第24話
念には念を入れて、俺たちは裏門から高校の敷地内に忍び込む。
いつもとは異なるルートで部室へ急ぐ。
ありがたいことに、ドアはご丁寧に開けられたままだった。
「戻ったぞ」
予想どおりと言うべきか、部室には明らかに異質な雰囲気が漂っていた。
一瞬だけ早坂とも目が合うが、すぐに視線を逸らされてしまう。
「あ……!」
俺たちの姿に気づくやいなや、すぐに四条が駆け寄ってきた。
「円花ちゃん……大丈夫ね?」
「……ありがとうございます、こころさん」
「……っ!」
円花の目が真っ赤に腫れていることに、四条もすぐ気づいたようだった。
四条にそっと肩を抱かれて、円花はいつもの席へと導かれる。
彼女がすとんと腰を下ろしてはじめて、全員の視線が渦中の人物へと集まっていく。
早坂ひなたは、普段四条が座っている位置、つまり俺の隣席へ腰を下ろしていた。
以前に会ったときの快活さは失われ、今は後ろめたそうな視線を己の膝上に流し込んでいる。
「あれから、ちょいと事情聴取をしてな」
最初に口を開いたのは、早坂の正面にどっかりと座り込む日暮だった。
「とあるクローズドなコミュニティで、盗撮動画を共有していたそうだ」
「……なんだそれは。なにが目的だ?」
俺がにらみつけると、早坂はぴくりと肩を震わせて委縮する。
「まぁ聞けよ。ひなたちゃんは、落ち着いたら話すって言ってくれてんだ」
「……」
早坂はしかし、なかなか口を開かずにいた。
むっつりと押し黙る早坂の表情を見ているだけで、意図せず身体に力が入るのが分かる。
早坂は逡巡する仕草を見せてから、
「……ごめんなさい、センパイがた。そして、円花さんも……」
その視線は定まらなかった。ふらふらと下のほうばかりを向いている。
「謝罪は充分聞いたぜ。もういいから、大事なことを話してくれよ。な?」
日暮はフランクな態度で、ときおり微笑を織り交ぜながら問いかける。
こいつの、ここぞというときの落ち着きようは群を抜いている。日暮がこの場にいてくれて助かったと、俺は心から思った。
これは根気の勝負か……俺がそう考えかけていたとき、早坂がふいに口走る。
「じ、実は……【おすそわけ】だったんですっ!」
「……お、おすそわけ?」
四条がこてんと首をかしげた。
「そうですっ。ひなたが心から敬愛している円花さんを、近くで見守ることができたこと……こんなに幸せなことは、ひなたの人生で二度はありませんっ。……だから、この幸福を、みんなにも分け与えたいと思って、それで……動画を【おすそわけ】しちゃいました……」
「ちょっと気になるとやけど、【おすそわけ】っていうとは……?」
四条がおずおず訊ねると、早坂は【おすそわけ】の説明を始めた。
いわく。【おすそわけ】は、早坂が所属する匿名系コミュニティで使われている用語らしい。
たまたま有名人に出くわした人は、その幸せな気持ちを仲間内で「シェア」する――つまり、隠し撮りした有名人の画像や動画を、コミュニティ内部で共有している――ということだ。
おそらくコミュニティ内では、【おすそわけ】とやらが励行されているのだろう。先ほど早坂が口走った「幸福を分け与える」という表現も……聞こえをよくするために、コミュニティの人間が体裁を整えて用意した言い回しに違いなかった。
それを、こいつは――よりによって、まんまと鵜呑みにしてしまったのだ。
「ひなた、みんなから【おすそわけ】をせがまれちゃって。……一度だけと思って、シェアしたんです。そしたら、みんなが喜んでくれたから……ひなた、嬉しくなって――」
「そんなことで、お前は自分の承認欲求を満たしてるのか?」
たまらず俺が口を挟んだところで、日暮がすぐに割り込んでくる。
「食ってかかるのはご法度だ」
「……でも……!」
それ以上の返事をする代わりに、俺はぐっとこぶしを握りしめた。
「……いえ。センパイの言うとおりです」
いっぽうの早坂はふいっと顔を上げて、力なく笑ってみせる。
「ひなたはまともに生きていくのが苦手な人間ですから。こんなことでもしないと、承認欲求さえ満たせないんです」
――まともに生きていくのが、苦手。
それがどういう意味なのか、俺は即座に理解しかねた。
「センパイと、それから円花さんにはお伝えしていましたよね。ひなた、おっちょこちょいさんなんです。それも、かなり度を過ぎた感じの。天然キャラとか、そんなかわいいものじゃなくて……ひなたを見た人たちが、思わずひなたを避けてしまうくらいの」
穏やかな語り口だったが、その言葉にはただならぬものが感じ取れる。
俺はわずかに眉根を寄せて、その続きを待った。
「――簡単に言えば、誰でもできるようなことができないんです、ひなた。
言われたことをすぐ忘れちゃうし。何度注意されても、同じところで失敗しちゃうし。
間違いようのないことを、平気で間違えちゃうんです。
だからたぶん……いつもふざけてる子なんだって、思われたりしちゃってるみたいで。
ひなたはそんなつもり、ぜんぜんなくて、頑張ってやろうとしてるんです。
でもそんなこと、理解されるはずもないですよね。
だからひなたには……中学校からずっと、友達がいないんです」
――――。
それはあまりにも平然とした、重すぎる告白だった。
早坂の言葉に絶句したまま、俺たちは硬直したままだ。
「そんなひなたが心のよりどころにしていたのが、アイドルなんです。
こう見えて、推しドル、たくさんいるんですよねっ。
いちばん好きなユニットが、シクシクで。
そのなかでもひなたがいちばん好きなのが、その、円花さん……なんですけどっ」
「…………へっ?」
間の抜けた円花の声が、一瞬だけぽつりと漏れる。
早坂はもぞもぞと身体を揺らしながら、横目で円花をちろりと見た。
たったそれだけで、早坂の顔全体がぼうっと上気する。
その瞳はみずみずしく潤んで、てらてらと輝きを増しつつあった。
心なしか、その話し方にも変化が表れているようだった。
「ぜ、ぜんぶが好きなんです、ほんとに。
顔とか、声とか、ちっちゃい感じの身体つきとかも……。
あと、あれです! 円花さんて、ぜったい媚びを売ろうとしないんですよね!
シクシクはいつも人気投票があるから、他メンのあかねちゃんやみなみちゃんは、人気取りのために露骨なファンサービスしたりして、ひなた的にちょっとなぁって思ってたんですけど。
円花さんはデビューからずっと自分を貫いてて、それがほんとにカッコよくて……!
自分のなかにある信念を、決して曲げない人なんだなあって。
ひなた、ずっと考えてたんです。円花さんみたいな、強い人になりたいなぁって……!」
「……わ、わたし、みたいな……?」
目を丸くする円花へと、早坂は矢継ぎ早に想いを投げかける。
「そうですよっ。ひなたは中三のとき以来、ずっと円花さんを目標に生きてきたんです!
シクシクがテレビやラジオに出演したときは、毎回欠かさず見てましたっ。
でも、ここ二か月くらい、なんだか円花さんの様子がおかしい気がして……心配してたら、いきなり活動休止の発表が出ちゃって。ひなた、気が気じゃなかったんです。
……えへへっ。もちろん、最初に校内で見かけたときは、なにもない場所で二回もコケちゃうくらいに、びっくりしちゃったんですけどね!」
「……ふぁ、えとあの、嬉しいっていうかありがたいっていうか、なんていうか……⁉」
円花は目をぐるぐるさせて、わたわたと両手を動かしていた。
二人とも、既に収拾がつかなくなっている。
「でも、ここでセンパイたちと活動してるときの円花さんは、とってもキラキラしてましたっ。
どうして夢が丘にいるのかは、いまだにぜんぜん分からないですけど!
ひなた的には、伸び伸びとした円花さんをこの目で見られたから、とっても幸せでしたっ!」
火照った頬に手を添えながら、早坂は熱烈にまくし立てたのだった。
「…………」
二の句が継げない。
その、あまりに破天荒すぎるキャラクター。
よく言えば雰囲気に流されない。悪く言えば空気が読めていない。
早坂ひなたという少女は、意図することなく……たった今、ドル研を掌握していたのだった。
「それでお聞きしたいんですけど、センパイたちはどういう活動をされているんでしょう?
あ、いえ、円花さんのことだから、ヘンなことじゃないってことは分かってるんです。
ひなたは完全に部外者なんですけど、もしよかったら、教えていただけませんか⁉」
「あ、あのな、ひなたちゃん……まずは一旦落ち着こう、な?」
そうやってなだめすかす日暮のほうが、よほど気が動転している。もっとも、それは俺を含めた他の三人も同じなのだが。
「ご、ごめんなさい。ひなた、円花さんのことになると、すぐに熱くなっちゃうので……」
はっと我に返り、早坂は頬をぽりぽりと掻いた。
「えっと、じゃあ……わたしの口から、きちんとお話ししますね」
呼吸を整えてから、円花はその場の全員に向けて――ここにやってきた理由を、順を追って説明していく。さすがに俺がどうこうという話は伏せていたが、大まかな流れは喫茶店で語っていたものと変わらない。
芸能アイドルとしての葛藤。自分の本心がどこにあるのか、それを探すための活動休止。
「――この部に加入させてもらったのは、偶然の産物なんです。ここにいるみなさんが、わたしの心境を理解してくださって。わたしは純粋にアイドルできる機会を、こうして与えてもらっています」
長らく耳を傾けていた早坂は、合点がいったというようにパチンと手を合わせた。
「なるほど、そういうことだったんですねっ。それじゃあ円花さんは、近いうちにライブをされるってことなんですよね! ……あの、それならひなたも応援しに行っていいですか⁉」
「ば、ばってん、ひなたちゃん……!」
オロオロとした四条が、なにかを言いかける。
言わんとしていることは明白だった。円花がその続きを代弁する。
「でもこの状況だと、ミニライブをするのはちょっと……」
日暮がすぐに同調した。
「円花ちゃんの言うとおりだな。火に油を注ぐことになるかもしれねぇ」
パイプ椅子の後ろに立ちすくむ四条も、うつろな目で俺に問いかけてくる。
「……ゆーくんたち、さっき、男の人に追いかけられたとやろ……?」
「ああ。あの様子だと、少なくともファンの間では情報が広がってるんだろう」
推測にはなるが、おそらく早坂が【おすそわけ】した映像の一部を、コミュニティ内の誰かが無断で動画サイトに転載した。それを見たシクシクのファン、ならびに愉快犯たちが、校舎の内観などから高校名を特定。実情を探るべく、ネット上の有志三人がわざわざ佐賀くんだりまで出向いていた。そして運悪く、俺たちは彼らに遭遇してしまった……という流れになる。
「今後どこまで騒ぎが波及するかは分からねぇ……が、俺たちにとっちゃかなりの痛手だな」
「うん……せっかく準備、してきたとにね……」
しょんぼりと肩を落とす四条。
そのすぐ隣で、日暮は深刻な面持ちで腕を組んでいた。
「み、みなさん、そんなに気を落とさないでくださいっ。もし仮にライブができないとしても、こうしてみなさんと一緒に過ごせただけでも、わたしは充分に幸せですので……!」
そうやって、気丈に振る舞ってみせる円花。
……だが、そのどんよりとした空気が吹き飛ぶことはない。
めいめいが顔を見合わせる。
諦めの二文字が、互いの表情に強くにじんだ。
「あのー。ひなたにはちょっと、よく分からないんですけど……」
そんなとき。どこまでも場にそぐわない音色で、早坂は素直な疑問を口にする。
「どうして、ライブするの辞めちゃうみたいな雰囲気になってるんですか?」
「……お前な、誰のせいで辞めなきゃいけなくなると思ってるんだ?」
さすがに頭にきて、俺は正面から早坂へと問いただす。
普通なら、反論の余地もない。
しかし――早坂は臆することなく、鋭い眼光で俺を見定めた。
「それってつまり、円花さんが自分のことを見つめ直すために、ミニライブをやるんですよね。
センパイがたは、そんな円花さんのためを想って、一生懸命準備をされているんですよね。
それの、なにがダメなんですか?
悪いことひとつもしてないっていうか……むしろそれって、いいことだと思いますけど」
「…………っ!」
息を詰まらせたような、誰かの呼吸音が聞こえた。
「でも、でもな、ひなたちゃん……」
どうかみ砕いて説明したものか、さしもの日暮も混乱しているようだ。
「今、円花ちゃんに対するファンの不信は高まってるだろ? そんな状況で平然とライブなんてやったら、ファンはどう思うよ? ひなたちゃんだって、事情を知らなかったとしたら――」
「そうだとしても、ひなたはやるべきだと思いますっ!」
毅然とした表情で、早坂ははっきりと言い切った。
「その、ひなたのせいで、こんな騒ぎになったことは何度だって謝ります……ごめんなさい。
……ですけど、そんなことでライブ辞めちゃうなんて、もったいなさすぎますよ!
確かに、批判を受けちゃうリスクはあるかもしれないですけど。
でもそんなの、ぜんぜん気にする必要ないです。
だって円花さんには、センパイたちには、正当な理由があるんですからっ。
ミニライブをやるに値する、大きな意味があるんですよ。
さっき、ひなたに話してくれたみたいに――、
円花さんは、センパイたちは、それを嘘偽りなく、きちんと説明できるはずです。
だから恐れる必要なんて、これっぽっちもありませんっ!」
俺たちの顔を一人ひとり見回しながら、早坂は臆することのない笑顔を見せた。
「それに円花さんは今、ここにいるじゃないですか。
東京に戻ったら、もう二度とこんな環境でミニライブなんてできませんよ!
逆に言えば、今なら……やれるんですっ。
だからもし、ここで辞めちゃったら。
ひなたが思うに……円花さん、あとで絶対に後悔することになっちゃいますっ」
「―――っ‼」
どこまでも無遠慮な早坂の一言に、円花は思わず顔を伏せる。
まるで急所を針でひと突きにするような、緻密さと威力。
躊躇いもなく、心の奥まで踏み込んでくる早坂に、俺は恐怖心すら覚える。
その無邪気な刃が己に向けられていないことに、そっと胸をなで下ろしたほどだ。
「……ね、円花さん?
そうならないためにも、ひなたはライブをやるべきだと思います。
これはきっと、最初で最後のチャンスです。
アイドルとしての音海円花なんて、今はどうでもいいんですよ。
円花さんという人間が――この先の未来をどう生きていくか、それが懸かっていますから」
「…………」
そこにいた全員が、ただただ早坂のことを見つめていた。
俺もいい加減、彼女に対する見方を変えなければならないだろう。
こいつはほんとうに、どうしようもなく空気が読めないが――――、
少なくとも、この場にいる誰よりも――正しかった。
「……うんっ。そうです、ひなたさんの言うとおり……」
延々と続くかに思われた沈黙を破ったのは、他でもない……円花自身だ。
小さくうなずく円花の表情には、どこかに置き去りにしていた笑顔が戻ってきている。
「わたし、やります……ミニライブ、やり遂げたいですっ!」
握り込んだ手を胸に当てて、円花は高らかに自らの想いを宣言したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます