14. 回想 ~side:紅狼~

 せんぱいに、やくそくしたから。

 宇宙から見た地球を、世界の広さを見せるって。

 やくそく、したから。


 杏ちゃんが――あの子がそう言ったのをきいて、オレ――紅狼の頭を過ったことがある。


 それはまだ、冥都が十二才だったときのことだ。

 中学生だったオレは、クラスメイトの女子から恋心をちょうだいしていた。

 学校からの帰り道で告白されたあと、キスを迫って、その後、彼女が何事もなかったように帰っていく。

 ふだんとなんらかわらぬ雑事。

 いつもとの違いといえば、少しだけ、その味を楽しめなかったこと。

 それだけ。

 その場面を、同じく学校帰りの冥都に目撃されちまった。


 冥都は目を見開いて、かすかに顔を赤らめて言った。

『誰にも言いません』

 踵を返そうとする弟をオレは引き止めた。

『違うぜ、冥都。いい機会だ。お前もそろそろ知っといたほうがいい』



『オレたちは人間じゃない。ラヴァンパイアの一族なんだ』


『女の恋心を喰うことで生きる。そうじゃなきゃ生き延びられない』


『そろそろお前にもその性質や魔力が目覚めるころだ。これから、たくさんの女に自分を好きになるようしむけて、その恋心を喰って生き延びなきゃならない。さしあたり、一番肝心なことは』


『人間の女を好きになるな』 


 唐突膨大な情報量に混乱するでもショックを受けるでもなく、ただ弟は澄んだ目を開いてオレを見ていた。


『オレたちは、恋する気持ちを食い物にする種族だ。結ばれることはありえない』


『親父は人間であるおふくろを好きになって、禁忌を犯したから、オレたち一家はラヴァンパイア一族の住む森を追放された。今日でそれから十四年。時効だ。オレはこれから一族の長をつぐために一族に戻る。親父がかつて担っていた仕事だ』 



 しばらく黙ってじっとその菫色の目でこっちを見上げたあと、冥都は一言、言った。


『兄さんは、それでいいんですか』 


 無邪気な問いに苦笑しつつ、その頭に手を置いて答える。

『いい悪いじゃない。宿命ってのはしのごの言って逃れられるもんじゃねーんだ』


 そう言い放ったとき、はじめて、小さな顔についているその目がしかめられた。


『好きになってくれた人の心を食べるなんて、オレはいやだ』

 間髪容れず、言葉を被せる。

『そうせざるを得なくなる。つーか』

 弟に視線を合わせるためにかがみこんで、まっすぐに見つめる。

『そうしろ。恋心を喰らうんだ。冥都。お前が生き延びるために』

 再び黙りこんだあと、冥都はゆっくりと言葉を継いだ。

『父さんと母さんは、宿命だとか、そんなこと少しも感じさせなかった。あえて、そうしてくれていたのでしょうか』 

 オレは黙った。

 無言は肯定の証だった。


 夕焼け空に紫混じり、かすかに夜の気配が横切ったとき、ふいに、弟のその瞳がきらめいた。


『オレたち一家の例もあります。兄さん。いつか、人間とラヴァンパイアがいっしょに暮らす世界を、築くことはできないでしょうか』


『いつかオレが、兄さんに見せます。方法はまだわからないけど。今よりもっと、広い世界を――』 


 反射的に唇を噛んだのは、どこかで予測していたからだ。

 兄馬鹿ながら優しく聡明に育った弟がそんなことを言いだすんじゃないかと。


『甘っちょろいことを軽々しく言うんじゃねー』 


 予測していながら、冷酷にそう言うのは容易ではなかったと覚えている。


『父さんはそのために長年苦しんだ。オレや冥都には同じ道を歩ませたくないと常々言ってたんだ』

 その意志を伝えるためにあえて厳しく言い放ったのを、幼いながら理解したのか、

『すみません。兄さんが、さっきの人のことを好きだったように見えて。苦しそうだったので、つい……』


 厳しい渋面が思わずまた、苦笑に変わる。


 弟に気取られるなんざ、まだまだだ。

 頭一つ分低い位置にあるその肩を抱く。


『お前のその優しさ――人間らしくすっかり染まり切っちまったとこは、きらいじゃない。けどな冥都』

 印象に残るようにあえて低く声を仕立てて、告げる。

『それは諸刃の剣。人間にとっては大事なものでも、ラヴァンパイアとしては命取りだ』

 弟の顔が見えないくらい近くで、すごむ。

『恋心を奪うとき、その優しさは捨てろ。いいな』

 戦慄に目を見開く弟に背中を向ける。

『それが、人間とラヴァンパイアとのあいだに生まれた者のほんとの宿命ってやつかもしれないな』


 冥都がその足で追ってくる前に、一度だけ、オレは振り返った。


『お前が、その狭間で苦しまないことを祈るよ』 


 それ以上の回数は、弟と向き合わなかった。

 向き合えなかったって言ったほうが正しいか。


 だってそうだろ。


 こんな理不尽な運命をどうすることもできず、ただ幼い弟に受けるがせるしか能のない兄貴が。


 それを知っても――たぶん、経験してすら澄んだままの瞳を、まともに見ていられるわけないじゃないか。

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