第3章 デートDVはラヴァンパイアの許容範囲外です
1. 懐かしき友は悩める
いつもの講義場所である裏庭に、久しぶりの友人が訪ねてきた。
「杏ちゃん」
のんびりしたかわいい声が懐かしい。あたしのことをそう呼ぶ、髪をゆるふわの三つ編みにして、白いリボンで飾っている彼女の名は、双葉小春。
中学生のときから親しかった友達だ。
同じ高校に進学が決まったときは嬉しかったけど、クラスが別れたのもあって、しばらく疎遠になってた。
いつものようにベンチで待夜先輩と勉強して。
彼と手を振って別れたそのとき、ツツジの影から、彼女はひょっこりと顔をのぞかせた。
「このあいだ、このあたりでたまたま見かけて。今日ものぞいたらいるかなって。ちょっと話したいことがあって」
話かけるタイミング気を遣ってくれてたのかな。
そういう細やかなところが、彼女らしい。
変わってないな。
「小春もたまにここに来るの?」
珍しいな。
ここに来る人はめったにいなくて、だからこそ穴場だったんだけど。
「うん。二週間くらい前かな。体育の授業からの帰りに、この子を見つけてから」
小春がそれまで大事そうに丸めていた両手を広げた中を見て、あたしはあっと声を上げる。
そこに、小さな小鳥が眠っていた。
小さなその顔は真っ白だけど頭だけが帽子のように黒い。
深緑のその翼は右側だけが不自然に折れていた。
「シジュウカラっていう種類なんだけど、この子ね、翼に明らかに人に傷つけられた跡があるの」
小春が、くりっとしたリスのような瞳に怒りをこめる。
そうか。それで裏庭に通っては手当てをしていたんだ。
その事実は、あたしの中の遠い日の記憶を、蘇らせた。
「覚えてる? 中学生のとき、いっしょに捨て猫を校庭の裏で飼ったよね」
小春は昔から、人一倍優しくて、動物大好きだったな。
「うん。子猫のみい。杏ちゃんのおかげで、飼い主さんが見つかるまで、かくまってあげられたの」
優しい小春は、弱いものや小さいものをほうっておけないところがある。
でも優しすぎて、時々いわれのないいじわるを受けた。
中学生のとき、彼女が口さがないクラスメイトにいじめられそうになったら、先生に相談したり、一緒に図書室に逃げたり、それとなくカバーしていた。
そんな小春をこそ、あたしはほうっておけなかった記憶がある。
それがきっかけで仲良くなったんだ。
中学三年のときはいつも学校からいっしょに帰ってたな。
小春はその指先で、小鳥の頭をそっと撫でる。
「ちっちゃくて弱ってたから、標的にされちゃったんだね。もうだいじょぶよ」
小鳥に向かってそう言うと、嬉しそうに顔を上げた。
「ぴいって名前つけたの」
「へぇ」
つける名前が相変わらず単純なのがなんか笑えた。
「元気になれよー、おいおい」
眠っている小鳥をからかうようにつっつきながら言う。
「ねぇ小春。話したいことって、このぴいちゃんのことだったの?」
「え?」
不意打ちをくらったように目を丸くして、それから小春はうつむいた。
「ううんと、えっとね」
そうこうしているうちにチャイムが鳴って、小春はごまかすように、そう、ぴいをいっしょに見守ってほしかったのと締めくくり、それじゃぁとくるりと背中を向けた。
その背中はどうしてか中学生のときより、小さく見えた。
♡~♡~♡
それから、授業中も休み時間、ふとしたときなんかも。
わざわざなにかを話しに会いに来たのに、その内容を尋ねたとたんに口籠った小春のことが気にかかっていた。
小春は相手を気遣って言いたいことが言えないことが多々ある。
なんか一人で困ってなきゃいいけどな。
そこで、今度は、小春がぴいの世話に裏庭に来ているときに、あたしから話しかけた。
「小春。なにか相談事があるんじゃないの?」
段ボールで自作したらしい巣箱に住まうぴいに餌をやりながら、小春がぴくりと肩をすくめる。
「困ってることがあったら、言ってほしいなって思って」
「杏ちゃん……」
うーん。
なんかその目こそ、死にかけのひな鳥みたいなんですが。
小春は頷くと、あたりを見渡して、言った。
「じつは、今、つきあってる人がいて」
わお。
「
「同じクラスの子?」
小春はこくりと頷いた。
「先月にね、告白されて」
衝撃だ。
でもどちらかというと歓びの衝撃。
「すごいじゃん」
好きな子ができても奥手でアプローチ一つできないでいた小春が。
よかったねと祝福するも、小春は表情を曇らせたままだ。
「うん。でもさいきん大智くん、へんなの」
話を要約すると、こういうことらしい。
つきあいはじめて間もなく、彼の行き過ぎた言動が目立つようになった。
デートで小春が席を外したとき、スマホを勝手に見て、
「なんでオレの知らないアドレスがあるの? 消しとくね」
と平然と言って、データを消去される。
デートの日取りを決めるとき、この日は友達と約束があるの。ごめんねと小春が言おうものなら、そっちがあわせるべきだとしまいには大声を上げる。
怒らないでよ。ごめん。友達との予定キャンセルするね。
震え切った小春がそう謝ると、
あたりまえだろ! と一喝。
そのあと立ち上がって――。
え。ちょっと待てよ。
「暴力?!」
声を潜めることすら忘れて、問い返すと、哀しそうに目を歪めて、小春はうなずいた。
それって。
あたしもあやふやな知識しかないけど。
制服のポケットから、スマホを取り出す。
校内での使用は禁止されている。校則は基本守る派だけど、今は緊急事態だ。
それで、あるワードを検索する。
結論を端的に、小春に告げた。
「うん。間違いなくデートDVだよそれ。最低だよ。異常事態だよ」
「……わたしもそうかなって思ったの」
小春は肩のあいだに潜らせるように首を縮めた。
「でも……。好きだから。大智くんがいなかったらわたしみたいなのとつきあってくれる人なんて――。だから、別れたくないの」
そんな。
そんなのって。
反論を試みていると、小春はそれにね、とさらに続ける。
「わたしの家に来たとき、わたしの両親とか、小さい妹とか、クラスのほかの子にもね、彼、普段はすごく優しいの」
……外面よくて、場の空気読んで、一時的に人をいい気持ちにさせるのがうまいのは、DV男性の特徴ともはっきり書いてあるんだけど。
うーん、果たしてこれを小春に言うべきか……!
そうこうしているうちに小春は一人で解決しようとしてしまう。
「やっぱりこのままつきあってくためには、カレにちゃんと伝えるしかないよね。暴力はやめてって、タイミング見て話してみるしか……」
わわ、まずい。この優しい小春がそんな危険なカレシと二人きり?
「じゃ、じゃぁさ、こうしよう。あたしがいっしょに行って、あいだに入るよ!」
今はこれしか思いつかない。折衷案を口にしたとたん、しゅさっと茂みを鳴らす音がした。
「さしでがましいようですが、杏さん。はっきり申し上げます」
ウェーブがかった灰色の髪。
ラディゲとかなんとか書いてある文庫本を片手に。
そこからヴァイオレットグレイの瞳を離さないまま、彼は言った。
「待夜先輩。いつからいたんですか」
その問いへの答えではなく――さきほど出した折衷案に対する意見を。
「それは、無理ですね」
淡々と、地球には空気というものがあるとでも説明するかのような口調で。
「たとえ杏さんが同席しようとも、そのどうしようもない、地獄の最下層に生えた雑草のような彼が、天井の花園のようなすばらしい彼に更生する見込みは限りなくゼロです」
だ、断言しやがったこの人。
そりゃ、一理あることにはあると、あたしも思うよ? 思うけど――。
焦っているうちに、じわ、と小春の目元がにじむ。
「ちょ、ちょっと先輩! 小春の前ですよ。あんまりかわいそうじゃないですか!」
早口にそう言うと、彼は物憂げに首をかしげた。
「なぜです? 解決法をご存知ないようなので、最善策をお伝えしているまでですが」
そう言うと、彼は小春に目を向けた。
「あなたは、一年生の」
「……双葉、小春です」
「双葉さん」
にっこり笑顔を、待夜先輩は小春に向けた。
「ずばり、すっぱり別れましょう。あとくされなし、しつこい連絡も、『別れたら死んでやる』という脅しもなし。そういう別れ方を、オレと杏さんがともに全力を賭して考える所存ですから、どうか大船に乗ったつもりで、お任せくださいね」
優しげな口調に。
「う……っ」
あふれ出る涙をぬぐって、小春は走り去っていった。
気にもたれかかり、心の中で、あたしは思いっきり叫ぶ。
そりゃそうだー!!-
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