第一章

第1話



 けたたましいセミの鳴き声とともに、外を眺めるだけで汗をかきそうになるほどの猛暑が、今年も北部九州を訪れていた。


 とはいえ今に限れば、そんな灼熱の世界とも完全に切り離されている。

 心地よい冷気とともに響くのは、エアコンの物静かな稼働音ぐらいだ。そうでなければ、


「きょーた、お茶、いらんと?」


 柔らかなソプラノの声が、六畳の部室のなかで軽やかに弾む。すると、


「た、頼む……いまちょっと話しかけないでくれぇ……」


 戦々恐々とした男の震え声がする。同時にシャンシャンというタップ音が、よく分からない電波ソングと一緒にリズミカルに聞こえてきた。


「ふーん……やったら、ゆーくんは?」


 音楽ゲームに興じるオタクに向けられていた笑みが、くるりと俺のほうに向けられた。


「じゃ、一杯頼む」

「はいは~い。特上の一杯淹れるけん、首を長くして待っとってね♪」


 ふんふふーん、とどこか調子のずれた鼻歌を奏でながら、四条こころはポットのお湯をこぽこぽと急須に注ぐ。


 湯を冷ます合間に佐賀県銘菓の「まるぼうろ」を化粧箱から取り出す。そういう一つひとつの動作を終えるたびに、左右にふわりと広がったセミロングの後ろ髪と、なかなか窮屈そうな夏服の胸元がたぷんと揺れていた。


 身体のわりには小ぶりな顔立ちで、いつも穏やかな笑顔を振りまいている。すっかり癖のついた佐賀弁も、今となってはすっかりなじんでいた。


「……」


 俺の目つきが怪しげなことは自明だったので、四条に感づかれるより先に視線を逸らす。目のやりどころに困った俺は、向かい側の男へと焦点を合わせた。


 この男、見た目は爽やか系イケメン、スタイルもいいときている。四条に関しても言えることだが、どうにもこの部活には不釣り合いな気さえしてくる。


「なあ日暮、そのゲームそんなに面白いのか?」

「だから今は話しかけ……ぐはあっ!」


 B級映画でよくある断末魔みたいな声を上げて、日暮京太郎はがくりと長机に突っ伏した。


「なにしてんだ、お前」

「お前が! 話しかけるから! フルコンボ逃しちまったじゃねぇかよぉぉ! イベント始まってから300回もプレイして、ようやくフルコンボに手が届きそうだったのによ……」


「あー、悪いな」

「いつものことだけど、堀川は謝罪が軽すぎるぜ……」

「たかがゲームだろ」

「そうばい。たかがゲームに、そげん一生懸命になったらいかんと!」


 はいどーぞ、と湯呑みを机の上に置いてから、四条は俺とともに怪訝な瞳を日暮へと向けた。


「な、なんなんだよお前ら……いいか、このゲームは俺が人生の伴侶にすると決めた『アイドルメモリーズ』だぞ! 通称アイメモ! 心温まるアイドルたちのサクセスストーリーが最高なんだ! ちなみに今秋には、テレビアニメシリーズ第二期が2クール構成で――」


 スイッチが入ったのか、日暮はアイメモとやらの布教活動を展開し始めた。こうなると手が付けられないので、俺たちはいつもそのまま放置している。


「まーた始まったばい」

「いまどきこのタイプも珍しいよな」

「まー、好きなものに熱が入るのは分かるばってんねー。あたしもそうやもん」


 よっこらしょ、と四条は俺の隣に腰を下ろした。足元に置いたスクールバッグをごそごそやり始めたかと思えば、取り出したるは人気男性アイドルグループの写真集。


 淹れたばかりの嬉野茶と丸ぼうろをかじりながら、至福のひとときを楽しむらしい。


「……ふへぇ……みんなカッコよかばい……。まあ、あたしはのぞくん担ばってんね……ふひひぃ……」


 完全に堕ちた目つきになって、ニヤニヤとページをめくっている。コイツも大概だ。


 日暮のほうもどうやら落ち着いたのか、再び腰を据えてシャンシャンやっている。

 俺はとくにやることもないので、黙ってお茶をすすった。……うん、美味いな。

 なんともなしに、部室をぐるりと一望してみる。


 壁面には、壁紙を覆いつくさんとばかりに種々雑多なアイドルたちのポスターが張り巡らされている。本棚には主にアイドルものの写真集や雑誌がはち切れんばかりに詰め込まれていて、CDラックに至っては整理整頓などどこ吹く風、わざわざ一枚ずつ確認しなければ目当ての曲がどこに眠っているかさえ分からないありさまだ。

 そのへんに散在している雑用品ボックスには点灯すらしないコンサートライトや、ピントが合わない防振双眼鏡が投げ込まれている。


 おまけのつもりか、部室の角には中身すら確認していないジュラルミンケースが三つ。おまけに使いどころがない大型スピーカーがひっそりと鎮座していた。とにかく狭苦しい空間だが、部員が三人なのでどうにかパーソナルスペースは保たれている。

 我ら「夢が丘高校アイドル研究部」の全貌は以上のとおり。


 こういうふざけた名前の部活がなぜうちの高校に存在しているかといえば、少しばかり込み入った事情がある。


 もう八年前になるだろうか。有名人不毛の地といわれるこの佐賀から、一世を風靡するトップアイドルが現れた。それが【シスター・リリー】のセンター、天川詩音。


 中学時代にアイドルになることを夢見た彼女は、この夢が丘高校に入学し、手始めにこの部を結成することから始めた。


 よくある既存アイドルのコピーユニットではなく、純粋な女子高生アイドルとして活動したいと考えた彼女は、インターネットを駆使して協力者を募った。有志からオリジナルの楽曲を提供してもらい、ステージ衣装はハンドメイド、振り付けはすべて自分たちで考えたとか。


 当初は部室をあてがってはくれなかったそうだが、そうした真摯な活動態度が認められ、晴れて部室と活動資金が学校側から与えられるようになる。やがてドル研の活動が広く知れ渡るようになると、圧倒的な美貌とカリスマ性を持った天川詩音に各所から注目が集まるようになり、ついに高校二年の夏、とある芸能プロダクションからスカウトを受けたというわけだ。


 その後の活躍についてはあまり詳しくないが、なんせ当時小学生だった俺すら、その名前と顔はよく知っているくらいだ。全国的なスターとなった彼女、その功績をたたえる意味でも、こうしてドル研は存続してきた。もっとも現状を見るに、本来のドル研の活動内容とは百八十度方向性がズレてしまっているのは明らかではあるが。

 今ここにいるメンバーなど、なんとなく入部した連中しかいない。創設者の熱いパトスは残念ながら受け継がれていなかった。彼女たちが卒業して七年ともなれば、こうして形骸化するのも致し方ないかもしれないが……。


 実際、俺たちにほとんどまともな活動実績はない。今だって、ただ夏休みに部室に集まって、おいおい好きなことに興じているだけだ。日暮は二次元専門のドルオタでアイドルの育成ゲームばかりやっている。四条は典型的な男性アイドルオタクで、ライブぜんぜん当たらんばい~と半べそをかきながらも、日々のオタ活を楽しんでいる。


 俺はといえば、日暮に誘われてなんとなく入部してみたクチで、とくだんアイドルに興味はない(むしろ例の幼なじみの影がチラつくので苦手かもしれない)。ただ、キャラの濃いドルオタ二人に囲まれているためか、この界隈の事情を少しは理解できるようになっていた。


 ふと四条を見やると、今度は推しの名前がデコられた特製のうちわをうっとりと眺めている。


「……そういや、四条は今月末に現地なんだっけ?」


 そう訊ねると、彼女は嬉しそうにこくこくとうなずいた。


 補足しておくと、現地=アーティストのライブを生で観戦する、という意味。

「うんっ。『EIS-BAHN』の全ツばい! 福岡のおっきなドームであるとよ!」


 ちなみに全ツは全国ツアーのことだ。


「あー、あそこな。ポイポイだかパイパイだかいうところだろ」

 唐突にニヤケ面の日暮が会話に割り込んでくる。その視線は四条の胸元に注がれていた。

「……きょーたは女の子にそがんことばっかり言うけん、いっちょんモテんと」

「なんだよ、ただのユーモアだよユーモア。な、堀川なら分かってくれるよな?」

「知るか」


「うっ、なんだよ……お前今日なんかちょっと冷たくねぇ?」

「ゆーくんは普段どおりやもん。きょーたがズレとるだけばい」

「まったくだ。もう少しデリカシーでも身に付けたらどうだ」


 長机を境界にして、日暮VS堀川・四条の対立構造が浮かび上がってくる。


「な、なんだよ、そっちの陣営……なんか俺がひとりぼっちみたいで寂しいじゃねぇか」

「孤軍奮闘ばい」

「いや、孤立無援だな」

「なるほどー。ぴったりな言葉やね」

「せめて前者にしてくれよぉ!」


 しょんぼりと肩をすくめる日暮。なかなかに凹んでいるらしかった。

 見かねた俺は、こいつにも同様の話題を振ってやることにする。


「日暮。お前も確か、来月くらいにライブあったな」


 急に背筋が伸びて瞳が輝いた。ちょろすぎるだろお前。


「おうよ! 埼玉のスーパーアリーナで『ラブリーライブ』4thアニバな! 最速先行はどっちもダメだったが、CDとWEB先行で両日ばっちりだぜ」


 日暮がよく行っているアイドルアニメのライブは、アニメBDや楽曲のCDなど、いわゆる「円盤」を買ったときに付属するシリアルコードを使うことで、チケットの抽選に参加することができる仕組みだ。BDなど単価が高いものに最速先行、単価の低いCDなどには二次先行……というように割り当てるのが、もっとも一般的な手法である。


 ちなみに最速先行の場合、倍率は高いが当たれば良い席を引けることが多い。いわゆるアリーナ前方席。ステージが近く、より迫力のある臨場感を味わえるらしい。


「よかねー、声優さんのライブは簡単に当たるけんね~」

「ぬ、な、なんだとっ⁉ 簡単なわけあるかい! 最速どっちも外れたんだぞ!」


 ふふんと鼻で笑いながら、四条は嘲笑するように言った。


「CD何枚か買うぐらいで2DAYS行けるとか、ぜーんぜんユルユルばい。『EIS-BAHN』やと、FCに入ってても、五大ドームツアーでようやくどこかの1DAY当たるか当たらんかやもん」


 FCとはファンクラブのこと。四条が推しているようなとくに人気のあるアイドルグループでは、ファンたちは一定の金額を支払ってFCに所属し、そこで特別の恩恵を受けるシステムになっていることが多い。ライブへ申し込む権利も、当然それらの特典に含まれている。


「……ま、倍率的には比較にならんわな」

「むむ……ちくしょう……なんか今日の俺、負けてばっかな気がするぜ……」

「それはいつものことばい」


 勝ち誇る四条に、日暮は苦悶の表情を浮かべた。


「うるせぇ! くそぉ、覚えとけよ四条! いつかお前にも声優ライブのすばらしさ、身をもって体感してもらうかんな!」

「あたしにはいくらでも推しドルおるもん。アニメのライブとか観る余裕なかっちゃんねー」


「よーし言ったな⁉ この夏でお前を二次ドル沼に陥れてやるからな⁉」

「ないない。そがんと、ぜったいありえんもん」

「そうやって三次ドル勢は二次ドル勢を下に見るんじゃねぇ! そもそもだな、声優のライブっちゅうもんはなぁ――」


 不毛すぎるオタクたちの応酬を傍目で眺めつつ、俺はぼんやりと考える。


 ――同じドルオタでも、こいつらはまさに対極に位置する存在。


 それが災いしてか、こいつらはよく分からんことで毎日のようにやりあっているのだった。


 ……ま、お互いにプロレスごっこで済んでいる分、平和でいいんだが。


 少し間違えれば同担拒否だのなんだので、一瞬にしてファン同士の人間関係が崩壊するコンテンツ。それがドルオタ界隈だ。舐めてもらっては困る。

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