5. 恋する乙女の見分け方マニュアル
それから裏庭であたしと待夜先輩の天文学講義の日々がはじまった。
昼休みノートを持って、はほぼ毎日ツツジの茂みにかこまれたベンチに向かうのは、そうしないと先輩が教室に迎えにきてしまうからだ。
秋の空が澄んでいる理由にはじまり、夕焼けが赤いわけ、宇宙はどれくらい広いのか……身近な疑問からはじまる彼の講義が楽しみになっている自分がいた。
ついでに、理数系の科目の次回のテストのポイントなんかも教えてもらって、かなりお得感がある。
「――さて、今日はこのあたりまでにしましょうか」
夏の陽光を反射してまぶしい参考書を先輩がぱたりと閉じた。それに倣ってあたしもメモでいっぱいになったノートを閉じる。
今日の講義も盛りだくさんだった。
天文学には複雑な公式がいっぱい。頭の中にまだ、アルファベットや数字が踊っている。シャープペンの先で額をつつきながらうーみゅと呟く。
「忘れないようにしないと。今日は家に帰ってから復習マストですね」
「杏さんがいつも一生懸命なのはとっくに伝わっていますが、適度な休息も大事ですよ」
講義のあいまにたまに差し挟まれるブレイクタイム。
栄養補給用ですと、と校舎の影の自販機から買ってきてくれたアイスティーのペットボトルを先輩から受け取ってお礼を言いつつ、前々から気になっていた疑問を口にしてみる。
こういうときの話題はだいたい、恋を食べる吸恋鬼のことだ。
「先輩はどうやって、女の子が自分を好きかどうか見極めてるんですか?」
となりでプシュッという音をたてて先輩が缶コーヒーを開けた。
黒曜石のような黒が、その瞳に映り込む。
「ラヴァンパイア一族には、代々秘伝のマニュアルがあります。特別にその一部を、杏さんにお見せいたしましょうか」
なに。
思わずベンチの板を押して、ずずいっと彼に近づく。
恋する相手が自分に気があるかどうかの見分け方。
また、その気にさせる方法。
これはラヴァンパイアじゃなくても気になるところだ。
すっと彼の長い指がタクトのように澄んだ青空を背景にして振られる。
「まず前提として、捕食対象には、自分を好きになる可能性のある方を選ぶこと。オレをその気にさせたいと思っている人の気持ちや打算がすけてみえるような仕草というものがあるんです」
天文学の内容を語るのとまったく同じ口調で、待夜先輩による恋心講義が進んでいく。
「ひとつ。声が弾んでくる。そのはずみに導かれるように多弁になる」
「ひとつ。小首をかしげたり、肩を竦める等、自分を小さく、かわいらしく見せようとする仕草。上目遣いというのもありですね」
「ひとつ。他の女性も彼を好きなのではないかという疑念を抱く。根拠がなくてもあり得ます」
人差し指、中指と順にたてながら先輩は説明していく。
うん、わからないことはない。ないんだが……。
アイスティーの中に茶葉が残っていたようなかすかな違和感が奥歯のあたりにある。
なんだか、説明がつかないけれど。
どことなく反論したいような、あいまいな抵抗感がぬぐえないんだ。
恋する女の子と一口に言っても色々いるわけで、仕草がみな一様で、そんなふうにマニュアル化できるわきゃないだろうと思うんだけど。
そう言ってみると、先輩はふっといつくしむように微笑んだ。
「いちいち、純粋で愛らしいですね、杏さんは」
……笑顔は純白で、完璧だけど。
やばい、ほめられているというよりばかにされているような気がする。
あたし、ひねくれてるんだろうか。
陽光を反射して妖しげなアメジストに揺らめく瞳が、もやもや感に輪をかける。
「恋する女性などみな同じ。単純で明快で、とても、かんたんです」
……そう言い切られると。
「いや、そんなふうにかんたんには――」
「嘘だと思うなら、演じてみてください」
……はい?
すとんといとも身軽にかつ自然に、彼が身体を寄せてくる。
「今言った特徴を反映させて、オレに恋している女性を演じてみてくれますか、杏さん」
わかりました。
わかりましたから、近いって。
うーん。
こんなふうだろうか?
「待夜先輩ってすてきですよね。かっこいいしっ」
ひとまずそれっぽく両手の拳を口元に持っていって、声に弾みはつけたぞ。
次はええっと、小首かしげる、だっけ?
「スポーツも万能で勉強だってできるしおまけにツッコミどころまで満載で! もうすべて兼ね添えた人ってカンジですっ!!」
そしてさいごは、疑心暗鬼。
「あぁ、他の子もきっと、待夜先輩のことが好きなんだろうなー、気になる気になる気になる木~」
「やや気になる箇所もありましたが、なかなかいい感じです」
まじっすか、これで!?
いや言っちゃなんですけどあたし、けっこうふざけてましたよ?
そんなあたしのつっこみもさらりと交わして、先輩はナイショ話をするように指を口元にあてた。
「これができたらあと一つ。もっとも重要なのが、これです」
「――笑う回数が多い」
「笑顔という意味でも、笑い声という意味でも。恋心を抱く相手の前ではそうなります。恋する相手の言っていることが、他の人がきいたらとるにたらないつまらない内容であることも多々あります」
なんか恋愛そのもの馬鹿にしてないかこの人。
そうつっこみたい気持ちを手玉にとるように右手が急にあたたかな感触に包まれる。
「――ひっ」
この人、今度は手を握って来た??
切実なヴァイオレットグレイが、見つめてくる。
「杏さん。これから一生毎朝、オレに――つっこんでくれますか」
え?
「『ヴァンパイア一族のくせに、棺じゃなくてフツーにベッドから起きるんかーい!』とか。『ヴァンパイアなのにマントで飛ばずに通学は電車なんかい!』とか」
……ぴきと顔がひきつり。
あ、いけないいけない、笑わなくては。
「なんですかそれー、あはは、それを言うなら、『オレに毎朝おいしい朝食をつくってくれますか』でしょー。もう先輩ったらお茶目なんだからー。でもってけっこう返しの難易度高いボケかますんだからー。ぐはははは」
不敵な笑顔が、急に真面目な思案顔に変わる。
額を人差し指でたたきながらの先輩の判定は――。
「ボケへの返しは完璧でしたが、肝心の笑い方は少し――」
「だめ、でしたか?」
真面目な顔が、こちらに向けられる。
「あと七割は控えめに。愛らしくという計算を忘れないでください」
……恋する乙女やるのもめんどくさいな。
めんどくさいから話題変えよう。
「じゃ、そういう恋反応を起こさせるために、どうやって女の子たちを好きにならせるんですか?」
そう言ったら先輩はおもしろそうにくすくす笑った。
向けられた笑顔は――さっきとは違って、無邪気な少年みたいで。
ちょっとだけ見入ってしまう。
お約束のように、口元に人差し指をあてて。
「それを言ってしまったら。杏さんを落とせないかもしれないじゃないですか」
囁くように、彼は言った。
「だから、今はひみつです」
なんだ残念。
でもそろそろ、講義も再開しないといけないし、切り替えるか――。
再びノートを開いたとき、ふいに、となりのヴァイオレットグレイの瞳がツツジの茂みに向けられた。
「――杏さん。伏せて」
そう思ったときにはもう、あたしはベンチから降りてしゃがみこんでいて――。
これ、彼に肩を抱かれて抱え込まれている――?
どくどくうるさいくらい鳴る心臓をBGMに、茂みの奥から不穏な声が響く。
「ほんとに見たの?」
「ほんとだってば! 三朝と待夜先輩がこのへんにいるの――」
低い姿勢のままそっと窺うと、茂みの奥にうごめいているのは、見覚えのある茶色い毛先のカールした髪を、レースのついた繊細な造りのシュシュでまとめた姿。
マスカラを塗った華やかな顔立ち。
ファンクラブのリーダー、五宮さんだ。となりにいるのはそのとりまきの一人。
楽しい祭りの真っ最中、色とりどりの灯篭がふいに転がり落ちて、ぼうっと炎が燃え上がったかのような圧倒的な焦りが生まれる。
まずい、めんどうなことになる。
また、なにかされるかも……。
直後やってきた負の感情の第二波は、そう思ってしまった自分への嫌悪感。
あぁあたしったらまただ。
びくびくするのやめたいって思ったばっかりなのに。
緻密でカラフルだった胸の中の絵画が一瞬にして統制なく絵の具が塗りたくられた駄作に変わった嘆きが、ふいに和らぐ。
――あたたかいまなざしに包まれたからだ。
先輩は真剣な瞳で、あたしに一言、囁いた。
「杏さん、こちらへ」
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