一、ゼンマイの行方
餌をくれる別宅なら幾らでもあった私は、ほぼ、家に帰らない日々を送った。
ケイは着ている服も三パターン位しかないし、 裕福でもなさそうで、食べているものも、カップ麺や冷凍食品、コンビニ弁当ばかりで、一緒に居るメリットを何一つ感じない。
それでも、午前のあの窓際の陽だまりは、しょっちゅう恋しくなる。
その恋しさが募ってたまらなくなると、私は仕方なくケイの元へと帰った。
そもそも、ケイもずっと店の中に居る訳ではない。
買い出しや、所用で留守にする事は結構な確率であった。
だがそれは決まって午後で、寝起きする時間帯には戻っているようだった。
その為、私が日向ぼっこ目的で帰るとなると、ケイと必ず顔を合わす羽目になってしまう。
ああ嫌だと憂鬱になりながらも、脳裏に浮かぶお日様スポットに想いを馳せれば、不思議と元気が湧いてくる。
自分自身でも機嫌が良いのか悪いのか分からない調子で、元時計店へと向かうのだ。
ケイがやってきて、二週間が経とうとしていたある日も、そんな調子で私は古巣に顔を出した。
商店街の年寄り連中はとっくに活動を始めているが、ケイはまだ眠る、午前七時。
寝袋にくるまって、寝息を立てているケイを横目に、私は躊躇なく窓際のみを目指した。
まるでスポットライトが照らすステージの如く輝く窓辺の特等席!
すぐさま飛び乗って、ごろごろと幸福を噛み締めた。
「んー・・・」
警戒心を緩め、転寝し始めてから数十分。耳が下からの不穏な動きを察知。身体は起こさず、耳だけを動かして、敵の、いやケイの行動の続きを追った。
「うあ、、朝かぁ・・・眩しいな・・」
カーテンのない窓から射し込む日光の眩しさに、寝惚けた目を開けることができないようだ。
言わせて貰うなら、日の出はとっくのとうに始まっていて、今更眩しいも何もないと思う。
「・・・はっ、寝ちゃダメなんだった。今日こそ見つけないと!」
数秒寝てしまったに違いないケイは、突然そう言うと、慌てたようにがばっと起き上がった。
「あ!N.n!帰って来てたのか!」
飛び起きた拍子、視界に入ったのが、ちょうど私だったようで。
他に何も無いのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、私としては非常に厄介だった。
「おー、よしよし。今日も、ふわふわだなぁ」
出た。
近頃の私の苛々の原因となる最たる行為。
猫アレルギーで人嫌いの癖に、ケイはやたら触りたがる。
それを私は許したくないのだが、ここまできてお日様とおさらばすることが出来ず、無心になってこの苦行に耐えた。
「さぁ、そろそろ始めるか。」
ひとしきり撫でまくって、満足気なケイは、私から漸く手を放すと、大きく伸びをした。
当然だが、この探偵のもとに客どころかお隣さんすら寄り付かなくなっていて、そんなケイに何かする事があるなんて、私には信じられなかった。
そもそも、全く探偵業をやりたそうに見えない。
一体この男は何をしに、枯れ果てたこの街にやってきたのだろう。
何かツテとか知り合いとかがなければ、こんな場所、選ぶメリットがない。
人間も、猫同様、メリットを重要視する傾向にある筈なのに。
「ここのどこかに在る筈なんだけどなぁ・・・」
不思議に思いながら、ケイを観察していると、ケイは何やら私の周囲をいじってみたり、窓枠に指を突っ込んでみたり、何かを探している素振りを見せている。
「やっぱり、ちょっとどいてね」
苛々を表わす為に、尻尾をふりふりと振ってみたのに、気付かなかったケイは、いつかのように私をひょいと抱き上げて、床に下ろした。
「怒らない、怒らない、N.n。」
フーと毛を逆立てて見せても効果ゼロ。こちらを見もせずに、何かを一生懸命探している。一体何を探しているんだろう?こんな何も無い所で。
「ないなぁ。どこに置いてあるんだろう。あのじいさん、まさか適当な事言ったんじゃないだろうな。」
うーん、腕組みをして考えるケイ。
部屋のあちこちに視線を走らせては、違うか、と小声で呟く。
「あー、もう。どこなんだよ。なぁ、N.n。お前知らない?」
急に話を振られ、油断していた私は、あっという間にケイに抱き上げられる。
何のことだ!そして気安く触るな!
「あの時計のゼンマイ巻く奴、どこにあるか、知らない?知らないよなぁー」
言いながらへにゃへにゃと脱力するケイ。
そのまま床に返された私は、首を傾げる。
巻き鍵?
あの時計の?
この男は、そんなものを欲しがっているのか?何故?
「あれがないと、始まらないらしいんだよ。」
半ば諦めたかのように、ケイは項垂れた。
あれがないと、始まらない?だとすれば、あれがないと終わらないのだろうか。
見つからない限り、ケイはずっとここに居座る気だろうか。
それは困る。
「―え?」
私は、落ち込んでいるケイの頭を尻尾で軽く叩く。
「何?」
ケイが見た所で、少し進んで振り返る。
「付いて来いって言ってんの?」
認めたくはないが、この青年、人間との会話に難があるせいか、意外と猫の言葉が伝わるらしい。
「まさか、な。」
いいや、そのまさかだ。
付いて来い。
私はまた歩を進め、ケイを見た。
半信半疑のようだったが、恐らくここに来てから今まで、長いこと、その巻き鍵を探してきたのだろう。
そして結局見つからず途方に暮れている。
そんなケイは、わらをも縋る思いで、私の後を追うことに決めたようだった。
看板時計の巻き鍵は、店の二階から一階へ下る階段の手摺のちょうど中間辺りに、小さな切込みがあって、そこを引き出すと入っている。
どうしてそれを知っているかと言うと、耳の大きな餌を追いかけていた時、何かの拍子で開いたらしいその引き出しの、小さな隙間に逃げ込まれたからだ。
餌を引っ掛けようと手を突っ込むと、更に開いた小箱から鈍い輝きを放った巻き鍵が見えた。
私はそんなもの興味はなかったから、獲物だけを捕獲して、そのままにしておいた。
私の目線からは、通る度に気付くが、人間であるケイの視線では、這い蹲るようにして見ないと、よくわからない位置にある。
そう、まるで隠されているかのように。
一段一段下りるごとに、付いてきているか振り返ると、ケイは本当に不思議そうな顔をして、後ろにいる。
狐につままれたような、というか。
いや、私は猫だが。
そして、その中に期待が見え隠れしている。
あの古ぼけた鍵を持った所で、この男が億万長者になる可能性は一ミリたりともないだろう。
また、そのことで、私が損をすることもないように思えた。
それどころか、それでケイの言う『何か』が『始まり』、そして『終わって』くれるなら、私は喜んで協力したい。
何故なら、安住のこの地の支配者は、私一人、もとい、一匹で十分だからだ。
「―え、ここ?」
階段の中腹辺りで、ちょうど、切り込みと向き合う形に座ると、ケイは首を傾げた。
そうだ、ここだ。
「マジで?お前、本当に俺の言ってること分かったの?」
ここまできて、半信半疑。私はうんざりした。
ケイの欲しいブツは目の前にあるというのに、人間の常識なんかでおじゃんにならないようにしてもらいたいものだ。
「・・・なんか、緊張するな。」
じっと見つめる私に、何かを感じたのか感じないのか、とうとうケイはしゃがみこんで、階段の手摺を調べ始めた。
こんなに目の前に私が座っているのだ。切り込みに気付かない訳がない。
「お。」
案の定、直ぐに、ケイの喜びの混じった声が上がり、切り込みの部分を叩く音も続く。
ケイはスス、という音と共に、小さな引き出しを開き―
「あった!!」
私の予想通りの反応を示した。いや、それ以上に、歓喜していた。
「N.n!!お前のお陰だ!なんて奴なんだ!いやーー、良かった。これがなくちゃ俺はずっとここでプー太郎をやってなくちゃ行けない所だった。」
あははは、と笑うケイの手には、鈍い銀色の巻き鍵。
これの何がそんなに嬉しいのか、私には分かり兼ねる。
人間にとって価値あるものなど、いつの時代も理解できるものではない。
ひとしきりすると、ケイは握り締めた鍵を感慨深げに見つめた。
「さて、と。やっとこれで全てが始まる筈、だ。」
それが何か、俺もわからないけど、とケイが一人言ちる。
その面持ちは、先程からの緊張の色が消えていない。
「N.n。これから、この店のあのでかい時計のゼンマイを巻くよ。」
どうぞ、ご勝手に。
私は興味ないんでね。
それよりもさっさとやりたいこととやらを片付けて、いなくなって欲しい。
そう返したつもりだが、ケイに伝わる筈も無く。
興奮しっ放しのケイは、いつもの事ながら、私の反応なんてお構いなしに、ゼンマイを巻きに階段を下りていってしまった。
外付けになっているあの時計を巻くには、きっと脚立を使わねばならないだろう。
そうすると、少し時間が掛かる。
つまり、私はひとりで、窓際を占領できるという訳だ。
やっと静かに日向ぼっこが出来る。
よくわからないが、鍵よ、ありがとう。
そう呟くと、私は愛しき場所へと戻った。
時刻はまだ午前中。
時計を確認してはいないが、一日の始まりから降り注ぐ陽の温もりは、たっぷりと残っている。
―なんて、幸せなんだろう。
そう思いながら、久々の満足感を味わい、私はまどろんだ。
「N!N!」
私の体内時計からすれば、時刻はそこまで経っていない。
何故なら、まだお腹も空いていない。
なんなら、まどろんだ時間も満足出来ない位短い筈だ。
「N.n!!」
なのに何故、ケイがこんなにも必死な声で私を呼ぶのか、わからない。
理解できない、したくない。
家を占領された挙句、眠りも妨げられるとは。
世界中に今こんなに不幸な猫が居るだろうか?
「うるさい」
私は目を薄らと開けて、シャーと怒った。
「!!」
今回は効き目があったのか、ケイが驚きで飛び上がり、その拍子で背中を壁にぶつけた。
それにしても何故、こんなにも暗いのだろう。
辺りの暗さを不思議に思い、私はしっかりと目を開けて、窓の外を見た。
自覚していないだけで、実はあれから何時間も経ってしまっていたのだろうか。
日光の暖かさが無くなった事に気付かない程、爆睡していたとでもいうのだろうか?
外は夜みたいに、暗い。
しかし黒くはなく、明け方の様な青白さがあった。
「え、え、えぬ、えぬ?いい、今、今、なんか言った?」
私が窓辺に目を向けて、そんなことを思っている傍らで、ケイが弱々しく問い掛ける。
何か言ったか、だと?
「ああ、言ったとも。五月蝿い、とね。」
口からそう言葉を発した瞬間、何故か違和感がある。
なんだ?
「しゃ、しゃ、しゃべった!!!N.nがしゃべってる。お前、、なんなんだ?化け猫なのか?ただの猫じゃないな?」
ケイに指摘されて初めて気付く。
どうやら、私はさっきケイに起こされた時から、自分の言葉ではなく、人間の言葉で話しているらしい。
そして、それは普通ではない。
「本当だ。私もこんなことは初めてだ。ケイ、何をした?」
「ななな、何も。俺は何もしてない。」
ケイは完全に動揺しまくっている。
私はと言えば、猫にとって、変化は付き物な為、ちょっとやそっとの事では驚かない。
いやむしろ、この状況は好都合と言えよう。
「ちょうど良かったケイ。この状態も長くは続かないかもしれないから、今の内に言っておく。ここには何の為に来たんだ?私は迷惑している。」
ケイは驚きすぎて、声が出てこないらしく、口をただパクパクと動かしているのみだ。
「こんな所で、探偵業をしたって、無駄だ。何の変哲もない何の変化もない、時代においてけぼりを食ってるようなこの街で、ケイみたいな若い奴が生活するのは窮屈過ぎる。そうは思わないか?」
もうこの際夢でもなんでも良い。
日々思っていた言いたい事を全て言ってやろう。
言いたいことは山ほどあるのだ。
現実だろうが、夢だろうが、全てぶちまけてやろうじゃないか。
そう思ったのだったが。
「・・・・ここじゃないと、ダメなんだ。」
漸く落ち着きを取り戻し始めたケイが、ぼそぼそと口を開く。
薄暗い、部屋。
「俺の探してるものが、見つかったら、その時は、直ぐに出て行く。けど、もう少しだけ・・・探させて欲しい。N.nにとったら、迷惑かもしれないけど。」
私は窓辺にいて。ケイは、目の前に立って、私を見ている。
ケイは普段はふにゃふにゃとどこか頼りない。
けれど、今見つめ合っている青年の瞳には、固い決意のようなものが宿っているように感じた。
「・・・一体何を探しているんだ。」
諦めの溜め息と共に問えば、ケイは瞳を揺らす。
「それは言えない。というか自分でもよくわからないんだ。」
ただ―と続けるケイの落とした視線の先。
手に握られた巻き鍵がきらりと光ったが、何の光に反射したのかは分からない。
「この巻き鍵を巻けば、自動的に全てが始まる。そう聞いて、ここに来たんだ。うっかりして巻き鍵の場所は忘れてしまったらしくて、教えてもらえなかったんだけど、ここに来れば、隠してるわけじゃないから、探せば見つかるだろうって言われて。十分隠されてたけど。」
夜明けのような光の中で、交わされる人間と猫の会話は、不思議で満ちていた。
けれど、その中で、掴めそうなほどはっきりしたものは何一つなく、このまま続けていれば見つかるというような期待もできなかった。
「―で。巻き鍵を巻いたんだろう。それで、何か変わったのか?」
ケイの探し物は見つかりそうなのだろうか。目処はついたのか。
「変わった。」
私の問いにケイはやけにきっぱりと言い切る。
何が、と私が訊かなくとも、ケイは続けた。
「まず、時間が戻った。」
「は?」
時間が戻る?意味が掴めず、説明を求めるように見つめれば。
「スマホの時間に合わせようとしたら、時計の針が勝手に動いて、四時で止まった。動かそうとしてもびくともしない。にっちもさっちもいかないんで、疲れちゃって、俺は少し眠ったんだ。一階の店の入り口に座って、背中だけ預けて、うとうとって感じでね。ほんの少しだと思う。ふと寒いなって思って目を覚ましたら、外が、まるで夜明けみたいな、青白い色に染まってた。けど、それはただ単に天気が崩れそうなだけかもしれないし、何とも言えないんだ。何せ、昼間も人の気配がしない街だからさ。」
言いながら、ケイは肩を竦めてみせた。
「あとは、一階の店内の様子が変わった。どこから来たのか、ショーケースが並べられていて、中に時計が沢山飾られていた。まるで、時計屋みたいだ。あと、ここにも、確かにさっきまではなかったソファがある。」
目を凝らして、周囲を注意深く見回すと、確かにあった。
古びているけれど、大切に使われているのが分かるような、応接セットでもいうべき、向かい合わせのソファが。
顧客を相手にする時に使うような。
「だから、驚いて、N.nを叩き起こしたら、急にしゃべった。今の所、俺が気付いた変わった点は、この三つかな。他にもあるかもしれないけど、まだ分からない。」
ケイは言い終えると、どこかしら、ほっとしたような表情を浮かべた。自分しか知らない秘密を誰かと共有できたことからくる安堵かもしれない。所詮猫相手、だけれども。
「外の薄暗さは、私も思った。あれだけ陽射しが入ってきていたというのに、起きてみたらこの寒さ。一体何が起こっているんだ?」
「―わからない」
ケイは、真剣な顔で、一度だけ首を横に振った。
「けど、じーさんが言ってたことが本当だとすれば、もう始まっている筈なんだ。何かが。」
チクタクチクタクと、もうずっと長いこと、刻まれてこなかった店の時が、再び流れ始めている。
その音は、小さくも、重たい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます