6. この世で一番美しい景色
「とうさん、かあさん、あのね」
新学期が始まる日に、あたしは両親に告げた。
「あたしじつは、大学は理系の学部に、進みたいんだ」
気遣いとか、空気を読むことじゃない。
あたし自身を好きになってくれる人だっている。
そう信じてみようって、思った。
どうしていきなりそんなふうに思ったのか。
そこらへんは自分でもよくわからなくて、ふしぎなんだけど。
いきなりなことに食卓でそろって目を丸くする両親に、言う。
「夢があって。宇宙飛行士になりたいの」
とうさんもかあさんもあんぐりと口を開けて、お互いの顔を見やった。
「あ、杏、それはまた唐突な。な、なんでまた……!?」
くちをパクパクさせるかあさんの肩をたたいて、先に正気に戻ったのはとうさんだった。
「杏が近頃、勉強をがんばっていたのはそのせいだったのかぁ」
ふぅぅと、受けたショックを吐き出すような吐息をつくと、
「かあさんよ、宇宙飛行士ってぇのはちとおったまげだが、杏ががんばってたのは事実だ」
お箸とお茶碗を持ったまままだ呆然としているかあさんの背中を、とうさんはぽんぽんとたたいて。
あたしに目を向けた。
「うし、杏。やるからにはとことん、がんばりぬけよ」
太陽が昇って、窓に朝日を届ける。
「とうさん!」
思わずがしっととうさんの手を握ってしまうと、とうさんはちょっと照れたように顔を背けた。
ゆっくりと、あたしは残る一人に目を向ける。
「……かあさんは?」
かあさんはようやく、口にとどめたままだったおかずのかたまりをごくんと飲み下して。
「いえ、あんまりとつぜんだったからびっくりしちゃって」
そう言うと、なぜか照れたようにぽっと頬を染めた。
「プラネタリウムはお父さんとの思い出のデートスポットで、かあさんも宇宙には憧れがあったけれど――」
「おいおいおめぇ、ここで言うことじゃねーだろ」
なぜかとうさんも気まずそうに首筋をかいて、
「うん、宇宙って、自然ってすてきだよね! 二人があたしに星座にちなんだ名前をつけてくれた気持ち、わかるよ!」
かあさんはまだ戸惑いつつも、ちょっと嬉しそうに笑った。
「杏は高校で天文部にも入ったんだものね。でもどうして宇宙飛行士なの?」
「うん。それはね――」
あたしは語りだそうとそうとし、ふいに壁にかかった時計に目を止めた。
「あっ。もうこんな時間。続きは後で話すね。それじゃ、行ってきます」
「おいおい、ちぃと、杏――」
「もう、あわてんぼなんだから」
苦笑する父さんと母さんにそっと心で告げる。
二人とも、ありがとう。
♡~♡~♡
「ってわけで、あたし、希望は理系って提出することにしたんだ。ごめんね。いっしょの文系クラスに進めなくて」
あたしからそう聞いた千佳は形のいい眉を大げさにひそめた。
「そっかぁ~。ちょっと残念。でも、なんで理系なの?」
う、やはりそうくるか、くるよね。
両親以上に、これは難関かもしれない。
けれど。
自分の夢を信じるって、決めたんだ。
よしと心の中で大きくうなずいて、あたしは言った。
「宇宙飛行士になりたくて」
お昼の柔らかな陽光に照らされて、千佳の瞳が輝いた。
「えっ。すごい!! そっか。杏天文部だし、星好きだもんね」
そうかと思うと、ちょっぴりうつむいて、
「でも、なんか……寂しいな」
そう言われると、やっぱり罪悪感だ。
「ごめん。千佳。でもやっぱりあたし、理系を勉強したいって気持ちは――」
説明しようとすると、あわてたように千佳は両手を振った。
「ちがうよ。それはいいの。杏の進みたい進路に進んで! ただ……」
千佳はその寂しそうな顔にちょっとだけ笑みを浮かべた。
「杏っていつもあたしの話きいてくれるけど、自分のことあんまり話してくれなかったから。寂しいなって思ってたの」
「――」
「天文部の子からも意地悪なこと言われたりしてたみたいだし、これでも心配してたんだ」
目からうろこが落ちて、光って消えた。
あたしは、自分のことを言ったら笑われると思ってた。
でも千佳は違った。
あたしのことを知りたいって思ってくれていたんだ。
「嬉しい。なんか……超嬉しいよ」
がしっと腕をつかむと、わわっと、千佳が驚いたようにこっちを見る。
「これからはいっぱい話すよ! 千佳。千佳~」
「あぁもう、わかったから」
呆れたような笑い声をたてたあとの、千佳のさいしょの質問は。
「そうだなぁ。まずはなんで宇宙飛行士ってとこから、教えて。……その」
ちょっと言いづらそうに、千佳は言う。
「昼休みずっと、裏庭に行ってたことと関係ある? あの先輩と――」
とたんに、舌が止まる。
宇宙に憧れたきっかけと、その道に進もうと決意したこと。
記憶の中で、そのあいだに、大きな空欄がある気がする。
クラスメイトは言う。
あたしが今まで昼休み、頻繁に教室を後にしていたって。
誰かと一緒に裏庭で時間を過ごしていたらしいんだけど。
そのことを想うと、頭の中にロックがかかったよう空白になる。
そして、今まで迷っていたのがどうしてこの道に本気で進もうと考えたのか。
そういう重要なことが、どうしても思い出せないのだ。
ついでに、あたしはこの春、屋上から落ちたところを一年上の先輩に助けられたらしい。
そのあとの記憶が、ところどころあいまいなことを言うと、親も、クラスメイトも みんな、事件のショックだろうって言う。
けどなんだろう。それでも腑に落ちないこの想い。
まるで誰かに記憶を封じられているみたいな。
絶えず、そんな気がした。
♡~♡~♡
そんなことを感じていたとある日曜。
あたし宛てに、小さな荷物が郵便受けに入っていた。
差し出し人は書かれていない。夜空のように真っ黒い包み。
首をかしげながら部屋に戻って、開けてみて、息を飲んだ。
紫、青、水色――まるでそれは深海からとってきた宝石とそこにちりばめた泡のように、色とりどりに幻想的に光る丸い星座盤だったのだ。
それを見たとたん、強いなにかが喉元にこみあげる。
やっぱりなにかひっかかる。
これはあたしの中で欠けているなにかの一部なんだろうか――。
そう思ったときだった。
星座盤から強い光が放たれ、部屋中を満たした。
まるで隕石が衝突したときのように、それはまばゆく室内に広がっていき。
気がついたら、あたしの部屋は宇宙になっていた。
普段使っている机も椅子も、カーテンもベッドも、すべてが透明に澄み渡り、そこを縦横無尽にかけて行く星々と惑星。
水星、金星、地球……冥王星。さいごに、ミルキーウェイが目の前を横切ったとき、一筋、頬に温かいものが伝った。
小さな幾千もの粒を宿し、どこまでも広がるそれはどこか、溶けたソフトクリームに似ていた。
この感動を、味わったことがある。
この年の春。天文部の新入生歓迎の紹介で。
そして、その感動をくれた大事な人のことも。
ぜんぶ、思い出した。
そう思うと同時に、あたしは駆け出していた。
帳学園高校の、あの裏庭へ。
彼が天文学のこと語ってくれた、あの場所へと。
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