2. 彼は吸恋鬼
「待夜先輩っていったいなんなんですか?」
保健室に向かう途中、さっそくあたしは彼を問い詰めた。
「体操選手なみにジャンプして、あたしを受け止めて。それも、みんなのあいだでは運動場で受け止めたってことになってるし。いったいどうして」
待夜先輩は、ふっとそのきれいな瞳を斜め下にそらしつつ、どこかけだるげに答える。
「やむを得ませんね」
ヴァイオレットグレイの瞳がまた、廊下の窓からの陽光を反射して紫に光った。
「杏さんには、協力をお願いしているわけですし、今回は非常時だったということで、特別に打ち明けます」
そして。
かすかに弧を描いた彼の口元から、囁くような声をきいた。
「
「らば……?」
ほわっとらんげーじ、あーゆーすぴーきんぐ。
つまり、何語?
激しく混乱するあたしに、ラヴァンパイアと、彼はもう一度ゆっくりと発音する。
「ヴァンパイアならご存知でしょうか」
ふいに我に返り、こくこくとうなずく。
「は、はい、ご存知ですが」
敬語を誤用してしまったのは決してわざとではない。
そのくらい唐突なワードだと思う。
ヴァンパイアって、吸血鬼だよね? 黒いマントとか着てて、キバとかあって、人の血を吸う。
「そのヴァンパイアと同じ祖先を持つ、ラヴァンパイアという種族がいます」
へー。そうなんですか。
先輩は怪談とかよく読むんでしょうか。
「吸うのは血ではなく、恋心。自分に恋する誰かの気持ちを主食とする妖怪です」
あはは。ちょっとおもしろい。
ラブストーリーつきの怪談ができそうな設定ですね。
そんな妖怪がいたとしたら、イケメンで、それも、かなりの女たらしなんじゃ?
「現代では人間に紛れて生活している者もいます」
まぁそれは、お約束な設定でしょうな。
「――このオレのように」
……わっつ?
思わず英語の疑問詞を口に出しそうになりながら、先輩を見つめる。
物憂げに細められたその瞳はどこか寂しげで、とても、またまたぁとか言える空気ではない。
「つまり。待夜先輩が、その、ラヴァンパイア、だと……?」
確認すると、彼はふっと瞳の奥の寂しさを消した。
「はい」
今きいた設定の妖怪にしてはあまりに紳士的な笑顔が、あたしをとらえる。
「そういうわけで、杏さん。よろしくお願いしますね、オレの栄養源」
でも、長い人差し指で唇にふれてそう言うしぐさはその設定が納得なほど、艶めいている。
「定期的に補充しないとこの身体は弱り、果てには消えていく運命にあるんです。三カ月に一度必要になります。次回必要になるのは三カ月後」
「ちょちょ、ちょっと待ってください」
ひらひらとあたしはあわてて両手を振った。
「なんであたしなんですか?」
よりによって、地味で目立たない系女子の。
「待夜先輩だったら憧れてる女の子はすでにいっぱいいるし。その子たちのほうが手っ取り早いんじゃ」
相変わらず颯爽と歩きながら、待夜先輩はあっさりと言った。
「それは非常食用です」
「は?」
やばい、今度は素で声に出してしまった。
ゆっくりと再び顔をこちらに向けると、立てた人差し指を口元にあてて。
「頼まなくても好きになってくれる子の恋心は、非常時にとっておかないともったいないじゃないですか。だから。気力、体力に余裕のある今のうちに、じっくり耕しておきたいんです」
どこか茶目っ気のあるしぐさで、ウインクする。
その瞬間、断定した。
この人(いや、妖怪?)。
ほんもののたらしだ――!
ということは。
「今までも、たくさんの女の子の恋心を食べてきたってことですか? その、き、き……」
キスして、とは言えなかった。
完璧な笑顔で、先輩は言う。
「はい」
いや、そう堂々と答えられても。
あんまりなことに脳がしばし停止状態になって。
こんなときにかぎって、どうでもいい疑問がわいてくる。
「食べちゃったら、恋心はなくなっちゃうんですよね」
「えぇ」
先輩はとうぜんのようにうなずいているけど、それはちょっと、悲しいような。
「栄養のためといえども、女の子の気持ちを食べちゃうなんて……その、罪悪感とかは、わかないんでしょうか」
先輩はきれいに微笑んだ。
「まったく」
口元は微笑んだまま、そこか冷めた瞳で、彼は続けた。
「恋心はオレたち一族にとっては生きるのに必須の栄養源ですが、しかしそもそも、恋などというものは人間にとっては極めて非生産的で、無価値で、無意味な存在です」
目が点になる。
そ、そうなのか??
恋ってそこまでボロカスに言うほど悪いものなんだろうか?
「そんなものにかまけているから、人は時間を浪費し、果ては身体まで消耗する。違いますか?」
笑顔でそう言われても。
えぇっと。
「すみません。恋愛未経験の身としては、よくわからないんですが」
でも、たしかによく言うよね。恋するとその人のことが気になって、何も手につかなくなるとか。
失恋なんかしちゃった日には、食べるものも喉を通らなくなってごっそり痩せちゃう、とか。
恋に関する薄くて少ない脳内の知識をぶつぶつ反復していると、先輩は瞳を細めて頷いた。
「そういった害悪を、かよわき女性から、オレたちはとりのぞいてさしあげているのです。一体、何が問題だと?」
ふんふん。なるほどそれは慈善事業。
って、なるか!
たしかに、恋ゆえに人は苦しむこともあるのだろう。
けど。
「なんか、そうやって開き直るのは、ちょいとちがくないですか?」
そりゃああたしは恋とかよくわかんないけど。けれども。
「想像するに、恋する乙女って、『この気持ちをいつまでも大事にしたい』って思ってるもんじゃないんですか」
いやあたし今なんか恥ずかしいこと言った?
とか思っていると先輩は優しげにくすりと笑った。
「その種の恋は、まだ恋を知らない女性が見る夢の中にあるものです」
むか。
悪かったすね、まだ恋を知らない女子で。
「彼女たちがオレを好きなのも、しょせんこちらの人望やステータスを利用しているだけ。心から好きなわけではないんです」
いや、そんな。そういうケースもあるかもしれないが、そこ断言する?
「彼女たちにそれらを提供する代わりに、オレは栄養をもらう。ギブアンドテイクですよ」
あんぐりと口を開ける。
なんともわりきった……いや、わりきりすぎた考えだ。
でも、そうすると。
「先輩がその女の子のこと、好きになっちゃうこととか、なかったんですか?」
そう言うと、待夜先輩はふっと笑った。
「おもしろいことをおっしゃるんですね。杏さんは」
ふいにかしげられたその髪のウェーブから、夜露のようなさわやかな香りをただよわせ、そしてまたとうぜんのことのように言った。
「そんなことは万に一つもありえません。オレにとって女性は利用対象以前の捕食対象でしかありませんから」
ん?
蠱惑的な笑顔で、なんか最低なこと言ってる? この人?
なんかやっぱちょっと腹が立つ。
「そんなこと、わからないじゃないですか」
「ないといったらありません」
譲らないその笑顔がさらになんだかしゃくにさわって、挑戦的に言ってしまう。
「だったら。もし待夜先輩が誰かを好きになったら、そのときはどうしてくれますか?」
優しい先輩と思っていたら思わぬ最低男。
その男に神はかくも美しい外見を与えた。
ならば、この世界のどこかに、恋愛をなめている彼を堕とす女の子くらいいてほしかった。
あたしのささやかな挑戦に対しても、余裕そうに微笑んでいるこの人を。
「そうですね」
楽し気に考えるしぐさをしてから、彼は言った。
「そのときは、その人に、この世で一番美しいものをプレゼントします。オレの魔力のすべてとひきかえにしてでも」
さし出された答えに、ひそかにほくそえむ。
ほほう、大きく出たもんだ。
あいもかわらぬ涼しげな顔を横目で見ながら、彼を落としてくれる人が現れたら、どんなダイヤモンドを要求して一泡吹かせてやろうかと、あたしはしばし一人妄想して楽しんだ。
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