第2話

 


 いつものように夕方までダラダラ過ごしてから、俺たちは三人そろって校門を後にする。誰が言い出すでもなく、それぞれの足取りは同じ方向へ。すなわち、ここから歩いて行ける距離にある俺の実家へと向かっているのだった。


 うちは医者の家庭で、勤務医の父親はあまり家に帰ってこない。俺がある程度育ってからは母親も仕事に復帰したので、わりと夜遅くまで一人で過ごすことが多いのだ。両親が家を空けている間は好きにできるので、ほぼ必然的にドル研メンバーのたまり場となっている。


 ちなみにうちでもやることはほぼ変わらない。適当に雑談するか、ライブ映像をプロジェクターで投影して鑑賞するか、そんなところか。


 ちなみに隣ではまだ争いごとが繰り広げられていた。


「いーや、ライブは絶対生歌だろ。むしろお前、生歌じゃないのにライブっておかしいと思わねぇの? 現地の意味ねぇじゃん」

「短絡的すぎるばい。ダンスを含めたステージパフォーマンスを最大限に魅せるためには、ある程度の被せも必要不可欠と!」

「いーや違うね。アイドルは歌ってナンボだ」

「時代錯誤ばい。そういうの、前時代的って言うとよ?」


 しかし……よくもこう議論の話題がつきないもんだ。俺としてはどっちでもそう大差ないと思うが……俺はリアルなライブを経験したことがないので、口を挟む余地はなかった。


 喧々囂々と二人がやりやっているうちに、実家のすぐ近くまでたどり着く。

 と、――先陣を切っていた俺の足が、射止められたようにぴたりと止まる。


「……誰だ……?」


 堅牢なガレージの前で立ちすくみ、ぼんやりと表札を見つめている人影。

 直後。どん、と衝撃を背中に感じる。後ろから歩いてきた日暮が、いきなり立ち止まった俺にぶつかったらしい。


「おいおい堀川、そんな唐突に立ち止まんなよ……って、どうした?」


 背後の二人も、その人影をようやく認めたようだった。


 子供……だろうか。遠目に見ても華奢な女の子だった。夏だというのに長袖の上着を羽織って、頭にはベージュ色のキャスケットをかぶっている。


「あの子……ゆーくんの知り合い?」

「いや、ちょっと……分からん」


 俺たちがひそひそとその姿を観察していた、そのとき。

 気配に感づいたのだろうか。不意に彼女がくるりとこちらを振り向いた。


「――ッ」


 ひゅっ、と誰かの呼吸が止まる音がする。


 俺が一瞬固まっている隙に、日暮と四条は電柱の陰にこっそりと回り込んでいた。

 さっさと行ってこい、と手でジェスチャーする二人に渋い顔を残して、俺は仕方なく、ゆっくりと彼女へ近づいていく。


 向こうも立ち去る気配はない。覚悟を決めたように、そのつま先をこちらに向ける。対面したまま、俺たちの距離は少しずつ狭まっていく。


 その相貌が少しずつ明らかになってきた。ぱっつんにされた前髪、肩にかからない程度に切り落とされた短髪。ぼてっとした黒縁メガネをかけているのに、なぜかそんなアイテムさえ可憐さを引き立てているように思える。


 かなりの美人だった。一体どこの――――、


「――……あ、」


 その小柄な体躯まで、あと数歩まで迫ったとき。

 俺はようやく、そいつの正体を見破った。


 信じられないくらいにまぶしく光る白い肌。大きくて吸い込まれそうな黒い瞳。ほっそりと整った鼻梁、そしてなにより――。


「……あの、覚えて、ますか……?」


 少女は弱々しげに、潤んだ目を足元の灼けたアスファルトに沿わせながら、それでもゆっくりと視線を持ち上げる。


 頭一つ分以上の身長差に、俺はどうしても戸惑いを隠せなかった。


「音海、です。あの、向かいの三軒隣の……小さい頃に、よく悠くんと遊んでもらってた……」


 どこか他人行儀な話し方と、たどたどしい口ぶりに、あの頃の面影は残っていない。


 だけど。ころころとした優しい声と、思わずどきりとしてしまうようなそいつのまなざしは、あのときのまま、変わることなく目の前にあった。


「……ああ、あの。ええと……そうだな、うん」


 あまりの動揺に、俺はまともな日本語を放ることができない。


 だって、そんな。

 こいつとはもう――二度と会うことはないと思っていたのに。


 こいつだって、もう俺と決別するつもりで――あの夜、この場所を発っていったのだと、そう思い込んでいたのに。


「覚えてるけど、な。その……すまん。ちょっと、驚いて」

「ご、ごめんなさい。お邪魔かなと思ったんですけど、その……どうしても…………っ」


 温めてきた言葉を吐き出そうとして、すんでのところで詰まってしまう。

 居心地の悪い数秒間の沈黙。俺はなんとかその空気を吹き飛ばそうとした。


「……上がってくか?」


 親指で玄関のほうを指す。

 音海は遠慮がちに、こくりと首を縦に振った。


「……あの、それで、あちらの方たちは」


 音海が控えめに目を向けている先には、相変わらず電柱の陰でこそこそやっている二人組。言うまでもないが、少しも隠れ切れていない。


「部活の連中だ。あれだったら帰ってもらうか?」

「そ、そんな。せっかくなのでご挨拶もしておきたいですし」

「分かった。じゃ、鍵やるから先に入っててくれ」


 ポケットのなかから取り出した鍵を、押し付けるように音海へと渡す。


「いや、でも」

「うちの構造、とっくに知り尽くしてるだろ。俺はあいつらに事情を説明してくるから。リビングのエアコン付けて待っててくれ」


 なにか言いたげな顔を一瞬浮かべた音海だったが、観念したように鍵を受け取り、先に家のなかへと入っていった。

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