4、王女様は結婚したい
俺たちは森の中を移動した。森を抜けると、目指す湖のほとりに出た。このティタンの湖は巨人が歩いた足跡に水が溜まってできた湖という言い伝えがある。全体が足の形に見えるのでそういう言い伝えがあるのだろう。
湖の向こうには、ティーリンス公の領地が広がっている。湖から程近いところにある丘の上に、石造りの壮麗な城がほのかな月明かりに照らされて見えた。
ティーリンス公爵はこの王国で最も古い家柄であり、領地も最大の広さがある。
「アンリさん元気かな」とユーリア王女は呟き、こちらを向くと説明を加えた。「小さい頃、あのお城によく遊びにいったの。優しくてとてもいい人だった。しばらく会ってないけど元気だったらいいなって」
湖のほとりにいるので波の寄せる音が絶えず聞こえている。なんだか安心する音だ。
ユーリア王女は、急に何か面白いことを思いついたという顔をして(今までこの顔を見た後ろくなことが起きたためしがない)、湖の方を指さして言った。
「ねえ、レオ。叫んでいいよ」
「なんですか、いきなり」
「さっき言ってたじゃん。叫びたいって。誰のことが好きなんだっけ?」
「勘弁してください」と俺は消え入りそうな声で言った。
「ははは、やっぱレオは面白いなあ」
王女はいつも通りだ。俺で遊んでいる顔は特別生き生きとしている。
「でもさあ、よかったよ。縁談を断り続けて」
「どういうことでしょう」
「ものわかりが悪いなあ。レオが私のことを好きならもう問題ないじゃない」
「問題ない?」
「だから、私の結婚相手が決定したってこと。ということで、よろしくね。レオ」
そういってユーリア王女はいたずらっぽく微笑んだ。
「いやいやいや。問題なくないですよ。あります。問題」
「え、なにが」とユーリア王女は渋い顔をした。余計なことを言うなという感じだ。でもここで引き下がることはできなかった。
「一国の王女が使用人と結婚できるわけないです。だいたい王女様が宣言して決まるようなことではないでしょう。王や王妃、重臣たちが認めないと」
「えー、そうなの。面倒くさいなあ」
王女様は口でそう言っているが本当はわかっているはずだ。そんなわがままが現実になるはずがかないことを。
「まさかそんな理由だけで何年も縁談を断り続けてきたわけじゃないですよね。本当は何か理由が……」
「本当って、私の言ったことがすべてだよ。まったくこれ以上何を言えばわかってくれるの。そうだ、今から一緒にどこか遠くに行こうか。誰も私たちのことを知らない遠くの国へ」
俺が何かを言おうとすると、ユーリア王女はそれを止めるように手を前にだした。そして彼女はため息をついてその場に座った。
「わかってる。そんなわがままが許される立場じゃないってこと。でもさ、今だけは私の気が済むまで好きなように時間を過ごさせて欲しいの。いずれは私も観念してどこかの領地に大人しく嫁いでいくわよ。その時はレオが地団駄を踏んで後悔するような美しい花嫁姿を見せてあげる」
王女はうつむいて頬を手のひらでそっとさすった。こちらからは見えなかったが、その頬には涙が流れているのかもしれない。
俺は自分でもどうもしてあげられないことに無力感を感じた。それから自分だって彼女と一緒にいたいという思いがあるのに、それと反対のことを言い続けなければいけないことに怒りのようなものを感じ、また結局それは悲しみのような気持ちになって胸に溢れた。
ユーリア王女の横に座ると、彼女は体をこちらに傾けて来た。
「私に何かできることがあるでしょうか」と独り言のように俺は呟いた。
「いいの。レオは十分やってくれてるわ。ただ、そうね。こうしている時間をできるだけ長くしてほしい」
「わかりました」
夜はまだ長い。
目の前の湖は月の光を受けてぼんやりと明るい。湖全体が暗い青色だったが、向こう岸の近くにはうっすら緑がかった黒い影が丘の形をして伸びている。岸の上にはティーリンス公の領土が広がっている。緑色の丘はいかにも平和そうで、神話の世界の理想郷のようにみえた。そのせいか、だんだん自分が夢の中にいるような気がしてきた。これはすべて幻で、朝になってしまえば今夜の出来事はすべてなかったことになるのではないか。ユーリア王女が隣でこうして俺に寄りかかっていること自体、とても現実とは思えない不思議な光景なのだ。眠気があたりを
しかしそのとき王女が立ち上がり、突然大きな声を出したことで、目が覚めてしまった。
「そうか、そうだ。それがいい」
なんのことだかわからない。いつものことだ。
ユーリア王女は俺の方を見て言った。
「レオ、私ちょっと思いついたことがあって、それに必要なものがあって、あの湖の向こうのティーリンス公のお城に届けて欲しいものがあるの。ちょっとお使いを頼まれてくれない?」
「それはいいですが」
「ちょっと待っててね」
王女は何を思いついたのか説明してくれなかったが、俺は従うしかない。そういう役割なのだ。王女は紙とペンを取り出して何やら書いている。手紙のようだ。彼女は書き終わるとそれを俺に手渡した。
「これを届けて。道は湖の岸沿いにいって城を目指して歩けばいけるから」
「承知しました。ご主人様」
ユーリア王女の言った通り、時間は少しかかったが城を目指して歩いていくと迷わず辿りつくことが出来た。
城の門には守衛室のようなものがあって、そこで見張りらしき男が二人いた。夜中に急に現れた俺の姿を、警戒心ありありの目で見ていが、俺が王家の紋章の入った手紙を渡すと態度は急変した。
俺は見張りに城内の建物に案内され、客人を待たせる控室のようなところで待つように言われた。見張りは建物の中へ手紙を持って消え、しばらくすると戻ってきた。
「当主は手紙を簡単に拝見しましたが、明日の朝に改めてレオン殿に面会したいと」
「お気持ちはありがたいですが、私は客人としてもてなされるような身分では」と断ろうとしたが、
「当主の計らいなので是非」と見張りの男の丁寧な笑顔に圧力をかけられては言う通りにするほかなかった。
王女の使者という扱いなのか、用意された部屋も、朝起きてから食べた食事も今まで経験したことのない豪華なものだった。
そして、朝食を終えて部屋でぼんやりしていると、この城の主、この領地を治めるティーリンス公のもとへと案内されたのだった。
ティーリンス公は、日焼けしたたくましい顔つきの男だった。年齢は四十代後半くらいに見える。
俺は王女の側仕えとして正式の挨拶をしたが、ティーリンス公は笑って言った。
「そのような堅苦しい挨拶は必要ないよ。そこに座ってくれ。そうだ。自己紹介がまだだった。僕はこのティーリンス領を治めるアンリというものだ。君のかわいいご主人様とは勝手に友達と思っていたのだがね。どうやら思い違いではなかったようだ」とティーリンス公はユーリア王女からの手紙を手に取って言った。「そして君がレオンだね」
俺はその言葉に頷いた。
「この手紙によると、ユーリア王女の命で、今日付けで君の使用人としての職は解かれるそうだ。そして、君さえよければ僕の養子になってほしい。王女様からの推薦だ」
「はい?」と俺は晴天の霹靂のような知らせに言葉を失った。
でも、君さえよければというが、同意する以外に選択肢があるはずがない。つまり命令に等しい。
「私でよければ」となんとか言葉を絞り出した。
いや、全然よくないのだが、そう言うしかない。そもそも状況がうまくのみ込めていない。
「よかった。私は今、後継者がいなくてね。長年困っていたんだよ。そして君の最初の仕事は、これもこの手紙に書かれているのだが、ある王女との結婚だ。その王女様は現状縁談をすべて断っているらしい。でも、友達であるティーリンス公の息子なら断れないかもしれないと書いてある」
ティーリンス公はにやりと笑った。俺は苦笑するしかなかった。
「王女様が言うなら私は何も言えません。お心のままにと言うしか」
「これはとてもめでたいね。公爵の息子と王女の結婚だ。誰も反対する人はいまい」
「そうですね」
要するにこれがユーリア王女が思いついたことなのだ。確かにこれならうまくいくように思えた。
「君には公爵家の人間になる以上覚えてもらうことが、まあ少しあるけど、なんとかなるさ」とアンリは微笑んで言った。
とんでもなく大変な毎日が待っていることが目に見えるようだったけど、受け入れるしかなさそうだった。俺の最愛の王女様が言うのなら従うしかないのだ。
俺の仕える王女様が縁談をすべて断る理由 槻群夕日 @elm_forest
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