一、五月女孝



こちらの世界の商店街の朝は、非常に賑やかで、いつものように店内に居ると、そのギャップに気が滅入ってくる。



いつ戻るかも分からない世界で、できることがどれほどあるのかわからないが、せめて無駄遣いしないよう、私とケイは早々に学校に向かうことにした。



しかし、孝がこないだのように、登校時間に、店に顔を出すことがあるかもしれないと、八時までは、待った。



 「来ないな。」



時計の針が八を過ぎた所で、ケイがカウンターから呟き、私も頷くだけで返事をする。



それが合図だったかのように、ケイは立ち上がった。


出で立ちは、ラフなTシャツと短パンだ。



 「その格好で、怪しまれないか?」

 「確かに。」



私達は思いつきで行動してしまっているが、こんな白昼堂々と体育館に捜し物をすることが許されるのだろうか。






「制服とか、どっかから調達してきて、変装してから行った方が良いかな?」




何やらケイが楽しそうに言うが、それでは完全に犯罪者ではないか。


同意しかねる。




「・・・いや、ここは逆に正攻法でいったらどうだろう。」

「正攻法?」




不思議そうに問うケイに、私は力強く頷いた。







―午前八時四十分。




「社体の方?」



ワイシャツにネクタイ、指サックを嵌める、眼鏡を掛けた男性が、窓ガラス一枚隔てた向こうで、訊き返す。




「あ、はい。そうなんです。いつもお世話になってます。」




ケイは、結局さっきよりちょっとマシなシャツとパーカーに着替えただけの姿でにへらっと胡散臭い笑みを浮かべる。



私はその足元―ちょうど事務員からは見えない位置―でその様子を見ていた。



授業はもう始まっているのか、廊下も、ここから見える昇降口も、静まり返っている。





「それで―落し物、ですか?」





忙しい時間に、面倒な来客。


そして怪しい。


そう思われていることは重々承知しているが、ここまできたら後には退けない。


そしたら益々怪しいからだ。




「そうなんです。」




人間嫌いのケイは、かろうじて逃げずに踏みとどまりつつ、今言ったばかりの台詞をもう一度繰り返す。




「体育館で、時計を失くしてしまったみたいで・・・捜させて欲しいんですけど。」



事務員はうーん、と難しい顔をした。



 「今の時間帯は、子供たちが使用してしまっているので、許可することはできないんです。時計の特徴とか、教えてもらえれば見ておきますけど。」



 「そうなんですか…えっと・・・オメガのシーマスターなんですけど…」




落胆の色を隠せないケイがそう言うと。




 「え?そんな高価な時計なんですか?てっきり、キャラクター物とかなんだと思ってた。因みに落とされたのはいつですか?昨晩とか?」




事務員の顔色は明らかに変わって、急に親身になってくる。



 「それが、結構前なんです。四月位かなぁ。」



かなぁ、というのは、孝が失くした詳細を話していないから、だ。


ケイが越してきたのが、四月の初め。


そして今は五月を過ぎた所だ。



時は違えど、こちらと向こうの季節は同じようだった。



そして、三月に時計を母の元から見つけたという孝の話から考えると、ケイの答えは、無難だと思う。





「かなぁって・・・いやいや、だったら有り得ないですよ。そんなの。」



事務員は呆れたように溜め息を吐いた後で、大きく手を横に振った。

 


「有り得ない?どういうことですか?」




ケイが訊ねると、事務員は窓口から身を乗り出して、今私達が入ってきた正面玄関の天井を指差した。



 「ほら、あれ、警備会社のマークです。ここは、侵入者があると直ぐに警備員が駆け付けてくれるようになってるんです。そしてこれと同じものが、体育館にもある。ここは体育館が3つありますが、そのどれにも必ず付いています。それに、社体の方が帰った後も、学校の守衛の方が、もう一度見回ってくれているので、そんな高価な物が落ちていたら、届いている筈です。昨晩とかだったら、まだかもしれないですが、そんな前だったら・・・別の場所で落とされた可能性の方が高いと思いますよ。」





成程。


ここまで言われてしまうと、体育館にある可能性は、非常に薄い気がしてきた。




 「そうですか・・・」


 「・・・・なんか、随分前にも、体育館で時計を落としたっていう問い合わせがあったような気がしますね・・・ええと、確かここの生徒だったような・・・」



 「わかりました!ありがとうございました!別の場所を捜してみます。」 




事務員が余計なことを思い出し掛けた所で、ケイと私は脱兎のごとく、玄関から出て行った。



その生徒は十中八九、いや十中十、孝だろう。





校門辺りまで来ると、チャイムが鳴り、私とケイは足を止めた。


 「次は三時間目位か?」



呟いて振り返った先、初等部、つまり孝と同じ制服の子達がちらほらとランドセルを背負って現れ始める。




「早帰り、なんじゃないか。何のせいかは知らないが」


「じゃ、そろそろ孝も来るかな?」




ケイは待ってるか、と言って、段々増えていく子供達の波を避けるように、門の隅に寄る。


確かに孝には訊かなければならないことが沢山ある。



だが、待てど暮らせど、孝は通らない。



 「ねぇ、五月女孝ってまだ中に居る?」




とりあえず、最初よりもずっとまばらになってきた子供達の群れに呼びかけるが、警戒心の強い子供達は、ちらっとケイに目をやるだけで、答えないまま、素通りしていく。


思い切り不審者。この反応は致し方ないと思う。正常だ。




 「さーおーとーめーこーうー!!」



仕方なく叫んで呼びだすケイ。



さっきの事務員とかが気付いたら、間違いなく通報されるだろう。


時間の問題だ。


そろそろ諦めなくては。



 「・・・・あのぅ」







じろじろと見られるケイに、近寄っておずおずと声を掛けてきた小太りの少年は、確か先程前を通り過ぎて行った子だ。



再び戻ってきてくれたのだろう。



 「あっ、五月女・・・」

 「五月女君はお休みです。」



ケイが訊く前に、即答の小太り少年。




「え、あ、そうなの?」



背丈は孝よりもずっと高く、同じ学年には見えない。



 「そうだよ、あいつ具合が悪いみたい。」



小太り少年を皮切りに、周囲に居た子たちも口々に答えだす。

 


「結構ちょくちょく休むよ。あいつ、父親も具合悪いのにな。」

「父親・・・」




何故かそこでケイが言葉に詰まった。



「ケイ。こいつらに、全員同じクラスなのかどうか訊いてくれ。」



どの子も皆、孝よりも身体つきがしっかりしていて、大きい。



私は不思議に思って、固まっているケイに頼んだ。


するとケイもはっとしたようになって、漸く再び口を開く。




 「皆同じクラスなのか?」 



ケイが私が言った通りに訊ねると、いつの間にか囲むようにして寄ってきていた五人は、皆揃って頷いた。
















「時計なんか、本当にあったのかな。」





帰り道。




ちょうど公園を抜けて、商店街入り口に差し掛かった頃。


ケイがぽつ、と呟く。


相変わらず店々は人でごった返し、活気に満ち溢れていた。




 「どういうことだ?」




歩くのに疲れた私は、ケイのパーカーの中に入れてもらい、首の辺りから顔を出し、彼を見上げた。




 「いやさ、孝を疑うわけじゃないけど、やけにはっきりとシーマスターって覚えてたじゃんか。手にとって見たことがあったのかな。つーか、母親が体育館捜してたっていうのも、本当かな。そもそもさ、そんな高価な時計を体育館なんかになんで持って来るんだよ?それとも孝は、母親の相手が、同級生の親とか、学校の先生なんじゃないかと疑ってるのかな。」





ケイ思う疑問は尤もだ。


さっきの事務員が言っていた通り、あれだけ徹底して守られているのであれば、もしも落としたのだとしても、それは事務室に届いているに違いないのだ。



 「孝の父親はこの状況をどう思ってるんだろう?」



私がなんともなしにそう言うと、ケイが一瞬黙った。






「ケイ?」



 「あ、ごめん。どうだろうな。」



言いつつケイが写真を取り出し、歩きながらそれを見つめる。 



 「推理からすれば時間が違う筈なのに、写真には消えずに映ったままだ。」


四年生には見えないよなぁ、と器用に人混みを避けつつ、歩き続けるケイ。





 「五月女孝って、本当にいるのかな。」



 「急にどうした?いるから、こうなってるんだろう。現に小学校の子供達も知っていたし、孝が偽名を使う理由がない。」



 「そうかなぁ。」




やけにケイは、五月女孝について引っかかっている。そこへ―




「あっ」




しまったと言う声に続き、ひらり、ケイの手から写真が落ちる。


ひらひらひらひら、纐纈しおりから預かったバスケの集合写真が舞う。



 「あれ、落ちましたよ。」

 「すみません、ありがと・・・」




タイミングよく拾ってくれた男性に礼を言った所で、ケイが停止した。






「あ、豆腐屋の親父だ」





その心情をいち早く代弁する私。



人の良さそうな顔で、道に落っこちた写真を差し出しているのは、紛れもなく、ケイが引っ越してきた際、じじぃ呼ばわりした、元豆腐屋の禄三郎だった。



ただし、今は非常に若いが。



―ここまで来てたのか。




周囲を見渡し、いつの間にか豆腐屋の店の前にいたことに気付く。アスファルトの道路には水が撒かれている。




「兄ちゃんもバスケットするのかい?」



私には気付かないまま、にこにこと笑いかける禄三郎。



 「あ、いえ。僕じゃなくて・・・これは友達のです。」



ケイは、差し出された写真を受け取りながら、かろうじて答える。



―兄ちゃん、も?




私は禄三郎の言い回しが気になって、つい、口を挟んだ。




 「ケイ。孝は通学の際、この商店街を通っているんだ。もしかしたら知ってるかもしれない。見たことが無いか訊いてみたらどうだ?」




 「あれ、猫だ。随分慣れているんだね。」



 「あの」

私がにゃーにゃー鳴いたように聞こえたのだろう、話題がズレ始めているのを、ケイが頑張って食い止める。






「この子、知っていますか?」





ケイが指差した先には、写真に写る孝がいる筈だ。



私の位置からは見えない。



しかし禄三郎の更に和らいだ表情は、見逃さなかった。


「知ってるも何も!孝坊だろ?」

「―え?」


思ってもみない即答に、ケイはきょとんとする。


私も多分に漏れず。



更に続く言葉に、愕然とする。



「孝坊は、そこの時計屋の孫だよ!」

「は?」

「あ、いっけねぇ。それ内緒だったんだ。孝坊は知らない筈だから。あそこの娘は学生結婚でよ。親に大反対を受けて、勘当同然で家を飛び出したらしい。早い話が、駆け落ちってことだよな。」



内緒と言う割には、ぺらぺらと教えてくれる豆腐屋。



「比野さんもさ、最初はあれだったけど、孫が生まれるとやっぱり変わるっていうのは 本当なんだね。子供は大人のしがらみをいとも容易く解いてくれちゃうよなぁ。」



しみじみと言ってから、豆腐屋はうんうんと自分で頷く。





「まぁ、親子の仲が完璧に元通りってことはないけど、最近娘さん来てるみたい。けど、比野さんは孝にじーちゃんだって言わなくていいって言ってるみたいよ。孝は知らないながらもここ通るとよく話しかけられてるから、なんだろうとは思ってるだろうけどね。」 



 「ここの・・じーさんが?」




禄三郎に聞こえない位の大きさで、呟いたケイの声には、困惑の色が広がっていた。

 

その夜。




いつもの定位置でそれぞれが横になる時になっても、ケイの動揺は治まらなかった。


豆腐屋の話からの収穫はあったが、逆に深まった謎に、仮説を立てようにも、ケイが上の空な為に、叶わない。




「・・・どうしたんだ、ケイ。」




痺れを切らした私は、窓際からソファに飛び乗り、思い切ってケイに訊ねてみた。



それでも暫くは沈黙していたが、やがてケイが私と目を合わせた。



 「N.n、俺さ・・・」



口を開いたものの、話すかどうか迷っているようなケイ。


私はそんな彼の、続く言葉を辛抱強く待った。



窓の外はもう真っ暗だ。




 「自分を捜しに、ここに来たんだ。」



数分後、ケイはそう呟いた。








「・・・どういうことだ?」





問えば、ケイは、私から、ふと目を逸らした。





「俺さ、記憶がないんだよ。子供の頃の。なんつーか、ちょうど小学校の四年辺りまで。五、六年からはあるんだよな。」




いわゆる記憶喪失って奴?と自嘲気味に笑うケイ。




 「抜け落ちてる、というよりは、母親と一緒に過ごした期間の記憶がごっそりないんだよ。俺の両親はどっちも早いうちに死んじゃっててさ、俺は親戚の家に引き取られて、育った。だけど、父親が病気で死んだのはわかってるんだけど、母親が何で死んだのかがわからないんだ。そして親戚の誰も教えてくれない。固く口を閉ざしてる。俺が何したんだよって孤立して、結局親戚とも上手く行かなくて、家を飛び出したんだ。」




―まさか。







私は、ケイ話に耳を傾けながら、ある考えが頭の中を過ぎり、何とか振り払おうとした。





 「本当に全然ないんだ。この街も、学校も覚えてない。この店のことも、バスケのことも・・・」




ケイが紡ぐ言葉を聞き、私の中の予想が確信に変わっていく。




 「ケイ、君は―」




言いかけると、ケイが再び私と視線を交わらせた。




 「そうだよ、N.n。お前は賢いね。」



笑顔とも取れない、泣いているでもない、複雑な表情で、ケイははっきりと言った。



 「俺は、五月女孝だ。」




雲の隙間から覗く月灯りが、窓際へと注がれる。




 「五月女孝って、何者なんだろうな。」



他人事のように、ケイが呟くと同時に、月は雲に隠れた。

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