3. 遊園地デートその2 ~溶けるほどの優しさ~

 幸いなことに今日は真夏のカンカン照り。

 こうしているあいだにも、ずぶぬれになったあたしのブラウスは順調に乾いていく。

 それにはほっとしたけど。

 気のせいかな。

「先輩、疲れてますか?」

 となりを歩く待夜先輩の横顔がさっきより影を宿しているように見える。

「いいえ。杏さんへのご褒美の最中に疲れるなど、万死に値しますから」

 その言い方がすでに自分を罰していますが。

「少し休憩しましょうよ」

 ようし、ここはひとつ根性出すか。

 一息吸い込むとあたしは、待夜先輩のシャツの袖を引いた。

「あたしソフトクリームが食べたいです!」

 渾身の甘え声。

「先輩と、その……いっしょ、に」

 やばい。語尾高くしすぎてちょいかすれた。

「……」

 あれ。

 待夜先輩、顔背けて凍りついてる?

「あ、あはは」

 もうこれは笑ってごまかすの一手だ。

「すみません忘れてください。似合わないですよね、あたしにこんな」

 うん。わかってはいたんだ。

 自分がお笑い担当であって、かわいいはもっときらきらしている数多の女子の管轄だって。

 でもなんでだろう。

 へらへら笑いつづけるその皮膚の下で、泣きたい。

 そっぽを向いたまま、彼がぽつりと言った。

「杏さん。今のは。……いけない。反則です」

 へ?

 頬がちょっと赤いですが。

「あの、先輩」

「承りました。アイスクリームでもなんでも、いっそ世界中の氷菓子を調達してきてさしあげます」

「いやそんなん食べたら身体壊れますから」

 すぐそばにベンチにあたしを座らせて、先輩は立膝をついて胸に手を当てる。

 いやあの、人気のない高校の裏庭ならいざしらず、このアミューズメントパークで そういうことされるとその。

 ほら。よい子たちがふしぎそうに見てくるんで、ちょっと。

「杏さんはここに座って待っていてください。調達してきますので」

「あっ」

 しまった。

 先輩を休ませようと思ってベンチに座ったのに。

「いやいや先輩、ここはあたしが――」

 立ち上がって先輩の手を掴もうとしたとき。




 手が、彼の肩をするりと通り抜けた。



 ……あれ?



 我が目を疑って前を見ると、速足で人波に紛れる彼の背中は、とうに小さくなっていて。

 よく見ると、その背中は。

 ……透き通ってる?

 魔力が弱ってるみたいなこと言ってたけど。


 ぞわり背中になにかがかけぬける。

 先輩が最後に恋心を食べたのは――小春が先輩に告白したあのとき。あれは6月。 先月の末だった。

 もう二週間くらい経ってる。

 ひょっとして、栄養不足――?



 じわじわと、灰色の波が、胸の中に押し寄せてきたそのとき。


「……うっ」


 鋭い痛みが、腹部を貫いた。


 まずい。

 非常にまずいよ、これ。

 身体を直角に折って。

 どれくらいその姿勢のままいただろう。


「杏さん!!」



 その声がきこえた時、ひどくほっとした。


 ベンチに座ったままうずくまるあたしに、ソフトクリームを持った待夜先輩は駆け寄って来た。


「せ、先輩。ごめんなさい。ごめんなさい、その」

「謝罪よりさきに、窮状の説明を」


 片手に二つのアイスの刺さった箱を持っているのに、彼はあっと言う間にあたしを横たえてしまった。

 こんなときにもきびきびしてるな、この人。


「さきほどの体勢から推測するに、腹痛ですか」


 口元に顔をよせて、小声で聞いてくるあたり、だいたい答えを察しているんだろう。


「なんで、こういうときにも、かんぺき、なんですか。救助隊の、ご経験が……?」

「オレの経歴より、質問に応答を、杏さん」

 あぁ、やっぱりそうか。

 答えるしかないのね。

 こんなこと言うなんて、申し訳なさでどうにかなりそうですが。


 身を寄せてくる彼に、囁くように言った。



「……はい。生理痛、なんです……」


「……なんということだ」

 先輩は青ざめた。


「では、苦しみは今に始まったわけではないんですね。なんて、ことだ……」



 二度目にそう言うと、ぎゅっと、先輩は二本のアイスクリームを握り締める。

 すると――へ?


 あたし、体調不良で目までおかしくなったんだろうか。


 二つのソフトクリームが液状クリームになって、とろとろりと先輩の手を伝い、地面へ――。


 端的に言うと、高速に溶けだしている。


「杏さん、早急に痛み止めを調達してきます。しばしお待ちを」


「あの、その前に手! 手拭いてください!」


 そう言われてはじめて気がついたかのように、彼は無残なことになった両手に視線を移した。


「溶けてしまったのでしかたありませんね。アイスクリームはまたにしましょう」


 早口にそう言うと、待夜先輩は、遊園地の外の薬局へと、プロの救助隊のようにかけ去って行った。



♡~♡~♡

 

 情けない。

 あぁ、情けない。

 デート開始わずか三時間で動けなくなるなんて。

 あたしは先輩に支えられ、ついでに荷物もぜんぶ持ってもらい、自宅への道を歩いている。


 彼の気もなえさせてしまったことだろう。

 先輩だっていろいろ準備してくれただろうに。申し訳ない。

 出鼻くじかれて、やる気なくしちゃったかな。

 やな雰囲気にしちゃっただろうか。

 きっとそうだよね。

 ちらと、待夜先輩をうかがう。

 あ。やっぱり。暗い顔してる。

「……ぶつぶつ」

 ひっ! しかもなんか呟いてる??

 怒らせたかな。

 耳を澄ます。


「……なんということだ。情けない。情けなさすぎる失態だ。杏さんの苦しみに気づかなかったなど」


 別の意味でめちゃめちゃなえていたーー!!


「あ、あの、先輩?」

「お許しください杏さん」


「ただ今よりオレは、自分自身に厳罰を与えますので」


 真剣すぎるその顔がなんだかおかしくて。 

 ふっと気がぬける。


「先輩って、時々すごい大げさですよね」


「念のため言っておきますが、冗談ではありません。今から、ラヴァンパイアの魔力で、万雷と濁流とハリケーンを一身に受けたのに等しい苦痛をわが身に」

 いまいちよくわからない苦痛ですが。

 それに。

「今、魔力節約中なんですよね?」


 くっ……そうだった、と先輩は悔しそうに顔をそむけた。


「なんてことだ。自分を罰することすらできないなど。それこそ、万死に値する苦しみ……」


 相変わらずぶつぶつと、自分への呪いの言葉を呟きながら、彼はあたしのずれたブラウスの裾を直してくれる。


「しかし、杏さんもですよ」


「え?」


「なぜ、すぐに言ってくださらなかったんですか」


 いや、そんな切なげな顔して言われても。


「だって……生理中だからお腹痛いとか、言いづらいじゃないですか……」


「それなら、調子があまりよくないとか、いくらでも言いようはあったはずです」

「だってだって……デートでそんなこと言ったらしらけさせちゃう気がしたし」


「いけませんよ。身体の悲鳴を無視することは、女性が一番してはいけないことです」


 あはは。またまた大げさな。


「女性とか立派なもんじゃないですけどね」


「いいえ。杏さんはこの世でたった一人です。大切にされなければならない存在としての自覚を持ってください」 


 どき、と確かに動いた胸の奥。


「……」


 あぁ、やっぱりだめだ。

 気を抜くと黙り込んでしまう。

 さっきお腹が痛くなったところを応対されてから。

 思考が停止して。

 じっと彼を見つめてしまうんだ。


 どうした、杏。


「……はい」


 ゆっくり、歩調を合わせられながら、浮かんでくるのは遊園地でのこと。

 ずっとさっきのことが気がかりだった。

 握りしめただけでアイスが高速で溶けるだろうか。


 もしかしたら先輩は、わざと魔力でアイスを。

 あたしの身体を気遣って。


 魔力を節約しているのに。


「せんぱい……」

 圧倒的な優しさって、心地よくてほんのり痛い。


 胸が痛くなるくらい。

 なぜ?

「着きましたよ、杏さん」


 あ。

 ほんとだ。

 障子風の扉。一階がお店になった、ここは一軒屋。

 『定食屋三朝』の看板が目印の――ここ、うちの前。


 まだ夕暮れにもなっていないのに。

 ゆっくりお休みを。

 そう微笑んで、去って行く背中にそっと呟く。


「せんぱいはどうしてそんなに」



 言葉は、続かなかった。

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