4. 秋の空が高いのは
いきなり、同じ天文学部のクラスメイト数人ににらまれた。
きっかけは、昼休みに、担任の先生の机に進路希望調査の用紙を提出しようとしていたことだ。
一人の男子が、さっとそれをかすめとると、ぼそりとつぶやいた。
「なんだ、この将来の希望進路。幼稚園児かよ」
冗談交じりといった感じはみじんもない、敵意のある言葉がぐさりと胸に食い込む。
悪いが、大真面目だった。
だからこそ担任の先生にも相談にのってもらおうと、興味のある職業に、思い切って書いたものだった。
冷や水を浴びせられたように呆然としていると、その男子と仲のいい女子が2名ほどやってきて、
「待夜先輩がちょっと優しくしてくれたからっていい気になってるんじゃないの?」
「うざいよね」
その二人の数歩先でふふんと口の端を上げて笑っている女子がいた。
かすかに茶色く染めた髪にピアスは華やかな外見によく似合っている。短くしたスカートからすらりと足が伸びていて。
意地悪な笑みすらきれいで、ひきつけるものがある。
待夜先輩ファンクラブ兼一年C組女子のリーダー格で、クラスの女王様的存在の
あぁそうか。と瞬時に理解する。
こっちが大元で、同じクラスでかつ天文部に所属している男女に指示がいったんだろう。
「くだらね。高校生にもなって、こんなこと本気で考えてんのかよ」
ひらひらと、教室の戸口で希望調査票を男子が振り回す。当然ながらみんな見てみぬふりだ。友達の千佳だけは、厳しい目つきで彼らを見てくれていることに、他人事のように少しほっとする。刹那。
男子学生の持つ紙が、奪われた。
戸口から伸びてきたしなやかな手によって。
「自信があれば、人の夢をこそこそ盗み見たり、あざ笑ったりする必要はない」
ウェーブがかった黒髪。通った鼻筋に切れ長のヴァイオレットグレイの瞳。いつも穏やかに微笑んでいるその顔が別人のようにひきしまっている。
静かにそう言われて、用紙を奪った男子と、五宮さんと、その周りの女子たちがぐっと押し黙る。
待夜先輩はあたしを見ると、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。そして。
「遅ればせながら、お迎えにあがりました」
穏やかに爆弾を落としてくれる。
ざわつくクラスメイトたちをものともせず彼は、奪いかえした進路希望調査を優雅な手つきで返してくれる。
「杏さん、これを」
ひきつった笑顔でうけとりつつ、あたしは気づいてしまった。
彼がその用紙を、裏返して渡してくれたことに。
あえて見ないでいてくれたんだろうか。
「あ。ありがとうございます」
ひとまず礼を言うと、彼はにっこりと微笑んだ。
「恋心を得たいと志願する、つまり恋人に立候補するなら、対象となる女性を守るのは当然ですから」
「わーっ、わーっ!」
連発するNGワードをかき消そうとつとめつつ、捕食目的だけどな、と心の中でつっこむ。
「あーっ、先輩、天文部の確認事項ですかっ?」
「いいえ? そうではなく、これは、恋人になるための――」
天然かと一瞬うたがって彼を見る。いや、表情からするにぜったい楽しんでるなこれ。
「そうですかっ! 部活関係の確認ですね。じゃぁ、行きましょうか、先輩っ!」
もろにほころんだ付け焼刃、すなわち、もろバレのカモフラージュをかましつつ、あたしは彼をひっぱって、教室を出た。
♡~♡~♡
草木に囲まれた裏庭にぽつんとあるさびれたベンチは、帳学園高校の穴場スポットだ。
あまり人が来ないから、告白なんかによく使われるとかいう噂をきいた。
そのベンチで、あたしは待夜先輩に向かい合う。
「あの、ありがとうございました」
改めて頭を下げると、真剣な表情で首を横に振られる。
「それより、だいじょうぶですか。差し支えなければ、思わしくない記憶ごと拭い去りましょうか」
「あはは。ありがとうございます。冗談でも嬉しいです」
無理に笑うと、先輩は真面目な顔を崩さずに言った。
「いえ。比喩ではなく。記憶の消去や操作は、ラヴァンパイアの魔力の及ぶ範疇ですが」
「――」
そういえば。
運動場で、彼が描いた華麗なジャンプが、目撃した先生や生徒の中で都合よくなかったことになっていたことを思い出す。
「あの先輩。魔力が、使えちゃったりなんかするんですか……?」
「ふだんは控えているのですが。異質なものは排除する性質を持つ人間に、正体がばれたら危険なので」
なるほど。
と、なっとくしているあいだにも、彼が話を進めてしまう。
「やはり、消しましょう。あなたに悲しみなど、似合わない」
彼の手があたしに触れる――。
「ちょ、ちょっと待ってください」
あわてて、あたしはその手をとった。
「どうしました?」
「えっと、なんかそれは、もったいないなって」
首をかしげる先輩に、ちょっと照れつつ、告げる。
「だって、今のこと忘れちゃったら、待夜先輩があたしにしてくれたことも、忘れちゃうわけで……」
かすかに、彼が息を飲む。
「嬉しかったんです。あたしの言いたいこと、先輩が言ってくれて」
「……」
「あたしって、ついいつも人の顔色うかがっちゃって。言いたいことが言えないことが多くて。つまり、度胸がない、小心者なんです」
「杏さん……」
「ほんと、みみっちいですよね」
「杏さん」
「ほんと、今回みたいなことがあるたび、そういうとこ、自分でもいらっとく――むぐっ」
先輩の人差し指が右から左へ、かすかに動いたと思ったら、上下の口がぴったりくっついて、動かなくなった。
「むぐっ、うぐ」
いくら努力しても、くっついてしまった唇を開けることができない。
どこか黒い笑顔で、先輩が言った。
「これ以上オレの大事な恋人のことを悪く言うなら、今度は魔力を使わずに口を封じますが、どうしますか」
不敵に弧を描く口元のその上の目は、笑っていない。
「むぐぐぐ」
すみません、もうしません。
そう心で念じると、
「よろしい」
すぱっと、口が開いた。
「ぷはーっ」
わけもなく深呼吸なんかしてしまう。
笑顔で眉根を寄せて、先輩は言った。
「ほとほと、困った方ですね。あなたは被害にあった側だというのに、自分のほうを責めるとは」
そして厳しい表情をつくると、彼は言った。
「たしかに、自分の想いを主張するのはとても大事なことです。ですが」
そして今度は保護者のように、笑って。
「それをためらってしまうほど優しい杏さんには、そのままでいてほしい気もします」
「……」
そう言ってくれる気持ちは嬉しい。
でも、素直にそうとは思えなかった。
あたしは、優しい、わけじゃ。
「あたしは、ただ、肝っ玉が小さくて、事なかれ主義で――」
「なにか言いましたか」
笑顔でタクトを振るように人差し指を突き立てられて、あたしはひとまず黙る。
そして、さしあたり大事なことに思いいたった。
「あの、お迎え、なんですけど。これからはこっそりお願いできませんか」
涼しげな笑顔はそのままに、先輩はかすかに首をかしげる。
「なぜです」
「なぜって」
先輩は人気者だから。
ファンの子の視線が怖い。
そう伝えると、彼はにっこり微笑んだ。
「言いたい人には言わせておけばいいじゃないですか」
しばし、開いた口がふさがらなくなる。
「自分より優れた者は認めたくない。愚かな人間たちの中には、そういう人もいるんです。ですから、杏さんは堂々としていてください」
いやあの、さわやか笑顔でそう言われても。
そりゃ、頭脳明晰、成績優秀、容姿端麗な先輩はそうできるのかもしれないけど……。
力なくベンチの背もたれに背をつける。
ちょっと、うらやましいな、と思う。
「……進路希望調査に提出したあたしの夢って、ほんと、夢のまた夢で。だから親に言ってもきっと反対されると思うし。みんなに言われるまでもなく、ほんとうはわかってるんです。無茶だって。子どもじみてるって」
自分で言っていて、悔しさに視界がにじむ。
わかってる。
でも、想いが止められないんだ。
止まらないのだ。
しばらく、待夜先輩は、なにも言わなかった。
あたしの気持ちなどどこ吹く風のように、どこからともなく訪れたきれいなアゲハ蝶が裏庭を囲んだツツジの中でたわむれている。
「まだ頭上に広がるのは初夏の空ですが。夏のあとに控えているのは秋です。……杏さんは、秋の空が高いと感じたことはありませんか」
へ?
このタイミングでまさかの話題転換??
「は、はい」
多少戸惑ったけど、まぁあたしとしても、こういう深い部分にかかわる話題は軽めにスルーしてくれたほうが助かるので、どうにかあいづちを打つ。
「秋の空って澄んでてきれいで、広くて、高い。そんな気がしますけど」
なんとかとなりを見ると、先輩は斜め上の開けた空を見つつ、尋ねてきた。
「天高く馬肥ゆる秋という言葉があるように、秋の空が高く見えるのは、どうしてか、ご存知ですか」
そういえば、どうしてだろう。
中学の理科で少し触れたような気もするけれど、苦手だからといって深入りを避けていたのがこういうとき恨めしい。
「夏には積乱雲のような低い雲が発生します。でも秋にはそれがないゆえに、高く見える」
あぁそうだ。たしか、そんな話をきいた。
夏の積乱雲は、夕立とかを起こすんだっけ。
必死で記憶をかき集めていると、ふいに耳元で、一段低くなった声がした。
「雷雨で邪魔をしようとする積乱雲は低い次元に浮かぶ。余分なものは見なくていいんです」
身をかたむける彼の影が、膝の上にかかって、一瞬息を止める。
もしかして今ものすごく近い?
わけもなく心臓の音が早くなる。
でも、影があたしを覆っていたのは、一瞬だった。
明るくなった視界には、曇りのない、笑顔。
「いつかほんとうに天に届く理想は、純度が高いとオレは思います。純粋で、混じりけがなくて、むしろ、子どもの描くものに近いんですよ」
きっと大事なものなのでしょうと、囁かれた声と視線で、あたしは教室から進路希望 調査を握り締めたままだったことに、はじめて気づく。
「失くさないでくださいね」
待夜先輩がそう言った、きっとそれは、この紙のことではなくて。
「――はい」
それでも、あたしは将来を唯一具体化したものであるその一枚を、そっと持ち直した。
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