3. 追放の憂き目にあいまして

 自宅の二階の自室。土曜の朝だというのに気分が浮かない。

 裏庭講義の復習にとノートを広げるも手につかず、その上に両腕を投げ出して突っ伏す。


 つまり、絶賛ふて寝中です。


「はー……」


 腕からひょっこり顔をだして、天井を睨む。

 白いその壁に浮かぶのは、切なげな彼の瞳。


 なんであんなこと言っちゃったんだろう。


 だって、先輩が、ラヴァンパイア一族がひどいんだもん。


 でもそれは生き延びるためでしょうがないのに。

 問いに次ぐ問いが鎖のようにぐるぐると頭をめぐって、一向に答えにたどり着かない。


 わかってるのに、じゃぁなんであんなふうに言っちゃったんだ?

 

 何度目かの問いにあるとき、別の自分が答える。


 それは……。


 心に浮かぶ彼の瞳に静かに語りかける。


 先輩。


 あたしは、失くしたくないんです。


 この気持ち。




 悲しげなヴァイオレットグレイが、脳裏に張り付いたまま、消えてくれなかった。



♡~♡~♡



 高尚な苦悩に浸っている真っ最中、おじさんの家まで、テイクアウトご希望の定食屋のお客様用に作りすぎた焼肉弁当をもっていってほしいというきわめて卑近な頼みごとをかあさんからたまわった。


「なに悩んでるのかしらないけど、家でふさいでるとますます鬱屈してきちゃうわよ。ほら、行った行った!」


 と強引に送り出され、現在自宅から徒歩二十分の距離にある帳町商店街を歩いている。

 あたしのおじさんは、この商店街に門を構えている不動産屋さんだ。


 どんなに悩んでも、手に提げている甘ダレの香りに食欲がそそられ心躍るんだから、人間って哀しいものだ。

 もしかしてこの香りの効果も、かあさんは見越していたのだろうか?

 下げた袋を、ぎゅっと握りしめる。

 ……あれで心配してくれてるんだ。


 ふっと息を吐いて、こじんまりとした商店街を見据える。

 そう、あたしには先輩のほかにも大事な人たちがいるんだから。


 もう忘れよう。

 そう決意して、不動産屋のドアに手をかける。

 今はおつかい。彼のことはいったん、保留して――。


「いやー、待夜さん、駅チカで家賃5万以下ってそりゃきついなぁぁ」

「そこをなんとか、いい部屋がありませんか。どうか、お願いします」

「うーん、そう紳士的に頭下げられても。困っちゃったなぁ」


 ずこーっ。


 盛大にずっこけて、頭を上げたさきには、相変わらず私服姿も決まっている待夜先輩の絵になる顔があった。

「これは杏さん。奇遇ですね」

「ま、待夜先輩が、なぜにうちのおじさんちに……」

「おや。こちらは、杏さんのおじさまのお店でしたか」

 すかさず立ち上がり、

「何の手土産も持参せず申し訳ありません。なにしろ緊急事態だったものですから。どうかおじさま、ご無礼お許しを」

 きれいにお辞儀する彼に、おっとおじさんが楽しげな声を上げる。

「なんだ、待夜さん、杏ちゃんのカレシだったのか。こりゃちょいとお家賃交渉もがんばらなきゃなぁ」

 ……カレシじゃないですが。

 いやいやその前に。

「高校生がなに物件探しなんかしてるんですかっ」

 あたしの適切すぎるつっこみに、待夜先輩はにことさわやかに微笑む。

「えぇ。森の中に住むことができなくなってしまったので、こうして物件探しを。じつはこの度、一族の森を追放される憂き目にあいましたので」

 冷蔵庫の中のヨーグルトの賞味期限が切れちゃいましたくらいの軽いノリでそういうこと言わないでください。

「追放なんてまた物騒な。いったいどうして」

 そう問いかけると、先輩の笑顔がはじめて微妙に崩れる。

「それはその、まぁ、よんどころない事情です」

 はぁ……もうなんでも……よくない!

「先輩! まさかそこにするつもりですか!?」

 テーブルの上に広げられている紙上のアパート名をびしっと指さす。

 先輩は思案気に指先を顎にあてて

「そうですね。バイトを掛け持ちしてどうにか支払える家賃を考えあわせたら、駅から少し遠のきますが、このあたりが妥当かと」

「ゆーしゅどぅんと! 絶対だめです! そこ、お化けが出るので有名なスポットなんですよ!」

 先輩の顔色が、曇った。

「それは、ほんとうですか」

「ですです」

 このあたりじゃ有名なハナシだ。

 たっぷり一分間、黙ったあと、

「決して、決してお化けが怖いというわけではないのですが。でもそうですね。杏さんがいらしたとき、よからぬことをはたらく輩が住まう場所は、避けておきましょうか」

 なぜあたしがいらっしゃること前提なのかというつっこみはともかく。


「いやいや待夜さん、ここは穴場だよ?! この立地でこの家賃はそうそうお目にかかれるもんじゃ」

「おじさん、押し売りはだめですよ!」

 びしっと言うべきことを言うと、あたしはのんきにカウンターに座っている待夜先輩の手をひっぱった。

「すみません、待夜先輩がご迷惑おかけしました。持ち帰りますので、どうかご容赦ください」

「おや、今日は決めないで帰っちゃうのかい? 持ち帰りだって? ひぃ、若いもんはいいねぇ」

 意味不明の笑い声ののち、あぁそうだ、杏ちゃんと、おじさんは思い出したように付け加えた。

「カレシは持ち帰っても、焼肉弁当は置いてってくれよ」

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