9. 兄からの挑戦

 険悪ムードの二人を、まぁひとまず、これ以上騒いだらお店の人たちの迷惑ですのでと、どうにかなだめすかし、あたしは紅狼さんと、そして現れた待夜先輩と、ひとまず三人でテーブルをとりかこむことに成功した。


 目の前のアイスコーヒーのグラスに浮かぶストローをもてあそびながら、紅狼さんが言う。

「さいしょっから見てたんなら、なんで今まで出てこなかった?」

 差し向けられると、待夜先輩はかばうようにあたしの前をさりげなく右腕で封じながら。

「決まっているでしょう。現行犯として取り押さえ、言い逃れの道を封じるためです」

 そう言い切るそばから、完璧な笑顔。

 対照的に紅狼さんは口の端だけ上げて笑って見せる。

「あいかわらずだな、冥都。お前ってやつはまったく、ゆだんもすきもねぇ」

 ――はへ?

 冥都。紅狼さんにファーストネームを呼ばれた待夜先輩は涼しい顔でホットコーヒーを口に含む。

「その言葉、そっくりそのままお返しします。兄さん」


 え?

 わっつでぃーじゅーせい?

 今、なんと。

 またもや一人あいむ・ろすと状態になるあたしを取り残し、先輩はコーヒーカップ越しにうろんげな視線を紅狼さんに向け、話を進めていく。

「魔力で強風を起こし、棚を倒れさせ、そこから助け出すヒーローを演じて、まんまと店に連れ込むなど。兄さんらしい安い手口ですね」

 その安い手口にまんまとひっかかった人。はーい。

「運命的な出会いのための、ちょっとした演出って言ってくれや」

 ゆっくりとコーヒーを堪能すると、待夜先輩はその鋭い瞳をおにいさんである紅狼さんに向けた。

「それで、いったい何が目的で、杏さんの夢を喰らおうと? まぁ、大方察しはついていますが」

「だろうな」

 ことんと、グラスを置く紅狼さん。

 さっきから、アイスティーに手つかずのあたし。

 かくして、ラヴァンパイア兄弟の話しあいタイムが幕を明けた。

「冥都。さいしょに言っとく。一族の中でも多くの恋心を狩ってきたお前は、ラヴァンパイアとして抜きんでて優秀だ。統領である親父の補佐を任せられてるオレすら、正直うらやましくなるほど。みんなお前に期待してる。お前には素質がある。何度も言ったろうが」

 穏やかだけど、どこか言いきかせるように、紅狼さんは言う。対して、待夜先輩は耳をふさがんばかりに顔をしかめている。

 ……なに、この発破をかける兄とうるさがる弟。

 人様の家庭の問題に踏み込んじゃったんだろうか。

 あたし、席外したほうがいいかな。

 そんなふうに気を遣った直後だった。

 席を外すどころじゃない爆弾が落とされたのは。


「それがいきなりだ。栄養源が足らなくなるってんでせっかく一族の魔力結集して人間界からありとあらゆる恋心を吸い上げて作った泉をひっくり返すなんざ、中2病どころじゃねー反抗しやがって」


 ――ぱーどぅん?


 黙っている待夜先輩に困ったような、でもどこか優しげな声がふりかかる。

「親父や一族のみんなに心配かけんな。優しく聡明で期待の星だった冥都ぼっちゃん狂乱のニュースに、一族はみんなめちゃくちゃ心痛めてんだぞ」


 じゃ、じゃすたもーめんと。

 れっとみーちぇっく。

 確認させてください。

 最近みんなが恋から遠ざかっていたのはラヴァンパイア一族が恋心を吸い上げて泉を作っているせいというのはすでに先輩からきいて知っていたけど。

 先輩がそれをひっくり返すことで、人間界に戻したと。


 そういうことで、どうやらあっている、らしい。


「その統領の次男の狂乱の要因を探るため、兄さんが駆り出されたわけですか」

 眉間に中指をあててうめくように言う待夜先輩に、紅狼さんがおおらかな笑みを見せた。

「うむ、狂っても相変わらず理解ははえーな、お前。兄ちゃんはちょっとだけ安心したぞ」

 邪気のない笑みを絶やさず、彼はこう続けた。

「思ったより早く片付きそうで助かる。お前の狂乱の原因も、すでにだいたいわかってることだしな」


 え、マジですか。

 お兄さん見かけによらず仕事早いな。


「まぁ、来る前からだいたいあたりはつけてた。大方一族の禁忌――」


 一拍間を置くと、紅狼さんが、人好きのする笑顔をかんぜんに消した。


「――つまり女だろうってな」


 先輩は読めない表情で、やっぱり黙秘を貫いている。


「好きな子にそそのかされたに決まってる。恋心は人間にとって大事だとか、だから食べるのをやめるべきだとかなんとか」



 ぎく。

 や、やばい。

 今右肩、けっこう大きく動いちゃったかも。

 先輩がせっかくポーカーフェイスを保っているっていうのに。


 見事な推理だ。

 待夜先輩をそそのかしたのが、彼の好きな子という部分は誤っているとしても。

 恋心を失くす権利なんてあるんですか。

 彼にそう詰め寄った人間がここにいる――このあたしだ。


 ちらと待夜先輩を見る。

 相変わらずポーカーフェイスを通しているけど、その瞳の中の光は小さく揺れている。


 あたしがああ言ったから。

 先輩は禁忌を犯してまで、みんなに恋を戻してくれようと……?

 一族を追放になってまで?



 ――あ。なに、これ。

 きゅぅぅっと痛くなる。

 直後に来たのは、果てしなく甘い波。


 どうしよう。

 こんなときなのに、なにも考えられない。


「親父たちは信じたくないのもあって否定してたが、オレはそうに違いないってぴんときたね。そして来てみたらどうだ。どんぴしゃだ」


 待夜先輩の瞳が、ゆっくりと盛り上げられる。


「それで、父さんは兄さんに命じた。ならば冥都が惚れた女のその要因となる部分を、食らってこい、と。そんなところですか」

「飲み込み早くて助かるぜ。そうだ。――ってわけで」

 きらりと八重歯を光らせて――お兄さんは、あたしのほうを向いた。

 顔をくしゃっとさせて笑うと、ぱちんと両手をあわせる。

「杏ちゃん、ごめんね! 悪いけど、杏ちゃんの夢、食べさせてもらうね」

 は?

 いや、そのチョコ一個ちょうだいみたいなノリで言われても。


「夢を食べるって、ラヴァンパイアの主食って、恋心じゃないんですか?」

 そう指摘しても、紅狼さんは笑顔を崩さない。

「主要な栄養源はね。でも、夢やその他のきれいな感情も、大好物なんだなー」

 やや語尾上げ気味にそう言うと、彼はまとう雰囲気を変えた。

 人好きのする笑顔から、挑発するような鋭い笑みに。

 ギアを変えるようにたやすく切り替えると紅狼さんは待夜先輩のほうを向く。


「一日でどうだ」

 待夜先輩の瞳が、すがめられる。

「今日一日、好き勝手に杏ちゃんの夢を狙わしてもらう。いやなら冥都、お前がそれを防ぎきってみろ」

 紅狼さんは椅子の背もたれに片手をかけて。

「今日の夕暮れまでに奪えなければ、そんときは諦めてやるよ」

 余裕の宣戦布告をするおにいさんに、弟も愉快そうに口元をほころばせた。

「例え永久に追ってこられたとしても。そのたび遠慮なく返り討ちにさせていただきますよ。兄さん」

「はっはっは。言うじゃねえか。そうこなくっちゃな」

 笑い合う兄弟の間に挟まれ。

 あたしはひとり、一ミリも笑えない顔をひきつらせた。

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