当たらない真っ白な肌。きれいな輪郭。さらさらの黒髪。

 柔らかに笑いかけてくれる円花さんの姿を、ひなたの指でなぞっていく。


 ポロン、と軽やかな通知音が鳴った。


 ひなたは布団の横に転がっていた、重厚カバー仕様のスマホを拾い上げる。


 通知のバナーをタップして、匿名SNS「オープンスペース」のアプリを開く。完全承認制のグループ『アイドル好き集まれ!』を選択すると、今日もひなた宛てに応援のメッセージが届いてる。



 えむくん @ひなひな 〉今日も頑張って

 ミートスパ @ひなひな 〉楽しみ(*^-^*)

 千紗 @ひなひな 〉おすそわけ! おすそわけ!



 思わず笑っちゃう。みんな、ひなたからの【おすそわけ】を待ってる。



 ひなひな @全員 〉今日も頑張ります! おすそわけ、楽しみにしててください♪



 メッセージを入力して、ひなたは口元がニマニマしていることに気づく。


 嬉しい。とっても嬉しい。みんなから期待されるって、こんなに楽しいことなんだ。


「ふふ~ん……♪」


 気持ちが舞い上がっちゃって、ひなたはご機嫌の鼻歌を奏でる。

 ひなたにできることはこれくらい。でも、それでひなたもみんなも幸せになれる。


 きっとこの、高校一年生の夏休みは――ひなたにとって、生涯でいちばん幸せな夏だ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る