チャプター2 戦略会議。
昼飯に、そばのカツ丼セットを平らげた富蔵は、眠気をこらえて会議に出席した。
今日の会議は『なんでも課』の生命線。
収益確保。市役所の独立採算制を維持するにはどうすればいいかが、焦点となった。
ご存じの通り、一般の市役所、国家公務員。地方公務員は、税金で成り立っている。それをあえて自分たちが生み出す収益でカバーしようというのが『なんでも課』のスローガンとしてあり、他人の力を極力、借りないというのが、海老名市役所『なんでも課』に問われている課題だった。
市民の税金をなるべく使わず市役所を運営するから、バランスシートも健全で、財政も余力があった。
ガラス貼りで、市役所内部がくまなく見渡せるのもよかった。何より市民からの評判がすこぶるよかった。
窓口業務はすべて有料。その代わりといってはなんだが法人税、所得税は格安で、市民の負担を軽減していた。
2020年、海老名市は独立した市長村に生まれ変わった。
ありとあらゆるものにお金がかかるようになったが、市が負債を抱えて破綻する心配はなくなった。
ナマポ(生活保護者)は、税金を利用しているため名簿が開示され、不正な利用を市民全体で監視した。
受給者には一筆、覚え書きを書かせ、受給が3年を越える場合には実家に帰ることを約束させた。
なので3年を越えて、生ポを受給することができなくなった。これは市の条例で、もちろん例外もあった。
生活保護受給者は海老名市役所の労力として駆り出され、週3回。公園の整備や、駅前の掃除。小学校の登下校の見回り人。老人ホームなどで、老人の話し相手をつとめた。すべては法改正によりなされ、無駄な出費は抑えられた。
以前なら生活保護者は
みな、生活保護から抜け出そうと懸命な努力をした。
みなからの、好奇の目に耐えられなくなるのである。
当たり前のことに、市民は気づき始めたのである。
ナマポが
会議の話に戻ろう。
ここは会議室。
603号室。
会議のメンバーで埋め尽くされた小さな部屋には、ジュースとお菓子。そしてクリームパン、ジャムパンがそれぞれ並べられている。
費用は職員から徴収された月会費1500円でまかなわれている。
会議を取りなすのは、主に部長の、高田の役目だ。
今年42歳。厄年の高田は、若いとき、交通事故で息子を失っていた。
その後、2人。子供を授かり、いまではすっかりマイホームパパに落ち着いた。
夫婦仲もまずまずで、
「全員に響かずとも、海老名を愛する人の胸だけに突き刺さる、
部長の高田が言った。
それに伴い、幾つかの案が出された。
これが駄目ならあっち。それも駄目ならこっち。
そういう
情報をアウトプットするには、それ以上のインプットが必要だ。
インプットが少ないと、案は
「口説くんじゃなくて、魔法をかけるような、不思議とその気にさせられるようなアイデアがいい」
かつて『禁煙パイポ』で、一世を
「こびなんて、売らなくていい。たとえ市民に理解されなくても、10年後に初めて認められるような一大プロジェクト。市民を幸福に導くプロジェクトはないか? パンデミックさ。時代はパンデミックを求めてる」
「パンダデメキン?」
「パンデミックさ」
部長は、禁煙パイポを舌でなで回し、
「大流行のことだ」
改めて言った。
泳げたいやき君を歌った子門真人は、印税を手にするか、50万円の一時金を受け取るか迷った末、50万円で手を打った。まさに目先の利益に目がくらみ、大金を失った典型といえる。
貧乏とは、それだけで判断を曇らせる材料になる。
不思議な魔力を持っている。
あわてる
没後、有名になったゴッホやピカソの絵画も、生前、3枚50ドルで買い取られるような、不思議な存在だったらしい。
人間嫌いな富蔵は、人と話すのが苦手で、もじもじペンをいじった手を休めず、黒板を見上げた。
富蔵が愛するものは、言葉を発しないブリキと、オモチャだけ。心を通わすものが基本、苦手だった。
「B級グルメの審査会が今月、厚木の中央公園で行われる。我が海老名市も、いちごとエビで、参加しようと思う」
高田の発言にみなの反応は
エビは、海老名の特産品ではなかったけれど、わざわざ北海道から取り寄せたボタンエビで、エントリーすることになっていた。
「やっぱりどうせなら格好良く、キレイに稼ぎたいよね」
入社3年目の新田が言った。
お金にキレイも汚いもない。長倉が否定した。
「姉妹都市をもっと増やすべきではないでしょうか? 貿易のように市内外で輸出入を活発化させて、姉妹都市にも海老名の産物を売ってもらい、買ってもらう。そして国道沿いに道の駅を5ステーションつくる。農協のように野菜をたくさん置いて。B級グルメを常時配置する」
新入社員の高橋洋一が言った。
高橋洋一は、前回、猫の皮でこさえた三味線で、海老名を日本1にすると言ったが、みなの反応は
高橋洋一の持論はこうだった。
お腹をすかせた猫にねずみを食べさせる。猫の皮をはぎ、三味線をつくり、猫の肉をねずみに食べさせる。
ねずみは、ねずみ算式に増え、そして今度は
「それにしてもなんだな。動物愛護団体から、矢のようなクレームが来そうな企画だな」
話はお蔵入りし、あえなく却下された。
部長が富蔵に意見を求めた。
富蔵はうつむき加減にもじもじペンをいじり、
「
と言った。
「
「はい。神奈川に入る人。海老名に来る人から、1円を徴収する。車、徒歩の人に課され、電車は切符代から回収する。ダウンロード税もいいと思います。ネットでダウンロードするたびに1円。ゲームをするたびに1円を課金する。そして」
一呼吸置き、言葉を続けた。
「パチンコを廃止して、海老名にカジノを
「ほう」
富蔵が珍しく
「パチンコの場合、支払ったお金が、将来、北朝鮮のミサイルで返ってくる可能性も否定できません。パチンコを廃止して未来型のミニカジノを海老名に建設する。もちろん運営するのは我が
いつも言葉数の少ない富蔵が珍しく意見を言ったので、みな一様に驚いた。ダウンロード税は、我ながら名案だと富蔵は思った。
「入県税だが、車を1
「ETCに組み込んでもらったらどうでしょう」
長倉が言った。
「そう簡単な問題じゃないように思う。費用もかかるし。話は全国規模になる。ETCを導入してない車の問題もある。ほかに意見はないか?」
会議を取り仕切る高田が言った。
「ダウンロード税。ゲームに課金する発想はおもしろそうだ。でも海老名だけではどうにもならん。法改正が必要だな。ここは専属の代議士先生に頑張ってもらうか」
メモを取る手を休めずに、書記が内容をひかえた。これら職員の意見は、後日。市の会議で再び話し合われる議題になる。そこから1つでも議案が実現されれば、高田の鼻も少しは高くなるというものだ。
「海老名に企業を
「悪くはないけど、でもなんだな。息の長い話だな。回収まで時間がかかりすぎる」
高田が言った。
いきものがかりという、良い事例はあったが、宣伝だけに時間を費やしてくれるはずもなく。目からうろこが落ちるような
芸能方面に明るい長倉はそれでも引きさがらなかった。
「仮に海老名で10回、年間にコンサートをやってもらえれば、海老名の広報になるし、他県からの外貨も稼げます。松山市の坊ちゃん文学賞のような賞を海老名にも創設しましょう。全国美少女コンテストでもいい」
熱を帯びる長倉に、
「その話はひとまず終了ということで」
話題が変わった。
海老名高校から東大生を大勢、排出させることも、海老名人気を盛り上げる1つの要因になるだろう。
湘南高校や厚木高校なみに、東大生を排出できれば、海老名の評判もうなぎのぼり
「EBN48は、どうでしょう?」
「今更という気もしないでもない。便乗商法は、ブームが去った後が悲惨だ。安易に飛びつくものではないような気がする。ただし、海老名に芸能事務所をつくるのは、市の企画としておもしろいように思う」
ここで少し休憩を入れよう、高田がネクタイを緩めて言った。
タバコを吸う者はタバコを胸ポケットから取りだし、灰皿の上にシガレットを並べた。
無数の煙が
席を立つ者はおらず、話は延長された。
会議の時ほど緊張感を伴わず、みなリラックスした姿勢で会話に参加した。
「スケールは小さいですが、破産。倒産品。廃業する商店から品物を
でも売りっ切りで、あとが続かない。これが縁で、どんどん輪が広がってゆくようなシステムの構築。
末広がりのビジネス。
それこそが海老名が目指す本来の姿だった。
「寺を造りましょう」
ある者が言い、みな意見を交わした。
市が介入することで、民間の競争力が失われるのではないか?
そう言う人もいたが、競争なくして安価なサービスは得られない。
シンプルな結論に達した。
守られていなければ継続できない商売なら、それは最初からないものと一緒だ。口をあんぐり開けて、上から物が落ちてくるのを待つだけの企業には、とどのつまり自営は向いていない。
そういう人達は給料で対価が支払われるサラリーマンになった方がよろしい。
少数精鋭も悪くないが、やはり多数精鋭こそが、組織の本来の目指す姿といえた。
10分後、会議が再開される旨が伝えられ、会議のメンバー6人は、あんパンの買い出し。ジュースの購入。ふたてに分かれ、その場を離れた。
町の小さな洋服屋がなぜつぶれないか?
それについて考えてみないか?
高田は言った。
町の小さなお茶屋さんがなぜつぶれないか?
高田にはそれが、何かとてつもない意味を持っているような気がしてならなかった。
会議が再開され、それぞれが自分の椅子に腰掛けた。
あたりを見回した高田は、
「お茶屋の売らないチラシ。売り込まないチラシにこそヒントがあるのかもしれない」
改めて言葉を選び言った。
売らないチラシは、相手の方から声がかかることが多い。
それは攻めていないから、守っているから。相手から自然と声がかかるのだ。
声をかけてもらえるよう仕向けるのも、作戦の1つだと高田は言った。
ルイビトンには、半年待ちの商品が少なからずある。ハンドメイドであえてつくるから、大量生産されず、生産調整する必要がでてくる。
品物が少ないから、消費者の購買欲を刺激でき、飽きが来ない。
そして大切なのは、客側から「これください」と最後に声がかかることだ。
生産調整に失敗したブランド。クリスチャン・ディオール。ダンヒルを例に取り、高田は続けた。
悪い
価格勝負した時点で、商いは終わることに、ディオールは気付いているのだろうか?
売っても売っても利益の薄い、地獄が訪れるのを果たして承知した上での戦略なのだろうか?
それはそっくりそのまま日本の自動車産業にもあてはまり、大衆車を販売する日本と、ベンツ、ボルボを始め、高級車を販売するヨーロッパでは、そもそも戦略が異なってさえみえた。
町の小さなお茶屋は、葬儀のとき、香典返しに入れるお茶や
葬儀屋とは切っても切れない縁があり、売上げの大半を香典返しで占めていた。
彼らは価格での勝負はあえてしない。
商店街の一見つぶれそうな
スポーツ店は学校の部活動に機材を卸し、ジャージを販売し、いつ行ってもガラガラなのに、店の雰囲気から推測できないくらい、潤っていた。
海老名市役所は、全国からも注目を集めるほど、次の一手に皆の期待が集まっていた。
今、何をしなくてはいけないか?
次なる目標は年7%の成長だ。
みなの食いぶちを自分たちで稼ぎ、税金を投入しなくてもやっていけるような市役所を全国に1つでも2つでも増やすことだ。そのモデル都市としての地位を海老名は背負っていた。
さらなる発展。どこへ向かってゆくべきか。どうすれば人様のお役に立てるかをもう一度、真剣に話し合う必要があった。 まとまりのない会議は、夜10時半まで続いた。
一生懸命やれば得られる達成感も、中途半端だと愚痴が出るから不思議だ。
それにやる気がなければ、ため息も出る。
案はまとまらず、毎度のことながら次回に持ち越された。
職員は疲労に満ちていた。
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