第6話 母親とは
翌朝、真鈴は母に黙って家を出てきた。朝食時はさすがに『いただきます』と『ごちそうさま』は言ったが、それ以外はずっと無言だ。
真鈴の機嫌が悪いことに気づいていたのか、母も何も喋ってこなかった。やはり母にとって自分はその程度だ。
井戸の側にある獣道を進んだ先が貯水池だ。その貯水池の手前にフューリは立っていた。
「……お母さんは?」
フューリは遠慮がちに訊いてくる。
「黙って出てきた……」
「…………」
真鈴の答えにフューリは何も答えない。昨日と同様、返事に悩んでいるようだった。
「……もう何も言わないけど、後悔、するなよ?」
かなり間をおいて、それだけ答えてきた。
「しないわよ。由里を助けてくれたあんたに協力するのは私の意思よ。母さんは関係ないわ」
「そうじゃない。お母さんと話をしないままオレ達の世界に行くことを言ってるんだよ」
フューリの口調には悲しさが感じられた。
「後悔なんかしないって言ってるでしょ! 母さんなんてっ……!」
言いかけてフューリに口を塞がれた。その手に僅かに力がこもっていて、真鈴は少しだけ恐怖を感じたが、すぐに手の力は抜けていった。フューリの顔を見ると、その視線は真鈴の背後に向けられている。
フューリの手を解いて背後を振り返ると、理羅がそこに立っていた。側には由里もいる。
「母さん!? 由里!? 何で……?」
「当然でしょう?」
母は小さく微笑んだ。
「たった一人の娘の旅立ちに立ち合わない母親なんて、母親失格でしょ?」
母はゆっくりとした口調で答えながら弁当箱を差し出してきた。
「いらなかったら捨ててね」
真鈴は母を見た。いつもと変わらない笑顔。
何故このタイミングで弁当を用意できるのだ。今日は日曜日だ。材料なんて買ってなかったはずだ。
「真鈴が部屋に行った後ね、おばさん、買い物に行ったの。暗くなりかけてたから、こんな時間に? って訊いたら『明日のお弁当のおかず買ってこなきゃ』って……」
由里の説明に真鈴は何も答えることができなかった。俯いて弁当箱を見つめていると、自然と涙が出てきた。
母の気持ちを理解した。
母は、常に真鈴のことを最優先にしてきた。真鈴が熱を出して寝込んだ時も、家事を全くしないで真鈴の看病をしてくれた。我儘も聞いてくれた。それらは母にとってストレスでも何でもなかったのだ。
自分の娘のためにしたいことをやっていただけなのだ。娘が一日でも早く元気になるのなら、家事などどうでもいい。
真鈴は弁当箱と母の笑顔を見て、ようやく理解した。
「……ご、ごめんなさい……!」
真鈴は涙を拭うこともせずに泣き続けた。
「お母さんは気にしてなんかいないわ。言葉が足らなかったお母さんも悪いからね」
理羅はハンカチで真鈴の涙を拭ってくれる。
「……え……?」
「あなたのその力は生まれつきのもの。一生付き合っていかなきゃいけないわ」
母はハンカチを真鈴に握らせてから続けた。
「長い人生の中では、その力を理解して受け入れてくれる人より、気味悪がる人のほうが多い……」
母は言葉を切った。目を伏せて俯いている。
「だからこそ、子供のうちからコントロールする術や耐える力をつけさせたかったのよ」
母は間を空けて言った。
だからこそ母は、真鈴が力のことで相談しても『耐えるしかない』と言ったのだ。
今思うと、かなり無理があったように思うが。だが、この力が生まれつきで真鈴が日本人でないのなら、日本での考え方であれこれ文句を言っても、通用しないということなのだ。
「そ、そんなの……言ってくれなきゃわかんないわよ……!」
「ええ……、本当にごめんね……」
母は真鈴の頭を撫でた。
「よし!」
真鈴は気持ちを切り替えるため、大きな声で気合を入れた。
「フューリ、行きましょう!」
「ああ!」
真鈴とフューリは貯水池を囲っている柵を乗り越えた。
「真鈴、気をつけてね」
「ええ、ありがとう」
真鈴は由里に笑って答えた。
「真鈴、手を……」
フューリが自身の手を差し出してきた。
「え、手繋ぐの?」
「はぐれたら困る」
フューリの顔はどことなく赤い。もしかしたら真鈴も赤くなっているかもしれない。今まで男の子と手を繋いだことがないのだ。
「わ、わかった……」
真鈴はぎこちない動作でフューリの手を握った。
最初に腕を掴まれた時にも思ったが、やはり大きな手だ。それにマメがあるのもわかる。あの化け物に臆することなく挑めるのだ。戦闘訓練を受けているのだろう。
(私は、役に立てるのかな……)
フューリの横顔を見つめながら真鈴は思った。
ふとフューリと目が合った。
「行くぞ」
彼が真鈴の手を強く握り返してきた。
「ええ!」
真鈴は笑顔で返した。
正直に言えば不安はある。だが、フューリが真鈴のことを信じて助けを求めてきたのなら、真鈴も彼のことを信じるだけだ。
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