一、潜入
午後六時。
「でか。」
私とケイは、孝の小学校の門の前で、足を止めた。
高校までエスカレーター式の名門私立校の校舎は五階建となっており、敷地も広かった。
夕刻とはいえ、五月半ばの今、日は大分長くなっていて、その全容がはっきりと見て取れる。
打ちっぱなしの壁は、学校と呼ぶには近代的過ぎる気がした。
奥に立つのが、中等部、高等部の校舎だろうか。
「・・・その格好で恥ずかしくないのか。」
私の隣であんぐりと口を開けているケイは、半袖に短パン姿で、膝にはサポーターを装着している。
手首にはリストバンド。
パッと見た所では、中学生位に見えなくも無い。
「触れないでくれ。仕方ないだろ、他に方法が思いつかないんだから。」
ケイはうんざりした表情で、はぁと重い溜め息を吐いた。
何故、こんなことになっているかというと、先刻、孝が提案した、『体育館の入り方』に基づいて行動しているからだ。
つまり、こうである。
孝の学校の体育館は、毎日、社会体育という地域主体の活動に貸し出されている、と。
だから、もし一般の人間が体育館に自由に出入りしたいのなら、この社会体育、略して社体を利用すれば良い。
孝はそう言ったのだ。
「バスケなんか・・・俺できっかな。」
今晩体育館を借りている団体はバスケットボール。
なんでも小中学生が対象のようで、常時選手の募集をかけている。
それでケイは中学生に扮装して、潜り込もうとしているのだ。
「出来なくて良いはずだ。むしろ捜すのなら、大人しく見学者を装って居る方が得策だろう。」
門は開かれていて、歩き出すケイの横を、私も付いて歩く。
当初は私もさらさら協力するつもりはなかったのだが、一緒に来てくれたらモンプチのおやつを買ってくれるという条件につられてしまった。
所詮、私も放浪の猫である。
「ってかさ、体育館に落ちてたら、誰か拾うと思わねぇか?孝の母親が失くしたらしい日からもう一週間も経ってる。」
歩きながら、暫くケイはぶつぶつと推理しているようだが、体育館の照明が窓から見える所まで来ると、話題が変わった。
「N.nの言葉がわかるのは、俺だけなのかな。」
しっかり刈り込まれた芝生が、ちくちくと肌を刺す。
「今の所は、どうも、そうらしいな。孝は私の言葉を理解できないようだ。」
孝と初めて会った時から、ケイと私は、薄々その事実を認識していた。
が、口に出してわざわざ確認はしていなかった。
「だとすれば、体育館で話していても、大丈夫だよな。小声なら。」
「かもしれないが、私は入れないだろう。嫌がる人間も多い。」
「あ、そうか。」
こんなやりとりをしている間に、立派な体育館の入り口に着く。
陽はほぼ落ちていた。
「じゃ、私は外回りを見てみる。終わったら―」
言いながら私はぐるりと周囲を見回し、ちょうど隠れるのに良さそうな場所を探した。
「その、靴箱の陰にでも隠れてる。」
柔剣道場も兼ね備えている体育館の靴箱は、入り口側に面しており、中の光によって文字通り陰となっていたので、身を隠すのは簡単そうだった。
「わかった。」
ケイは緊張した面持ちで、小さく頷き、靴を履き替えて中へのスライドドアを開けた。
私はそこまで見届けた所で、身を翻して、体育館の外を歩く。
夜目が利くため、昼間の様に物を見ることが出来るが。
「あらー、新しい人?」
窓が開け放たれていたらしく、体育館の中の声が、まる聞こえだ。
少し驚いたが、抜き足差し足で、壁の下の光漏れる小窓から、中を覗く。
―あれ。
声を掛けた人物と、ケイを取り巻く女性達を見て、私は首を傾げた。
確か今日はバスケ、と孝は言っていた筈ではなかったか。
なのに、今居るのは―
「大丈夫大丈夫!男の子でも大歓迎!でもちょっと服装が違うかしらねー?」
ピンクのお揃いのシャツを着る、いわゆる、ママさんバレーという奴だろうか。
コートの真ん中には、白いネットが張ってあるし、持っているボールも、白い。
「すいません、間違えです・・・」
ケイは明らかに浮いた姿で、消え入りそうな声を出している。
しかし、ママさん達は特有の強引さで、ぐいぐいとケイを引っ張り込んでいる。
「いや、違うんです・・・俺は、バスケットを・・・」
謀られた。
孝に。
ケイの表情には、苦々しい思いが浮き出ている。
私はこの光景を半笑いで見つめつつ、孝の目的も、ケイの目的もわからない、と頭の隅で考えていた。
孝は何を根拠に、母親を疑うのか。
一緒に考えくれる大人は傍にいないのか。
父親は頼りにならないのか。
そして、この間違えた情報提供。
大した事ではないが、母親の事で頭がいっぱいなのだとしたら、こんな悪戯を思い付く余裕があるだろうか。
いや、もしかしたら純粋に間違えただけなのかもしれないが、そんな間違いをしそうにもないのが、孝という少年だった。
そしてケイだ。
ケイのスイッチはどこでどのように入ったのだろう。
人間嫌いなのにここまでするとは。
おまけに一体自分はどうしたのだろう。
―厄介なことに巻き込まれた気がする。
目まぐるしい一日で、自覚していなかった憂鬱な気分を振り払うように、顔を上げれば、空にはいつの間にか月が顔を出していた。
小学校からの帰り道。
「収穫は全くなかった。つうか、捜せないし、絶対ないよ、あんな所に。クソガキが、騙しやがった。本気にするんじゃなかったな。」
ケイは疲弊しきった顔で、内出血を起こした腕をぶらぶらさせながら、ぶつぶつと文句を言っている。
時刻は大体八時、いや九時辺りだろうか。
「孝が嘘を付いていたと?」
地面が草むらからアスファルトに変わった所で、そう訊ねると、ケイはうん、と頷く。
私自身も、体育館の周囲を見回ってみたが、それらしいものはなく、あるとも思えなかった。
そもそも初めにケイが言ったように、それほど高価な時計が落ちていて、人の目に触れないということ自体が、妙にひっかかるのだ。
それも、これほど管理されている場所で、だ。
「おかしいと思った。これ、悪戯だよ。あいつの名前だっておかしいんだから。」
「名前が?」
間髪容れずに訊くと、ケイは一瞬黙る。
「あ、いや。ほら、五月女ってなんか嘘っぽいっていうか・・・変だろ。きっと名前も偽名使ってるんだよ。」
そうか?と同意は出来なかったが、別段気にもならなかったので、それ以上はつっこまないことにする。
「大体、内容も不明瞭なことが多過ぎるんだよ。まずなんで、男物の時計があったからって、母親の浮気疑うんだよ。あんなチビがさ。しかも十年前のモデルってなんでわかんのかね。」
ケイの言う通り、疑問点は最初から大いにあった。しかし―
「やめるのか。」
街灯立ち並ぶ夜道。
頭に両手を当てながら、ぶつくさ愚痴るケイの後ろ姿に問うた。
「・・・・」
返事は直ぐにはない。
代わりに、ケイは足を止める。
「元々、『今』がおかしいのは最初からわかっていたことだろう。孝が嘘を吐いていようがいまいが、あの子は何かの鍵を握っているかもしれない。」
私は敢えて、立ち止まるケイに追いつこうとはしなかった。
少しの静寂の後、ケイは一歩を踏み出しながら。
「また、来るかな、あいつ。」
誰にでもなく、呟いた。
「来るさ。恐らく。」
私も、歩き出しながら、呟いた。
確信みたいなものがあった。
孝はまた来ると。
そうでなければ、始まったものは終わらない筈だから。
「あーあー、今日の夕飯何にするかなぁ。」
ぼやくケイに、私は約束のモンプチを催促をする。
わかった、わかった、と言って、ケイは途中コンビニに寄って、約束を果たしてくれ、ケイも軽く夕飯を済ませ、時計店に帰った頃には、もう大分良い時間になっていた。
賑やかだった商店街は寝静まり、私は窓際へ行き、ケイはいつもの寝袋ではなく、ソファにどっかと仰向けに寝そべった。
「なんか疲れたなぁ・・・」
天井を見つめながら、ケイが漏らした意見に、私も激しく同意。
ちょうど良い具合の姿勢になると、直ぐに睡魔が襲ってくる。
大体猫は、こんなに長時間起きていることが珍しいのだ。
もっと労われと言いたい。
「・・そういやさ、ママさんバレーのひとりが、変なこと言ってた。」
ケイが何やら話しかけてきているようだが、無理だ。瞼が落ちてくる。
「『君、迷ったんだね』って・・・なんの、こと、やら・・・」
途切れ途切れ、ケイが紡ぐ言葉を子守唄に、私は深い眠りへと落ちて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます