5. ラヴァンパイア・キス

「先輩っ、待夜先輩――」

 彼の名前を呼びながら、山の木々の中をかきわけて進む。

 星々が去った後、くっきりとした焦りが押し寄せてくる。

 いやな予感がした。

「お願い。返事して。待夜先輩――っ」

 原っぱから走って十分ほどだろうか。

 少し離れた場所に、もう一つ、開けた草地があった。

 大きな満月の下。

 そこに、彼はいた。

 見つけた瞬間びっくりするほどほっとした。そして直後、胸が激しくこわばる。

「せ、んぱい……」

 月の光を浴びて、幻想的なまでに白い肌が、悲しげに夜空に向けられたヴァイオレットグレイの瞳が。

 その身体が透明に、透き通っていく――。

 わきめもふらず、あたしは彼にかけよった。

 途中、大きめの石につまずいて、派手に転びそうになって、それでもなんとか体勢を立て直して、彼に近寄る。



「先輩、あたしにキスしてください」



 彼が、ゆっくりと振り向く。

 それはもうとっくに決めていたこと。



「はやく。このままだと先輩。消えちゃう」



 でも待夜先輩は静かにこちらを見つめて微笑んだまま、何も言わない。

 その沈黙がこわくて、まくしたてる。

「紅狼さんにも約束したんです。先輩を助けるって――」

 肩に、かすかな――ほんとうにかすかな、感触がした。

「だから、あたしにキスして。早く――」

 あたしの肩に、透き通った手を置いた彼は、優しく微笑んで、ゆっくり首を横にふる。



「すみません。杏さん。それは、できません」



 抗議するように、語気を荒げる。

「なんでっ? このままだと先輩――」

「ありがとう」

 先輩はもう片方の手も、あたしの肩に添えた。

「でも、あなたの優しさでは意味がないんです。――あなた自身で、なければ」

「……わかりません……」

 恐怖に、不安にがむしゃらになって、あたしは言葉を継ぐ。

「先輩の言っている意味が、わかりません」

 いつも難解な天文学について、あんなにわかりやすくレクチャーしてくれるのに。

 なんでこういうときになって、むずかしいことを言うのだ。

 ゆっくりと言い聞かせるように、彼は続ける。

「人々に恋心を抱かせて食してきたこの身が、ある人だけには、自分のことを想ってほしいと感じるときがついにきてしまったんです」

「――っ」

 月の光が、彼の満面の笑顔を照らし出した。

「今までありがとう。でもオレは、恋を食して生き延びる。このとおりの存在だ。あなたを幸せには――」

 もう、それ以上、言わせたくなくてあたしは。

 彼の唇をふさいだ。

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