チャプター2 ごっつあんと、デバガメ君。

 『水清ければ、魚が住めず』

 突然なんの脈略もなく、意味不明な言葉を吉田が言うので、ごっつあんは、またかというような顔をして、次の言葉を待った。


 『水も適当に濁っていないと、プランクトンも発生しないし、エサの藻も発生しない』


  吉田は、不動産屋である以上、多少の裏金はつまむべきだと言った。

 ああそういうことが言いたかったのね、健太は納得して、エイヒレの、あたりめを口にした。


 部長の島田雅光にいたっては社内の一般媒介物件を他社に横流しして紹介料をもらう、そんなあくどいこともしていた。


 吉田は少なからず島田の影響を受けていて、社外で得た金なら多少つまんでもOKだと思っていた。 


 『島田部長だってやってるし、だいいちクリーンハンドでいる必要がどこにあるんですか?』


 会長も社長も、会社関連で得た金はすべて会社に落としなさいと今まで言ってきた。吉田は給料が安くて、このままじゃやっていけないと、真顔でこぼした。


 『紹介料をもらって、何が悪いんです?』

 『でも会社の決まりだぜ』


 健太は紹介料を含め、裏金をつまんだことが一度もない。

 吉田はこれからももらうつもりだし、やめるつもりはないと言った。


 話は変わり、吉田が健康のために実践している、尿療法について語り出した。

 自分の排泄物であるオシッコを冷蔵庫に冷やし、それを晩酌の前、夕食時にいただくのだという。かつての上司のすすめで、始めて5年になるそうだ。


 次いで良い食べ合わせ、悪い食べ合わせの話になり、2人は、良い食べ合わせ、悪い食べ合わせについて話し合った。

 

 良い食べ合わせ。

 1、ネギ&納豆

 2、とんかつ&きゃべつ

 3、生ハム&メロン

 4、酒とイチゴ(シャンパンとイチゴ)

 5、ハチミツ&レモン

 6、酒&柿(しぶみを取る)

  7、レバー&ニラ

 8、豚肉&しょうが

 9、ほうれんそう&ゴマ

 10、カレー&ラッキョ

 

 悪い食べ合わせ(合食禁)

 

 1、天ぷら&すいか(水と油)

 2、コーヒーとニンニク

 3、はまぐり&とうもろこし(海の物&山の物)

 4、そば&たにし(消化の良い物、悪い物)

 5、ドリアンとアルコール

 6、あさり&松茸

 7、酒&からし

 8、ラーメン&ライス

 9、梅干し&うなぎ


 ほかにも、たくさんあるらしい。ちなみに酒は、柿のシブを取る作用があり、柿は柿食かきくうと医者が青くなるの格言の通り、健康食品です。


 豚のモツ……白コロを箸でつまんだ吉田は、

 『オレこのまえ、アイ・オープナーしちゃって』

 上司である健太に向かって言った。


 健太は、すずめの丸焼きと、カエルのもも肉をオーダーしているところで、

 『塩焼きでね』

 メニューを指して、そう女の店員に言った。


 『へ~おまえも開眼することがあるのか?』

 デバガメ君は、得意顔でうなずき、少し照れた顔を浮かべた。


 『そうです、カーネギーの人を動かすを読んで、開眼しました』

 マンガしか読まない吉田が言うくらいなので余程のことなのだろう、健太も一度読んでみることにした。


 『営業って、ある意味、恋愛と似てると思うんです』

 エシャレットに味噌をつけながら、吉田が言った。ポリポリと音がする。


 『女性を口説くとき、どこに行って、ドライブして、食事して、手をつないで、酒飲んで、夜景を見ながらキスをしてって……起承転結があると思うんです』

 『うん』


 『商談も同じで、落としどころが大事なわけで。ドラマチックなストーリーを作ってあげると、相手も乗っかりやすいんじゃないかと思うんです』


 たしかに好きな人をデートに誘うとき、男はない頭をフル回転させて、真剣にデートの組立てを考える。


 けれど仕事のこととなると、どうも行き当たりばったりで、そこまでする人はいないような気がした。


 どしゃぶりや台風の日の案内が、なぜか成約に結びついたりするのも、まんざら嘘ではないし、人はドラマチックな展開に弱いこともなんとなくうなずけた。


 健太は4000万で買ってもらったマンションを2000万で売っていただいて、感謝されたことが何回もある。


 所得税の圧縮……損益通算を教えただけで、人から感謝させることができるのが営業の世界であり、醍醐味だいごみだ。


 3つ損して売らせて1つ安い物件を買わせたり、所得税を軽減させたり、住宅ローン控除の話で攻めるのも、営業の手法の1つではある。


 こんな価格で売らされてと思われるか、感謝されて売るかで、今後のリピートの仕方も天と地の差で変わってくる。


 健太は、前職の上司に、1年目は仕入れのプロになりなさいと教わった。

 2年目は実需じつじゅのプロ、買わせるプロになり。

 3年目で業者を相手にできるようになって、物件を買わせ、そして再販させて物件    を預かり……。

 4年目で投資家を転がせるようになりなさいと教わった。

 5年目には、プロフェッショナルな、不動産屋が誕生するシステムができあがる。


 プロを嫌う、素人っぽい営業マンを好む、お客様がいるのも、一部否定はできない。けれど、ただ買ってくださいとお願いするだけの営業は、どこかで必ず行き詰まる。 


 オーダーしたカエルがテーブルに運ばれ、すずめと交互に、健太は口に運んだ。オイルにまみれたカエルの足は実に美味で、鳥肉みたいだった。サンショウをふって、もも肉を頬ばった。


 ここにもまた、お願い営業に頼る、一営業マンがいた。頭は既に別の世界を周遊していて、金儲けの方に、既に気が散っているから始末が悪い。


 吉田がすずめの焼き鳥を頭からかじった。

 丸裸の雀から湯気があがった。

 

 吉田は1週間前に、副業ホストのバイトで、120万円ぼられていた。

 本業よりも副業の方が忙しいのは、今に始まったことではない。 


 使用済み下着のネット販売も、規制がきつくなり、何かほかで収入を得なければと思っていた矢先の出来事だった。


 雑誌広告の会員制副業ホストに登録し、登録料9万円を払った吉田は、契約後3週間で超VIPな優良固定客が付き、年間契約を結びたいと相手から申し込まれた。


 初回の客が65歳のおばあちゃんで、イヤイヤ行為にのぞんだ後、やめようかと思った矢先、3回目の客で超美人の、超VIPな客をつかんだ。


 とりあえず、3回で入会金の回収はできたことになる。

 自分の顔とよく相談してから判断した方がいいんじゃない、健太はそう思ったが、吉田は入れ込んでしまって、話のうさんくささに全く気づかなかった。


 おそらく美人の美人局つつもたせ、雇われたソープランド嬢だろう。吉田は3日後、年間ホスト契約書に捺印なついんし、総額600万の契約をゲットした。


 1回3万、年間200回のデート保証付きで、有閑マダムの友人を数名紹介してもらえる、オマケ付きだった。


 違約金、解約時のペナルティーはなく、自由契約だった。

 サイトの運営する企業に2割の前払金、利用料120万円を支払った吉田は、相手が3回目のデートで気分を害し、契約を破棄したい旨を口頭で伝えられた。


 『そんなこと言われても困るし……』

 泣きそうな吉田に。女性は、

 『私も入会金を120万払っているので被害者なの』

 そう泣きつかれて、結局、話はうやむやになった。


 吉田は主催者に返金を申し入れたが、

 『違約金、解約時のペナルティーは、何もありません。個人の契約ごとには一切、関知しておりません』

 一点張りで、こちらも手の施しようがなかった。


 吉田は被害届を出そうか迷い、逆に警察に捕まってしまうのではないかとの思いから、あえて断念することにした。


 回収したのは3回のデート代金、わずか9万円だけだから、残り111万円が溶けたことになる。


『心の銀行に愛を貯金していないから、こういうことになるんだよ』

 健太は思った。


 吉田は損金の120万円を取り戻すことで今、頭がいっぱいだった。

 『コップに水が半分ほど入っている。それをもう半分しかないって思うか、まだ半分もあるって思うかでストレスはだいぶ変わってくる。オレのいいところは、まだ半分もあるって思うところかな』

 多くの物事は判断の仕方で、状況が180度変わってくる。


 『オリのいいところは、ポシティブ・シンキングするところかな』

 中ジョッキを手にした吉田が貧相に笑った。塩からに手を伸ばした。副業ホストのバイトを今後も続ける予定だという。


 『影山課長も一緒にやりませんか?』

 健太は首を横に振って、その予定はないと、意思表示した。


 健太は、どちらかといえば、コップに水は半分しかないと思うタイプだ。うまい話にも乗らないし、まだ半分もあるとは、到底思えない。


 『本業で稼ぐのが、一番じゃないかな。15%のインセンティブだって、あるんだし』

 吉田は納得しなかった。 


 話題が変わり、健太の友人の話になった。 

 友人は横浜トヨペットで今も営業をしていて、夏休み、トヨペットの優秀社員の話で盛り上がった仲だ。


 『トヨペットの優秀社員って、いったいどんな人だと思う? 5年も連続して、同じ人がトップなんだぜ』

 健太が吉田にたずねる。


 『そりゃあ口がうまくて、嘘つきなんじゃないですか? 身なりも、びしっとしていて詐欺師みたいな不動産屋みたいな……』


 健太は

 『ノンノン』

 と人差し指を横に振り、デバガメ君に、こう言った。


 『それがね。友達が言うにはさあ。チビで、ハゲでデブで、おまけにドモルらしいんだよね』

そう言って、中ジョッキをあけた。


 エシャレットをポリポリつまんだ。

 理解できない吉田は、健太に聞き返した。


 『チビデブハゲの、ドモリですか? オレだったらビルから飛び降りてますね』

 『営業始めたばかりの頃は信じられなかったけど、今ならよくわかるような気がするんだ。チビで、デブで、ハゲの人から一生懸命、誠実に口説かれたら、つい買いますってなるもんな』


 『たしかにそうですね。安心して心を開けるかもしれませんね』

 吉田も、納得した様子だった。少なくともだまされる心配がない分、心を打ち明けやすい。


 『この伝説の営業マンはちょっと変わった人で、わざとボソボソと小声で話したり、意図的にお客様を怒らせたりするらしい』

 彼だけの武勇伝をたくさん持っていた。


 お客様を怒らせるというのは、相手の本音を聞き出すのにとてもいい。いちど腹を割って話をさせると、2度目からはふところに飛び込みやすくなるから不思議だ。


 座るときもなるべく対角線上になるよう、斜めに座り、最初の3分で相手を笑わすように心がけたり、始めて会う人には、いらっしゃいませではなく、お待ちしておりました、と言った。


 次いで健太は自分で心がけていることを吉田に話した。

 それは営業の世界に入って間もない頃、上司から言われた言葉だ。


 『顔が優しい営業マンは声をはきはきときつく、顔のキツイ営業マンはやさしく、さとすように小さい声で語りかけるように話す』

 というものだった。


 健太はやさしい顔をしていたので、はきはきと言葉を重く、話しかけるよう心がけていた。

 

 営業というのは不思議なもので、同じ時間を使って営業しても、駄目な社員というのは、一年を通して本当に物が売れない。


 『1ヶ月、何をしていたの?』

 そう思われても仕方がないくらい、自己管理ができていないことが多い。そういう営業マンに限って、紹介をあてにしていたり、上司からの付け数字をあてにしていることが多く、愚痴や不満が多い。


 対して残りの20%の成績優秀者が、全営業成績の6割か7割を叩き出し、会社をグイグイ引っ張ってゆく。


 売れる営業マンは本当に忙しく、いつもどこかに飛び回っていて不在の印象を受ける。当然、飛び回っているから、事務所にもあまりいない。


 対して売れない営業マンに限って、事務所にへばりついていて、女性の事務員と談笑していたりして、自分のおかれている状況を把握していない。


 事務所で物がなくなったとか平然と騒いだり、他人のせいにして存在感を主張するものの、あとから机の中から捜し物が出てきたりして、失笑を買ったりする。


 売れない原因を周りや上司、環境、運のせいにするのは、ある意味、病的で、かたよりがある。木を見て森が見えないのだ。


 そしてこの手のタイプは、ねたみや、やっかみが強く、猜疑心さいぎしんも強いので、最後は自滅するが、人を巻き込み、関わった相手を必ずや火傷やけどさせる。


 健太は社長の言葉を思い出していた。

『物を売ろうと思うな。自分を売れ。そして話そうと思わず、相手の話を聞け。客に叱られたときこそ、本当のチャンスだ』


 この言葉を理解するのに、健太は2年かかった。

 雑談をしていて 

 『話の本題は何でしたっけ?』

 お客様から問いかけられるくらい雑談で盛り上がれたならば、たしかに契約は近いような気がした。


 『二度と来るな』

 お客様に叱られたときこそがチャンスだということも、忘れてはいけないことだと強く思う。


 やはり究極で思うのは、自分の売る品物を胸を張って売れる営業マンは幸せだということだ。


 物の品質が良くて、理論武装できるくらい営業の質が高ければ、それは鬼に金棒、言うことがない。


 反対に不良な品物を販売しなければならない売り子ほど、かわいそうな人はいない。だまし売りは、やはりどこかで底を打つし、人から恨みを買う商売も長く続くはずがない。


 その点、不動産仲介の営業は、自分で売る物件を選べるし、買う顧客も自分で選べるので楽ではある。


 やはり結論から言えば、VSOPマンションのような優良物件をたくさん専任で収集すること、その一言に尽きる。


 良い物件は、よい顧客を呼び寄せ、それが会社のよい宣伝となり、紹介をもらったり、良いスパイラルに身を置くことができる。


 対して悪い物件にはやはり悪い顧客が集まり、過去にローン事故があったり、自己資金がない客や、ゴキブリ業者、オーバーローンを求める客など不良な顧客を呼び寄せる。


 いい循環に身を置きたいなら、やはり良い物件をたくさん集めることだ。

 健太と吉田の会話は、深夜におよび、2人はタクシーで自宅まで帰った。


 追加注文した鮭茶漬けには、とうとう満腹で手がつけられなかったが、次回2割引のチケットが2枚もゲットできた。


 ネオン街は枯れることもなく、多くのビジネスマンを迎え入れた。

 路上でチラシをまく、客引きのホステス。

 明け方のオカマが、足早に駅に向かう。


 この町のどこかで、くだをまく営業マンが一人や二人いたって、誰も気には留めないだろう。


明日の英気を十分に養った二人は、シャワーも浴びず、明け方の3時、ベッドに横になった。そして泥のように深い眠りについた。

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