15. 約束、します
「いきなり杏さんの夢を戻して、潔く帰るぜとはどういう風のふきまわしですか」
息ができない状態から徐々に呼吸を取り戻し、立てるようになったあたしを支えてくれながら、先輩がいぶかしげな視線をおにいさんに投げる。
「お前には一生教えてやらねー」
ぶすっと言うおにいさんに、先輩はなおも引き下がらなかった。
「父さんたちには何というつもりです」
厳しい追及にやれやれと肩を竦め、おにいさん――紅狼さんは人好きのする笑みを浮かべる。
「そのへんはうまくやるさ。なに、これでもお前の兄貴だぜ。あっという間に、追放処分撤回してやるよ」
「……」
先輩。
恐ろしく疑わしい目つき、少しも隠せてません。
具合悪いな。
あたしには――紅狼さんのその言葉は真実だって、わかるだけに。
「杏ちゃん。次来たときは高級レストランでデートしよーな」
振り向きざま、すちゃっと片手をあげて、おにいさんは、去っていった。
「杏さん。ご迷惑をおかけしました」
「え。いやいやその、ご迷惑だなんて」
少しだけ寂し気に視線を落とし、待夜先輩は告げる。
「あれで、悪い兄では、ないのですが」
夕闇に小さくなっていく、たくましいその背中を先輩と二人、じっと見ながら思う。
そう。――あたしには、わかっている。
おにいさんがどう、一族に説明するのか。
一族のみなさんは、先輩に恋心の泉をひっくり返すようたぶらかしたあたしの夢を狙った。
でもまもなくあたしは、一族にとって脅威ではなくなる。
待夜先輩に影響を与えることはもう、ないだろう。
なぜなら。
さっき――夢を奪われそうになったとき、おにいさんに約束したからだ。
いつか、待夜先輩に捧げると。
あたしが、先輩に意図せずとも影響を与えてしまう、その要因になるものを。
「杏さん」
おにいさんの背中が夕闇に消えるころ、ふいに、先輩が言った。
「さきほど、夢は与えられないかわりに、なにかをくださるというようなことをおっしゃっていましたが」
いかにも気がかりそうに。
まずい。
どくんと鳴る心臓を思わず抑えそうになった。
ばれたら、非常にまずいのだ。
「ひみつです!! そのときが来るまで、ひみつですよ!」
そう。このことは、あたしと、彼のおにいさんとのひみつ。
――今はまだ。
「魔力で口を動かすしかないでしょうか」
あわわ。半ば本気の目で言わないでください。
「もう、わかりました!」
――ごめんなさい、先輩。
心で謝って、あたしはあるものを、彼に差し出す。
「お誕生日、おめでとうございます!」
「杏さん……」
そっと、両手でそれを受け取って。
「ありがとう」
きらきらと見つめるヴァイオレットグレイ。
彼の手が優しく包みをとりさって出てきたそれは濃紺の宇宙柄のステイショナリー。
洋食屋さんのあと、結局、雑貨屋さんに戻って買ったんだ。
「いいデザインですね。それにとても、使いやすそうです」
歓びの片隅、その目にはかすかに疲れがにじんでいる。
隠そうとしたって、わかる。
彼が大分弱ってきていると。
それなのに、きっと宇宙のどんな惑星より輝いているその目に、メッセージカードの代わりに心で語り掛ける。
ねぇ、先輩。
先輩はあたしに、教えてくれたんです。
宇宙の勉強を通して、無限に広がってく世界のこと。
誰かを好きになって、広がり深まっていく世界もあるってことも。
あたしの夢なんて誰も理解してくれないって思ってたのに。
それを大事に一緒に育ててくれたのも、嬉しかったです。
「杏さんからの贈り物とあらば、1ミリの汚れも許しません。ケースに保管して毎日眺めることにします」
「いや、それ手帳の使い方として間違ってますから」
だから。
先輩が危機に陥ったときは、きっとあたしが、崖の上まで、引き上げます。
「あっ、言ってるそばから魔力でケース出さないっ! むしろそれ、ペンでいろいろ書き込んで、いっぱい汚すものなんですってばもう~」
つっこんだあと、彼にきこえないようにそっと呟く。あい・ぷろみす。
――約束、します。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます