5. ほんとうの恋の対象
そして事態は、お約束の展開を迎える。
ということを予感しつつ、いつも通り裏庭のベンチで待夜先輩の講義を受けている。
今日のトピックスは月の引力についてだ。
海の波が満ち足り引いたりするのも、月の引力のせいなんて。
やっぱり世界ってふしぎですなーと、理系の世界に浸りふと、思う。
海さえもひきつけてしまう、月の引力はまるで魔力。
となりであたしに説明してくれる真剣な横顔も相変わらず端正な、この待夜先輩みたい……とか。
「杏ちゃん。……待夜先輩」
予感通り、小春は現れた。
白いリボンといっしょに、今日は三つ編みが弾んでいる。
手のひらに、小さな友達もいっしょだ。
「双葉さん。ぴいさんもお元気そうで」
小鳥すらさんづけで呼ぶ待夜先輩にあたしは笑えたけど、小春は真剣な表情を崩さない。
「勇気出すために、今日は、ぴいについてきてもらいました」
あー。やっぱり。ですよね。
鼓膜の音でかすかに、ざわりと不穏な音を聞く。
なんで、寂しいんだろう。あたし。
ともかく空気を読んで、腰を上げる。
「小春。あたし、そろそろ教室に」
最後まで言い終わらないうちに、
「わたし、先輩のことが好きになってしまいました!」
……おいおいおい。
中腰のまま静止してあたしは額に手を当てる。
そうだった。
小春って案外意志が強いんだけど。
一度勇気出してなにかを成そうと心に決めると周りを見ずつっぱしるとこ、あったなー、そういや。
横の待夜先輩を見ると、困ったように、でも微笑ましそうな表情を浮かべている。
「懲りない人ですね。双葉さんも」
ぐっと拳を握って、小春は力説する。
「先輩が、彼のことやっつけてくれて、眼が覚めました! わたし、自分のことをもっと大事にしていいんだって」
「それをわかってくれたことが。なによりのオレへの贈り物です」
半ば宥めるような先輩の声も、ゾーンに入ってしまった小春の勢いを止められない。
「それに。……それに。先輩は、ぴいを元気にしてくれて。わたし、その方法をぜひ教えてもらいたくて!」
一度、目をしばたたいて、先輩はふっと笑った。
「双葉さんが、夢を叶えることでしょうか」
きょとんと目を瞠った小春に、先輩は優しく語る。
「面接で、獣医さんになりたいという夢を語ったそうですね」
「……どうしてそれを」
先輩は口元に長い人差し指をあてる。
「面接官の先生方だけではない。あなたの言葉に心動かした人がまだ、いたんです」
先輩の言葉はそれ以上続かなかった。
ただ恵みのような視線が、小春の両手のひらに注がれているだけ。
気がついたら、あたしも。
同じように、そこを見ていた。
二つの視線にうなずき、小春が――勢いよく、両手を離す。
高らかな、祝福の歌を歌い。
ぴいちゃんが翼を広げて、大空に飛んでいった。
夏空を自由にかける青い姿に三人して無言の歓声を送ると、コンサートのアンコールに応えるように、ぴいちゃんは一度舞い戻る。
三つ編みのとなり、小さな肩に一度、安らう――それはきっと、小春への挨拶。
小春はゆっくりとうなずいた。
「ぴい、元気でね」
ぴぴっ。
短く、高らかな声を最後に、ぴいは大空に羽ばたいていった。
なんか、じーんときちゃったな。
余韻を十分に味わったあと、先輩はようやく、言葉を継ぐ。
「力なかったもの。虐げられていたものが回復したとき、元気にとびまわる姿」
空から移された視線は、小春に向けられる。
「それがあなたの今の恋の対象なのではありませんか」
一歩、また一歩と、彼は小春に近づいていく。
「その耳で、たくさんの動物たちの嘆きの声に耳をかたむけ、優しく包み込むんでしょう」
「ま、待夜、先輩……?」
戸惑いに、その片足が半歩、下がったとき。
「――その妨げになるものは今のうちに、ぬぐっておきましょうね」
耳元に唇が軽く触れ――アメジストの光が充満した。
「――あれ」
小春が、声を発した。
「あたし、待夜先輩とどうしていっしょにいるんでしょうか。ぴいが元気になったのが嬉しくて、大空に返してあげて、それで――あれ」
かわいらしく小首をかしげる。
「あんなに弱っていたぴいはどうして元気になったんだっけ」
何事もなかったように微笑んで、先輩は大空の彼方を示した。
「お友達が行ってしまいますよ」
はっとして、小春は駆け出す。
ぴいちゃんを追いかけるために。
「ばいばい! 大きくなって家族つくって、また来てね! ばいばーい!」
横暴なカレシに虐げられていたときの抑え込んだ様子はかけらもない。
ぴいに呼びかけるその声はどこまでものびのびと青空を渡っていった。
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