3. 彼と離れているときのあなたは
それはそれから一週間ほど経った日のことだった。
昼休み、いつものように裏庭を訪れたあたしは、茂みの奥からきこえてきた押し殺すような声に足を止めた。
嗚咽としゃっくりが、交互に繰り返される。
すすり泣きの声だ。
茂みの向こうに、見慣れた三つ編み姿を見つけたときには、思わず飛び出していきそうになる。
両手で顔を覆って、小春が泣いている。声をかけなくちゃ。
けれど、次の瞬間、嗚咽のあいだから漏れてきた声が、足を止めさせた。
「ぴい、死なないで。あとちょっとがんばってよ……!」
言葉もなく、ただ立ち尽くす。
「お願い。じゃないと、わたし……」
段ボールで造った巣箱の前に震える小春の背中が、真冬に姿を見せたうさぎと見まごうほど震えている。
その手の中には、ぴいちゃんが、ぐったりと小さな目を閉じている。
小春の看病で一時的にはよくなったけれど、やっぱり弱っていたんだ。
小春……。
大粒の涙がその頬から伝って、茂みのツツジを濡らしていく。
朝露のような涙が、この心に岩のようにのしかかる。
友達がこんなに苦しんでるのに、あたしはなにもできない。
かけたらいい言葉さえ、見つけられずにいる。
あたしは、なんて無力なんだろう。
絶望の岩に身体をぺしゃんこに押しつぶされた気がしたとき。
ヴァイオレットグレイの輝きが、視界に待った。
その瞳の主――待夜先輩は音もなく現れて、かがみ込むと、じっと、小春の手のひらの中のぴいに耳を傾けた。
「――うん、そうか。きみもどうしてももう少し生きたいと思っているんだね。助けてくれた双葉さんのために」
はっとしたように顔を上げた小春。
その頬から左右に涙が飛び散る。
「ぴいの気持ちが、わかるんですか?」
信じている、というより、信じたいという気持ちがありありとわかる問いかけ。
わらにもすがる想いってやつだろう。
小春の手の中にそっと手をかざすと、待夜先輩はゆっくりとうなずく。
「生まれたばかりのころ、巣から落ちてしまったところを小さな少年に巣に戻してもらったことがあった。たった一度、人間に優しさをあたえられただけで、ずっとその人に尽くし、愛を求める。ほかの人間にどんなにつらくあたられても、いつかまた笑顔をくれるはずと、儚い夢を見ていた。そうしたら、双葉さんが現れた。そう、この子は言っています」
小春の口が小さく開く。
待夜先輩はぴいちゃんを見つめたまま、語り続けている。
「そうだったのか。愛してくれる人のために生きたいんだね。――でもね、きみもいつかは自分自身の翼で羽ばたくんだ。愛してくれる人のもとから巣立って大空の中を自由にね」
そして、少しだけ声に多めに息を入れて、一言、言う。
「できるかい?」
たっぷり十秒は間があっただろう。
……ぴい。
かすかに、ぴいちゃんが、そう鳴いた。
先輩が目を細めて微笑む。
「よし。それじゃ」
待夜先輩は、ぴいちゃんの上に手をかざした。
あたかい光が、白くて丸い胴体上に満ちていく。
しばらくすると、小さなその胸が上下に動きだした……!
「ぴいが、ぴいが息してる! すやすや眠ってる!」
何度も確認するように、ぴいの胸を耳に押し当ててかすかな命の音を確認すると、小春は待夜先輩に頭を下げた。
「ありがとうございます! ありがとうございます!!」
何十回繰り返すんじゃないかと思われたころ、ようやくその素性を確認する。
「えっと、二年の待夜先輩、ですよね。杏ちゃんといっしょにいた。どんな力か魔法かはわからないけど、ほんとうにありがとう……!」
先輩がその手を、小春の瞳の前に差し出す。
すっと、そこにある涙をぬぐって。
一言、彼は言った。
「美しい」
何が起きたかわからないというように、小春はまだ濡れているその目をしばたたく。
「珠玉のような色の涙だ」
そして彼はふいに笑顔を消す。
「彼と離れているときのあなたは、そんなにつまらないですか?」
次の瞬間にはかすかに、口元をほころばせる。
「こんな色の感情を持ちながらもまだ、そう言えますか?」
「え……?」
小春が首をかしげたとき、待夜先輩の姿はもうそこになかった。
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