4. 鉄槌

 その次の週末。

 新緑生い茂る帳公園。

 新緑の中の木造のテーブルに私服姿のあたしは小春といっしょに座っていた。


 待夜先輩はああ言っていたけど。第三者であるこのあたしを入れて、小春とカレシとのあいだに、話しあいの場を設けることにしたのだ。

 女子二人、並んで問題のカレシを待つ。


 こんなことに巻きこんじゃってごめんと、何度も謝る小春を、今はカレシに暴力辞めてもらうことが大事なんだからとこれまた何度も叱咤したあと。

 小春が、ようやく別のことを口にした。


「あのね、杏ちゃん。……三日前、ぴいがすごく弱ってて、死んじゃいそうだったの」


 急な話題に、なぜか背筋が伸びる。

「そう、なんだ」

 見てたけど。

「そこに、待夜先輩が来てね。魔法みたいに、ぴいを元気にしちゃって」

「……そうなんだ」

 見てたけど。

 ちらと横を見ると、小春は吐息をついて、両手で頬を抑え込んでいる。

「わたし、それからおかしいの」

 ほんのり微熱を持て余しているような、桃色の頬。

「忘れられないんだ。ぴいを元気にしてくれたこともそうだけど。先輩の言葉が」

「うん……」

 やっぱり、そうくるんだ。

 なんだかなと心の中で吐息をついていると、小春が眉をハの字にしてこっちを見てくる。

「へんだよね? カレシがいるのに、こんなのって」

「……ええと」

 言葉に詰まる。

 そりゃぁ。

 相手は恋心を捕食対象とするラヴァンパイアだからね。

 とは言えないし。

 でもそれ以前に。

 そりゃぁ。

 あんなことされて、言われたらね……。



「――へぇ、そうなんだ」


 ぞわり。

 愚弄するような嘲笑と怒気をはらんだその声に、その場の空気が歪んだ。


「大智くん……」

 見ると、木製のテーブルのわきに、パーカーにズボン姿の男子が、ポケットに手をつっこんでこちらを睨みながら立っている。

 出たな、DVカレシめ。


「なんでほかのやつがいんの? デートなのに」


 大智――小春のカレシは、ぎろりと視線を向けてくる。


「あ、あのね、今日は大智くんに話があって。ほかの人にもいてもらったほうがいいと思って」

 大智は吐き捨てるようには? と声をぶん投げてくる。


「なんだよそれ。意味わかんね。オレらの話なら二人でするもんだろ、ふつー」

 あ。なんだこれ。

 ふつふつふつと、腹の中からなにかが湧き上がってくるんですが。

 それもこの泡、ひとりでにでかく、熱くなるんですが。


 二人だけで話なんかしたらあんたたちまち手を上げるんだろうがよ!


 と、心の中であたしが言ったようなことは言わずに、小春は深呼吸して言った。


「大智くん。もう、デートの都合があわないと機嫌悪くなって暴力ふるったり、怒鳴ったりするのはやめてください」


 しん、とあたりが静まり返る。


 うつむいた大智が、草むらを蹴る音だけが響く。

 とん、とん、とん。

 突如、ガッと地面が音を立てて、命潰えた草が宙に舞った。


「人前で恥かかすために呼んだのかよ」


 ずさっといやな音がして。

 あたしは目を疑う。


 スカートから覗く、小春の右足の向う脛が腫れている。

 小春は震えをこらえて、ぎゅっと目を閉じていて。


 ――もう、がまんならん。


「ふっざけなさんなよ、このクソ男!」


 気がついたら、あたしは立ち上がっていた。


「公園に隠しカメラつけてんだからね! DVは犯罪なんだからね!! 今から警察行ってやる! ムショにぶちこんだるっ!」


 ザ・はったり。

 けれど今ははったりでもなんでも使用すべきだ。


 DVカレシに抵抗できる力のないあたしたちは。


「あんたなんかね、小春の親友のこの杏にかかれば一握りで――」


 はったりはフィナーレまで続かなかった。

 ふわっと、身体が宙を舞ったのだ。


 どさっと落下したさきは木の前。


 頬が腫れている。

 衝撃に目を見開く。

 一握りで、やられた……!


「杏ちゃん……!」


 泣きそうにこっちを見る小春を見て、じわじわと、口惜しさが押し寄せる。

 自分のうかつさ。

 正気をなくした男にまともに太刀打ちしようなんて。

 愚かだった。

 どうしてか、そのとき頭に浮かんだのは、ヴァイオレットグレイの優しげな瞳。

 先輩。待夜先輩。

 先輩の言うとおりでした。

 ごめんなさい、と謝ってももう遅いんだろうけど。


 現にDVカレシは勝ち誇ったように勝利宣言する。


「ふん、お前みてーな冴えない地味女が、なに言ってんだブス」


 その瞬間、大智がふっとんだ。


 あたしと反対側の、数メートル先の木に背中を打ち付けて倒れる。


 その前に、すらりとしたブレザー姿の誰かかがみ込んでいる。

 ウェーブがかったグレイの髪。

 ヴァイオレットグレイのグレイ率が90%に達し、最高に不機嫌なご様子だった。


 この上なく冷たい微笑みを浮かべ、丁寧に、待夜先輩は礼をした。


「どうも、はじめまして。クズ男さん。待夜です」

「あっ」

 一筋、血が垂れてもなお、大智はさかんに口を動かした。

「あんただな。小春をたらしこんだ男って――」

「えぇ」

 暗い輝きをその目に宿し、彼は涼やかに微笑む。

 その口元が、均整のとれた三日月を描く。

「思ったより簡単でした。小春さんの心はごっそりいただきました」

 そうかと思うと、ふっと切なげに首をかしげ、

「なんだか申し訳ないですね。このような貴重なものを、タダでいただくなど」

 そして――彼は微笑みを、完全に消した。


「でもそれもしかたありませんね。いくら貴重な宝石でも、いたぶって打ち砕くことがご趣味の無粋な輩のものにしておくのでは、あまりに宝石が哀れだ」


 ところが大智も負けていない。

 唇をぬぐって立ち上がり、ぎろりと待夜先輩を睨む。

「さっきからわけわかんねーこと。こそこそ人のカノジョたぶらかしやがって。小春は返してもらうからな!」

 でもってこの落とし前は云々と、大智が御託を並べている間に、先輩は目を閉じた。


「わかりました」


 どんっと、大智の頬になにか堅いものが当たって落ちた。

 腫れた頬の下。その手に落ちたのは。


 あたしも小春も、そろって目がテンになる。



 まんまるおめめにくるりんとカールした髪。赤いギンガムチェックのワンピースの――15cmぐらいの女の子。

 幼稚園生から小学校低学年くらいの女の子のあいだで大人気の着せ替え人形、マミィちゃん……?


「殴っても怒鳴っても、浮気しても許してくれる。身勝手にもてあそんでいいもの」


 極上の笑顔で、先輩はとどめを刺す。


「あなたが返してほしいのは、おもちゃのお人形、ですよね?」


 ……うわー。これは強烈だ。

 つまり、意訳すると。

 お前なんかマミイちゃんでもカノジョにしとけと同義なのでは?


「このやろーっ、なめやがって」

 大智が、先輩の胸倉をつかむ。

 でも先輩の余裕は崩れなかった。

「まだ足りないと? あなたが虐げてきた元恋人たちの痛みを、恐怖を、すべて味わいようですね」

 片手すら使わず、指先を動かしただけで、先輩に迫っていた大智の身体が宙を舞い、空中で旋回して、勢いよく顔から草むらにたたきつけられる。


「ひっ。なんだお前……。この化け物が!」


 捨てぜりふを吐き、かくしてDVカレシは、すたこら逃げていった。

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