2. 遊園地デートその1 ~鋼鉄の大蛇~

 当日は帳遊園地の門のところに、十一時に現地集合だった。

 右手と右足が同時に出るほどの極度の緊張状態で、人混みに沿って駅からゲートへ続く道を歩いていく。

 きゅうっと一瞬お腹に強い痛みが走った。

 じつを言ってしまうと、今日に限って体調があまりよろしくないのだ。

 月に一度こうなる、避けられないもの。

 よりによって生理の日にあたっちゃうなんて。


 まぁでも、病気じゃないだけいい。

 幸い生理痛やだるさはそこまでひどいほうじゃない。

 たまにちょっとだけつらくなるくらいだ。

 今もきっと緊張が拍車をかけて一瞬腹痛がしただけ。

 その証拠に。ゲートによりかかって腕時計を見ている彼の姿が目に入り、がっちと  身体が固くなった拍子に、腹の痛みなんぞどこかへふっとんだ。

 黒いファイシャツにベージュのジャケット、紺のチノパン。

 小さなリュックを肩からななめにさげている。

 シンプルだけどさすが待夜先輩が着ると、清潔感があふれている。

 なんか猛烈に、照れ臭いんですけど。

 向こうも、そんなあたしをすぐに見つけて、微笑んだ。

「お似合いですよ、杏さん」

「……」

 水色にリボンのついたブラウスに、短パン。短い髪は編み込んで、後ろで結んでいる。ハンドバッグには夏らしく、ひまわりの造花のついたかごバックを選んだ。

 ちょっとだけ無理して、苦手なオシャレをしてきてしまった。

「そそ、そうですか。お似合いですか。あはは、ありがとうございます」

 そう返答しながら肩を落とす。

 さらりと出してくれたほめ言葉に対して、なんて下手な対応だ。

 でもそんな落ち込みも、

「――さぁ」

 彼が手をとったときに鳴る鼓動に一瞬にして消されてしまう。



♡~♡~♡



 アイスクリームのワゴンや、風船を持ったくまの着ぐるみの方々等々がひしめくメインストリートを通りつつ、先輩がゲートでもらった地図を眺める。

「杏さんはどのアトラクションをご所望ですか」

 それまでどぎまぎまぎと、不規則な音を刻む自分の鼓動をきくので精いっぱいだったあたしは、その言葉に一気にテンションを取り戻した。

「あれ! あれをご所望します!」

 メリーゴーランドと、お化け屋敷の奥に、高々と丸い円のコースを描くそれを見て、先輩は凍りついた。

 あれ?

 がしっと、無言で両肩をつかまれて、ひょぇっという悲鳴をかろうじて抑えた。

「杏さん」

 うろんげな表情で、彼が言ってくる。

 ヴァイオレットグレイの瞳の中心にある、黒。そこには絶望とそしてすごみがあって、今日中にあなたを暗殺しますとでも言われそうだ。

 なに、あたし、なんかいけないこと言っただろうか。

 今度は別の意味でどきどきしていると、待夜先輩の次なる言葉は。



「あれは、人間が乗るものではありません」



 ……。

 いや、あなた妖怪じゃないんですか。

 そうつっこむと、気まずげに瞳をそらして、言葉のあやです、と何とも情けない様子で呟く。


 あたしはふっと顔をうつむけ、こみあげる笑いをかみ殺した。



「人の心を食い物にするラヴァンパイアが、ジェットコースター怖いなんて、へんですよ」



 そう言うと、彼は苦いものでも食べたかのような顔をし、そして頬をかすかに赤らめて首筋をかく。


「高くジャンプして落ちてくる女の子を受け止めるのは平気なのに。あんなのが怖いんですか?」

「……怖い、というわけでは」

「えー、嘘。ぜったい怖がってるじゃないですかその顔」

 しぶしぶ、先輩は認めた。

「ラヴァンパイアといえども、苦手なものはあります」

 必死で目をそらすカレ。

 やばい。

 やばいぞ、これは。

 あたし、なんで今こんなに楽しいんだろう。

「つまんないなー。じゃ、乗らないんですか?」

「それは」

「あたしだって苦手な理科を克服したのに。先輩はすごすご逃げるってことですか?

あむあいらいと?」

「ですから」

「ほほう、そうですか、そうですか」

 今すぐ爆笑したいのをかろうじてこらえ、あたしは言った。

「いくら顔がよくて成績優秀な紳士でも、度胸のない男の人はモテませんぞ?」

 先輩の瞳がかすかに見開かれた。

 ぐっと瞳を閉じ、そして静かに見開く。

「……わかりました。そこまでおっしゃるのなら」

 ぐっと、決意に満ちた顔を上げる。

「受けて立ちましょう」

 戦闘じゃないんだから。

 というつっこみと込み上げる笑いを、あたしはかろうじて飲みこんだ。



♡~♡~♡



 ジェットコースターからの道をあたしはかごバックを振り回しつつ、歩いている。

「あーもーサイコーっ! テンションあがったーっ!!」

 後ろから力なくとぼとぼとついてくる待夜先輩を振り向く。

「でもちょっとがっかりです。先輩ずっと直座不動で、サイレントモードなんだもん。もっとおぞましい悲鳴がきけるのかなってワクワクしてたのに」

「……今、生まれてはじめて、杏さんの趣味趣向をおおいに疑っています」

 なんて心外な。

「おかしいのは先輩のほうです! ジェットコースターきらいなんて信じられない。あー、今すぐおかわりしたーいっ!」

 調子に乗ってぶんぶん手を振り回すと、

「あなたという人は」

 ようやく顔を上げた先輩の表情が、変わった。

「――杏さん」

「――え?」

 振り上げた手を、ふいにつかまれる。

 先輩は怒っているというより、かなり気まずそうな顔をして、斜め下を向くと、言った。

「その。……今の姿でその動作は少し、問題かと」

「え? え?」

 あいどんのーとか言っている暇はなかった。

 そう言われてはじめて、気がついたのだ。

 ジェットコースターの最前列で川に勢いよくつっこんで以来、ずぶぬれになり、ブラウスの下がかすかに透けていることに。

「わ、わぎゃぁぁぁっ」

 こんな悲鳴じゃ色気もなにもあったもんじゃない。

「あの鋼鉄の大蛇め。杏さんにこのような仕打ちを働くなど」

 こんな状況でも無数のつっこみが頭に浮かぶ。

 ジェットコースターにそういう例えを使う人ってはじめて見ましたけど。

 そして怒りの矛先がやや間違ってますけど。

 でもって待夜先輩、その表情怖すぎですけど。

「杏さん。ご安心を。今すぐに、あの大蛇を解体の刑に処してきます。では」

「わぁぁぁ待ってください、この状況で一人にしないで!」

 第一そんなことしたら、乗っている罪のない人たちまで命の危機にさらすことになる。

「そんなことより、その、できたら魔力とかで、この服乾かしてもらえちゃったりなんかすると、ありがたいんですが」

 おずおずと申し出ると、先輩の瞳が切なげに曇る。

「それが……申し訳ありません。使える魔力が近頃、減っていて」

 そうなのか。

 どうしたものだろうかと思案していると、となりで待夜先輩が首をかしげたり、視線をあらぬ方向にやったりなんとも落ち着かない動作をしている。

「いえ。杏さん。誤解しないでください」

 あたしのブラウスから目をそらしながら、それでも彼の顔はほんのり赤かった。

「断じて、よこしまな気持ちから、このままにしておこうなどと考えているわけではありません」

 な……。

 そんなことを言われたら逆にこっちまで恥ずかしくなってしまう。

「いえ、その、はい。それは、わかってますけど」

 なんだか今日の彼はいつもと違って調子が狂う。

 なんていうか、でも決していやではなくて。

 ちょっと、かわいいなとか、思ってしまっているのは気のせいだろうか。

「そして、これからすることもです。信じていただけますか」

「は、はい。って、はへ?」

 視界が、閉ざされた。

 夜露のようなさわやかな香りが鼻腔をくすぐる。

 そして、背中に回された両腕。

 ドキドキと脈打つ鼓動は、あたしのもの? それとも彼のもの?

 濡れた肌にじかにぬくもりが伝わってくる感覚。

 つまり、これって、もしや。

 すげーあのカップル、大胆とか言う声が耳の遠くで鳴っている。

 頭が、思考を放棄する。

 自分の内側で、たしかな声をきいた。

 ただ、ずっとこうしていたい。

 いつまでも抱きしめられていたい――。

 ただじっと彼が抱きしめてくれるのに身を任せてしまう。

 どれくらい時間が経っただろうか。

 少しだけ身体を離して、彼が言う。

「すみません。……いや、でしたか?」

「あ。いえ、その……」

 そんなふうに切なげな目で問われて。

 言えるわけない。

 またああしてほしいなんて。

「それでも、ご了承ください。今からなるべくそばを離れないで。オレのかげになるようにしていただきます」

「あ……の」

 さっそく腕をとりつつ、彼のつぶやいた言葉が、じんわり熱のようにいつまでも耳に残っていた。

「オレがいやなんです。――あなたのその姿を、道行く人に見られるのは」

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